第45話 森の向こうへ

 同行した人達が住む為の家が急ピッチ建設された。丘の上の私たちの家を取り囲むように放射状に建てられたそれらの家の軒先には、それぞれの職業を表す印が取り付けられ、一目で何を生業にしている家なのかがわかるようになっていた。完成までには数か月を要し、ようやく町らしくなった。農作物は季節が進み温かくなると、加速度的に成長の速度を増し、降り注ぐ太陽の光と豊富な雨の恵みで私たちだけでは食べきれないほど採れるようになった。畑の周囲に植えた果樹が実るには、さらに数年待たなければならないが、それらが育っていくのを見るのも楽しみだった。


 私たちはようやくこれで二人で生活できるようになった。とはいっても料理長や数人の女官が住み込んではいるが、全員が同じ宿に寝泊まりしていた時とは比べようもない程の落ち着き様だ。所狭しとひしめき合って座っていたキッチンのテーブルを、今では二人だけで独占している。廊下を通るのもこの家にいる数人だけだし、二人の部屋にしょっちゅうノックの音が響く生活が遠い日々になった。


今朝はあまりの静けさについ寝過ごして、ルークに起こされた。


「おはよう、ぐっすり寝ていたようだね」

「あら、あんまり暖かくていい気持ちだったから、ついつい寝過ごしてしまったわ。今起きるから」

「もう少し寝ていてもいいよ。まだ早い」


 キッチンからは野菜を刻んだり、食器を並べるかすかな音だけが聞こえてくる。私は、そろそろと置きだし、髪を束ねてルークの方を向く。するとルークはキッチンからお盆に乗せた朝食を持ってきて、ベッドのそばのテーブルに置いてくれた。


「お姫様、朝食をお持ちしましたよ」

「あら、あら、ルーク様に持ってきてもらえるなんて。申し訳ありません」

「たまにはこんなこともしてみたかったんだ」

「宮殿ではとてもこんなことをしてもらえませんね。叱られてしまいます」

「せっかく持ってきたんだから食べてください」

「わあ、出来立てでおいしそう」


 私は、湯気の出ているスープを飲み、焼き立てで香ばしい香りのするトーストをかじった。目の前の畑で採れた青菜のソテーは自然の味がして、大地から滋養をもらっているような気がする。それに、ルークが持ってきてくれたから、もっとおいしく感じられる。


「今日は、森の向こうへ行ってみましょう」

「はい、いつか行ってみようと言っていましたね」

「馬車で行きましょう」

「では、食べたら出発しましょう」


 お盆に乗った朝食を平らげ着替えを済ませると、遠出に備えて髪を束ねた。赤みがかってウェーブのかかった髪の毛は、そのままだと肩のあたりでいつも広がってしまう。ルークは、チョット長めの前髪をかきあげていった。


「昼食も準備していきましょう。すぐに帰れるかわかりませんので」

「はい。たくさん持って行きましょう」

「リンゴも入れてね」

「いい考えです」


 馬車は畑や果樹園を過ぎ、森に入った。森は魔王の呪縛が解け、天空からは筋のように太陽の光が差し込み、靄に反射してキラキラと光っていた。この森のどこかに龍が住んでいるはずだ。奥深くへ踏み入ると、魔王の廃城が見えた。塀が崩れ剥き出しになった城には苔が生えていた。すべてのものが闇から解き放たれ、光の中に晒されている。

 私たちはさらに森の中を進む。どこまで続くのだろうか、このまま日が暮れるまで進むわけにはいかない。どこかで引き返さなければならないだろう。しかし、森は突然途切れ視界が開けた。眼前にブルーの世界が広がっていた。空だけではなかった。その向こうに見えたのは、大海原だったのだ。雲一つない空と、つながったように広がる果てしない海。


「わあ、これが海というものなのですね」

「素晴らしい! 僕たちは西の果てまでたどり着いた」

「ここへ踏み入れるのは私たちが最初なんですね」

「そうです。魔術に支配されていたころは誰も踏み入れなかったからね」

「広くて大きい!」


 私は深呼吸して、体いっぱいに空気を吸い込んだ。潮の香りがして、始めてきた場所なのにどこか懐かしいような気がする。


「みんなにもこの場所を教えてあげましょう」

「そうだな。ここへ来れば気持ちが晴れるし、食料になる魚が採れるだろうから」

「ええ、食料の種類も増えてみんな元気になります」

「いつかここから、舟で旅に出たいですね」

「海の向こうの世界は、どうなっているんでしょうね。大きな船を作ったら、一緒に行きましょう」


 西の果てだと思っていたあの森の奥が海だったことは、まだ誰も知らなかった。細かく砕けた貝殻の混じる砂浜を歩くと、海の彼方から運ばれてきた風で二人の髪の毛が揺れていた。


「エレノアさん、向こうまで走りましょう」

「どこ?」

「ほらほら、あの岬まで」

「ルーク様は足が速いから、負けてしまいます」

「いいから。競争です」


 ルークは私の顔を覗き込み、いいでしょう、という顔をしている。私は、負けまいと必死になって走り出した。いつもルークが先に行って、私がゼイゼイ言いながらついて行っていたのだ。砂に足を取られながら必死になって走る。ところが、ルークは私の前ではなく後ろを走っているのだ。あれ、どうしたのかと気になって振り返ると、そこには後ろから優しく見つめながら後をついてくるルークの姿があった。


「走ってください」

「はい、負けませんよ!」


 私は、更に必死になって走る。矢張りルークは私の前には来ない。ついに岬にたどり着き、後ろを振り返ると、すぐ後ろで微笑む彼の姿があった。


「エレノアさんの勝ちです」

「ええ、初めて勝ちました。でも、手加減してたでしょう?」

「さあ」


 ルークは、楽しそうに、砂浜に座った。私もその横に座り、日の光を浴びながらいつまでも海を見つめていた。


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