第35話 帰還

「あら、コロロ。あなたは私についてきたのね。一緒に家へ行くわよ」


 涙が乾ききった頃、私は家にたどり着いた。一体何日家を空けていたのだろう。両親に怒鳴られることを覚悟して、玄関の扉を開けて中へ入った。


「おお! 無事だったのか、エレノア!」

「お父様! お母様! やっと家に着いた……」

「心配していたんだぞ。黙って家を出て行くなんて、お前らしくない」

「私らしくない……か。それより、何日ぐらい家を空けていたの? 一か月、それとも半年?」

「何を言っているんだ。ほんの一週間ほどではないか。だが心配で毎日夜も眠れなかった。今まで私の命令で、嫌な思いばかりしていたから出て行ってしまったんだろうと、自分を責めた……」

「たった一週間……だったの? そんな馬鹿な……」

「何かあったのか? 大変な思いをしたのか?」

「いいえ、森の中で野宿をして過ごしたから、疲れちゃった。部屋で休むわ」

「ああ。しばらく休んでいるといい」


 私は、自分の部屋を見回した。一週間ぶりの部屋は何も変わっていなかった。


 私には半年ぐらいたっていたような気がしていた。あれ程色々なことが起こり、そのたびに戦ったり命の危険にさらされたりして、何日もかけてようやくここまでたどり着いたと思っていたのに。時間までが魔力に支配されていたのか。ルークも城へ戻り驚いていることだろう。

 今まで私の身に起きた事を話しても、両親は信じてくれないだろう。私は、重い足取りで部屋に入りベッドに座った。久しぶりの暖かくやわらかなベッドの感触を味わい、体を横たえた。凍り付きそうになった手を上に伸ばしじっと見ると、細かい傷があちこちにあり、夢ではなかったのだと確信できた。そうでなければ、ルークに会ったことさえが幻のように消えてしまいそうで怖かった。


 ルーク様。あなたは今頃城へ戻り何をしているのでしょう。

             


               🏰

 そのころルークは、城に戻り国王へ西域へ行ってきた旅のあらましを説明していた。


「悪者だと思っていた龍は、魔王に操られて日照りや洪水を起こしていたにすぎませんでした。しかし魔王は僕が倒しました。もう彼は悪さをすることはありませんし、魔法使いに騙されて魔王の城に幽閉されていた女性たちをここへ連れてきてくれました」

「フム、全ては闇の魔王の差し金だったということだな。よくやった。今回の事はお前の大手柄だ。これにより、民の暮らしもよくなることだろう」

「それで、国王陛下……」

「ああ、領地の事だな。わかっておる」


 国王は、じっとルークを見据え腕組みをした。悩んでいる時のいつものポーズだが、悩む必要があるのだろうか。彼はふーっと深呼吸して話し始めた。


「お前の活躍は素晴らしかった。第十王子だからといって、今までお前を軽んじていた自分が恥ずかしい。それでだな。今回隣国の王女との縁談をお前と進めようと思う。そして、お前が魔力から解放した聖域一帯を、女王とともに治めるのだ。どうだ物凄いご褒美だろう」

「えっ、隣国との王女との結婚ですか。それと聖域一帯を領地に?」

「そう言うことだ」


 ルークはすぐには答えることが出来なかった。西域へ行く前のルークだったら、これほどまでに大切にしてもらえたのかと、喜び勇んで従ったことだろうが、この時の彼は違っていた。


「父上! 考えさせてください!」

「なんだ、考えるまでもないだろう」

「しかし、今の僕には……即答できないのです」

「まあいい。こんないい話は今後二度とないだろう。よく考えてみることだ」


 父王の部屋を出て他の兄弟たちに会うと、今まで軽口をたたいていた姫や兄たちの態度が一変していた。羨望と嫉妬の視線が、ルークに突き刺さった。


「第十王子様。これからも仲良くしてくださいね」

「私たち、今までお兄様の事が大好きだったのよ」

「ルーク様、今後も兄弟として仲良くお付き合いしてください」


 などと、歯の浮くようなセリフばかりが聞こえてきて、うんざりした。


「お前たち、お調子者ばかりだな。俺は今までとどこも変わっていないのに」


 隣国の姫と婚約か。今までは自分のことなど頭の片隅にもなかった父王から、結婚の話を持ち掛けられた。自分の活躍が認められたからだが、あまり手放しで喜ぶ気にはならなかった。なぜなのだろうか。それで自分の気持ちは満たされるのだろうか。考えれば考えるほど、分からなくなり、返事は一日また一日と先延ばしにしていた。父王や、城内の人々は彼は当然受け入れる物と思い、浮かれた雰囲気になっている。


 そんな城内の雰囲気は、王都に住む人々の耳にも入った。下働きの人々にまで噂の的になっていたからだった。


「第十王子のルーク様が隣国の王女と結婚なさる!」

「西域を魔王から取り戻し、一帯を領地にして治めるそうだ」

「ルーク王子様は大出世なさるそうだ!」


 エレノアはそんな噂を街で耳にした。ルーク様が、隣国の姫様と結婚? 

大活躍されて、出世なさるんだわ。何と、おめでたい事……。喜んであげなければ。


 ようやく体が癒されて、外へ出て来て聞いたこ噂は私を打ちのめした。今までの縁談とは比べられないような衝撃だった。それと同時に、私とルーク様とはやはり住む世界が違ったのだと、悲しみに押しつぶされそうになった。私は彼との思い出だけを大切に、別の人生を歩むことになるのね。


 これから自分は何をすればいいのだろう。魔魔法使いに助けを求めた時以上に、今の私には助けがなければ生きていけなかった。もう生きていても、この先楽しいことなんかないんじゃないかしら。自暴自棄になりながら、あてどもなく街を歩きさまよった。どこかへ行こうという気力もなかった。街の広場にあるベンチに座り込んだ。こうして道行く人を見ていると、他の人たちは何と幸せそうに見えることか。


「あ、コロロ着いてきていたのね……。ルーク様はもう私の手の届かないところへ行ってしまったわ」


 抱き上げると、ぺろぺろと顔をなめた。


「おい、エレノアさん。なんて顔をしているんだ。旅をしていた時以上に死にそうじゃないか」

 

 ずっと私を励まし、時には優しく慰めてくれたその声が上から聞こえてきた。

「ルーク様」


 それ以上何も言えなくなった。


「元気だった? もう体力は回復した?」

「しました、だけど……」

「……だけど」

「ルーク様、ご結婚なさるんですね。隣国の姫様と」

「そんな話はあるけど……父王が勝手にしているだけだ。返事はまだしていなかった」

「お返事なさるんでしょうね」

「うん。しなきゃね」

「……そうですね」


 王の命令と有らば、さすがの王子様でも断ることなどできないはずだ。もう早く結論を聞いて、ここから立ち去りたい。


「断ろうかな! どう?」

「へっ……断るって。そんなことが、できるのですか? 折角ルーク様のお手柄を認めてくださったのに。ありえないですよね」

「君はそう思うの?」

「……多分そうかなと思って」

「でも、そうはいかない。だって、僕にはまだやらなければならないことがあるんだ」

「やらなければならないことって?」

「西域は荒れて人のいない土地も多かった。そこを開墾しなければ、領地にしても意味がない」

「それで結婚は?」

「僕は、それが済むまで僕にはまだまだできません」

「そうだったんですね」 

「ものは相談ですが、一緒に西の方を開墾しましょう。いいでしょう?」

「開墾ですか……どうしようかしら」

「戻ってきて目的がなくて、ぼうっとしていたところだったんでしょ?」


 ルークは私の今の心境をよくわかっていたようだ。父に相談したら許してくれるだろうか。


「あなたのお父様には、僕からお願いしますよ」

「今の僕のお願いなら聞いてくださるでしょう」


 ルークは、嬉々として言った。エレノアの頬にほんの少し赤みがさしたことがルークには嬉しかった。

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