第39話 嵐の中へ
重苦しい空気が部屋の中に充満した。人々は帰国が遅れることを覚悟し、落胆の色が隠せなかった。食卓でも皆口数が少なくなり、轟く雷鳴に恐怖の色が浮かんでいた。このまま嵐が過ぎ去ってくれることだけを祈り、残り少ない食料を口に運んでいた。
この日の朝食は、麦で作った塩味の粥だけだった。長引けば長引くほど食料が少なくなっていく。万が一に備えて、食料は高い場所に移動させた。
「この食料が尽きる前に国へ帰らないと、皆飢え死にしてしまう……」
料理長がため息交じりにつぶやいた。皆絶望的な面持ちで聞いていた。
「きっと雨はやみますよ。運命は僕たちに味方してくれたら……」
ルークは、強い口調で励ました。ルークの気持ちを考えると、私はいてもたってもいられなくなった。戸口に立ち外へ向かって祈った。どうかこの嵐を鎮めてください。
ああ、そうだ。あの龍にお願いすれば、洪水を収めてくれるのではないかしら。
「ルーク様。あの龍以前は魔王の命令で洪水や日照りを起こしていたと言っていましたよね。魔王のいない今ルーク様のお願いを聞いて、今度は嵐を鎮めてくれるのでは?」
「そうだな。あの龍はどこにいるのだろう。西の果てに戻っていったのだろうか?」
「呼び出すにはどうしたらいいのかしら?」
「そうだ! 龍は荒野の向こうの森に棲んでいた! そこで惚れ薬を飲ませて、こちらの言うことを聞くようにさせたんだ」
「じゃあ、今も森にいるかもしれない!」
「僕が言って頼んでみよう! 何もしないでいるのは耐えられない!」
言い出したのは私だったが、この状況ではルークの命が危ない。
「止めてくださいっ! この嵐の中を。行き着くまでにルーク様が溺れてしまったら……」
「それしか手段がないなら……やるしかない!」
「そんな……」
もし戻って来なかったら……。濁流に飲み込まれて死んでしまうかもしれない……。
「僕の言うことなら聞くだろうから」
「ああ……ルーク様……」
私はどうすればいいのだろう、という言葉を飲み込んだ。皆のために、この宿舎を守るために命を掛けようとしている。
「僕が行かなければ、全滅してしまうかもしれないんだ。わかってくれ!」
ルークは私の手をしっかりと握った。これ以上止めることはできない。
「気を付けて……」
「ああ、必ず戻る。心配するな!」
皆ルーク一人が出て行くのを見て、止めようとしている。恐怖に引きつり涙を流している者もいる。
「こんな時に外へ出て行くなんて、命知らずにもほどがあります!」
「お止めください!」
「私たちもう覚悟を決めました。ここで命尽きても構いません! 一緒に来られただけで十分です!」
ルークはそういう皆に静かに告げた。
「僕は必ず戻ります。みんなここでじっとしているんだ!」
その言葉を残して、扉を開けた。空は恐ろしいうなり声をあげ、水はあたり一面すべてを飲み込んでいた。
ああー、ルーク様! 必ず戻ってください。扉は無常に閉められ、部屋には外の轟音だけが聞こえてきた。
⛈
ルークは打ち付ける雨のしずくを体中に受け、前方を見た。建物のところには水は来ていなかったが、その下に広がる荒野は一面が湖になっていた。地形によって浅瀬もあれば、窪んでいるところは深みになっていてその深さが計り知れなかった。水はところどころで渦を巻き、来るものを流れの中に引き込もうとしている。どこをどう歩けば森へ行きつくことができるのか、顔に容赦なくたたきつける雨水を掃いながら逡巡した。
さあ、コースは決まった。ルークはできるだけ浅瀬になっているところを選びながら、体中の力を込めて突き進んだ。時には胸までつかりながら水をかき対岸を目指した。体中潜ってしまった時は苦しくて溺れてしまうのではないかと思ったが、どうにかこうにか乗り越えた。窪みにはまってしまった時は、川の流れに引き込まれないように反対側に向かって体中で水をかいた。流れてくる流木に当たらないように細心の注意を払いながら。
びしょ濡れになり、体中の力を使い果たし、対岸にたどり着いた時にはくたくたになっていた。そのまま森の中へ入った。
「おい龍よ、ルークだ! ここにいるんだろ。返事をしてくれ!」
雷鳴に打ち消されないように、大声で叫んだ。森の木々や葉にも雨水は容赦なくたたきつけ、幹を伝って滝のように水が降り注いだ。
「お願いだ、君の力を貸してほしい!」
何度目かだっただろうか、森の奥から龍が姿を現した。巨大な体をくねらせてルークを見下ろしていたが、その眼は慈悲深さに満ちていた。まだ俺の事を忘れずにいてくれたようだ。
「会えてよかった。昨日から止まないこの嵐を、君の力で鎮めてはもらえないだろうか?」
龍は、懐かしい人に会えた嬉しさですぐ返事をした。
「お前が苦労して俺に会いに来てくれたんだ。やってみよう」
龍は、空高く上がっていき雲の中へと消えていった。
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