第29話 暗黒の森へ
亀裂はいくつも続き、ルーク様も私も順番に梯子を押さえて、死に物狂いで地面に入った裂け目を超えた。何度渡っても、怖くなくなることはなかった。その度にルーク様は私を抱きしめて、無事を喜んだ。私は、亀裂が見えなくなりホッとしていった。
「こんな怖いことはこれから先二度とないでしょうね?」
「はい、そうあってほしいものです」
「一生分の恐怖を味わいました」
「大袈裟ですね」
「一生忘れないでしょう」
「アハハ……ヒック、ヒック……」
目からは涙が溢れ出た。亀裂がなくなると、気持ちが少しだけ大きくなった。西へ行く道はどこまで続いているのだろうか。いつ終わるとも知れない平坦な道を二人でぼとぼと歩いていると、日は既に沈もうとしていた。
★
私たちは、乾いた草原の上に寝転がり、日が沈むのを眺めていた。頭上には満天の星が輝いていた。魔力に支配された西へ向かう道で、こんなに美しい夜空を見られるとは思わなかった。
隣に横たわるルーク様が深呼吸して、こちらを見つめていた。彼は黙って体を近づけてきた。寒くなってくるので、その方が都合がいいから近寄ってきたのだとばかり思った。不意を突いた行動はそのあと突然起きた。
横になったまま私をぎゅっと抱きしめたかと思うと、口元をじっと見て唇を寄せてきた。私は不意打ちを食らって、たじたじになってしまった。いつも冷静な彼が、そんな気持ちになるなんて思ってもいなかったから。でも嬉しい。嬉しすぎて、どういう反応をしたらいいかわからない。胸の中では鐘が鳴り響いている。
「あっ、ルーク様。そんな……」
「嫌だったら、ごめん」
「嫌だなんて……。ちょっと驚いただけ……」
「そうだよね。僕がこんなことをするなんて、思わなかったよね。唇が可愛かったから、無性にキスしたくなった。それで体が勝手に動いた……」
手をパタパタ振りながら言い訳している。ああ、ここで愛し合おうなんて言われたらどうしようか。断わったら、やめてくれるだろうか。やめてくれなかったら、成り行きに任せるしかないのだろうか。いやそれはまずい。結婚しないで、そういうことになって後で知られてしまったら、何と弁解しよう。うまくごまかさないと、二人とも勘当されてしまう。ああ――どうしよう……。こんなに悩んでいたが、彼は微笑んでいった。月明かりに照らされた横顔が涼しげで、ほれぼれする。
「キスだけにしておく。だって、僕たちこの先どうなるかわからないからね」
「ああ、アハハハハハ……。そりゃそうですよ。キスなんて挨拶みたいなものですからね」
「旅が終わったら、離れ離れになっちゃうかもしれないし……」
「そんな……悲しいこと言わないでください!」
「悲しい、か。いいことを思いついた。別れなきゃいいんだ。別れない方法を考えよう」
「う~ん、そんな方法がありますか?」
「僕に任せておいて」
ルーク様は、私にそっと毛布を掛けて、頭を優しく撫で胸元に手を置いた。目を閉じて撫でられるままにしていたが、とんとんと拍子を取っているのでその子守唄のようなリズムを体に感じていた。こんな危険な目に合っても、この旅がいつまでも続けばいいのにと、願っていた。ルーク様の手の感触と視線に包まれながら、その日一日が終わった。
☀
朝日が霧の向こうから降り注いでいた。草原を渡る風は限りなく優しかった。こんな日が続けばいいが、いつか悪い龍がどこからか現れて、ルーク様は戦わねばならない。戦いに勝つことだけを考えていたが、彼の武器は短剣だけだ。私は龍を仕留めるより、彼に必ず生き残ってほしいと願った。
ルーク様は、立ち上がり私を見下ろしていた。その立ち姿は朝日を受けて凛々しく、私の勘違いはどこまでもエスカレートしそうだった。いつか彼が、私を迎えてくれるのではないかと。
「ああ、そうだ! エレノアさん、もしよろしければ、この旅が終わったら女官として宮殿で働きませんか? そうすれば、一緒にいられますよ」
「女官ですか……考えておきます」
女官として彼を見守っていく、という方法もあるのだが、特になりたかったわけではないので、即答はできなかった。彼がほかの女性と仲良くやっているのを、女官として見ているのはつらいだろうし。
「もう少し行くと、森がありますね」
「ええ、今度はどんな森なのでしょう。ヒルや人を襲うキノコがいなければいいけど……」
草原の向こうには、うっそうとした森があった。ひとたび森の中に入り込んだら、出るのは容易ではなさそうだった。明るい日の光が差し、遠くまで見通せる草原とは対照的に、雲が垂れこめ暗黒の闇が支配する世界のようだ。
「さあ、今度はこの森の中へ入って行くよ!」
「ええ、もう覚悟はできました」
一歩足を踏み込んだらとたん、うっそうと木が生い茂り、日の光はわずかしか足元に届かなかった。目を凝らして、薄暗いじめじめした地面を滑らないように進んだ。木々やゴロゴロ転がる石には苔がこびりついている。
「なんだかぞくぞくします」
「妖気を感じるな」
「魔物が住んでいるような……」
その時、キーッという鳴き声が響き、バタバタと鳥が羽ばたいた。上から誰かに監視されているような、嫌な予感がする。
「もうかなり西へ進んでいる。魔力はさらに強くなっているようだ」
「上から水滴が垂れています」
葉に着いた水滴がぽたりぽたりと落ち、私たちの体を濡らした。そんな道を二人で黙々と進んだ。次第に口数は少なくなっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます