第20話 雪の中へ

 畑がしばらく続き、地下帝国の人たちが農作業するのを眺めながら歩いた。今頃アレックスは意識が戻り、慌てている頃だろう。私たちを追ってこないだろうか気になり後ろを振り返ったが、誰も追ってくることはなかった。しかし、地下にあれだけの精巧で秩序のある街を作り上げるとは、素晴らしい技術力があり労力がつぎ込まれたのだろう。そんなことに感心しながらも、アレックスから逃れられた安心感で歌い出したいほどだった。


 そのころアレックスは、ぼんやりとした意識の中で考えていた。腹に思いきりパンチを食らって余りの痛さに身動きが取れずにいたが、かすかに意識はあった。じっと目を閉じ二人を追いかけてでも捉えた方がいいのか、あきらめるべきなのかと考えた。父王に知られれば罵倒されるに違いないが、ずっと気絶していたことにして二人を追わないことにした。ようやく動けるようになった体をベッドに横たえ、時間が過ぎるのを待った。あの賢いルークの事、出口はとっくに見つけ出していたのだろう。地上の国の女と縁戚関係を結ぶことよりも、自分にはやらなければならないことがあるはずだ。ここの生活も悪いものではない。これでよかったのだと思い、腹を押さえながら目を閉じて眠りについた。

   

                ⛄

 私たちは出口の穴からどんどん離れていった。畑が終わった辺りから、道は次第に上り坂になった。空気はひんやりとして、頬に当たると冷たく感じられる。数時間歩くと、空から白いものがちらほらと舞い落ちてきた。私たちは二人並んで歩いていた。


「あら、雪が降っている」

「寒くなってきた。暗くなる前に、どこか泊まれる場所を探さないとな」


 勾配はきつくなり、眼下に通り過ぎてきた畑が見下ろせるほどになった。この山を越えた先へ行かなければならないようだ。二人とも寒さで必死に体を動かし、とにかく距離を稼ぐためにどんどん歩いた。子犬のコロロも負けじとついてくる。私たちは降ってくる雪に濡れないよう、コートのボタンを首元まで閉め、フードをかぶった。手袋やマフラーもし手持ちの服の中で一番暖かい服を着こんだ。


 雪は一向に降りやまず、数メートル先も見えなくなった。新たに降り積もった雪に足元を取られながら歩いた。私は辛くなってルークに言った。


「こんな雪は見たことがないですね」

「王都にはこんな高地はないからな」

「冷たくて、手足が凍えそうです。歩いて行く自信がなくなってきました」

「何処かで一晩夜明かししよう」


 何処かと言っても、前も後ろも一面の雪で一面が真っ白に染まっていた。こんな無謀な旅だったなんて、出発したときには想像もつかなかった。私は外の世界を知らなすぎた。自分がこんな状況になければ、なんと美しい景色なのだろうと思う。このまますべて凍り付いてしまえば、私の悩みなどはちっぽけな自分と共にどこかに埋もれて忘れ去られてしまいそうだ。ここで雪に閉ざされて死んでしまえば、溶けるまで自分は発見されることはないのだろうな、と考え始めていた。意識が朦朧としている。ルークが私の頬をさすって励ます。


「おい、眠るなっ! この木の根元に穴を掘って三人で入る! 穴を掘るんだ!」

「は……い……。ルーク……さまあ……」

「しっかりしろ」


 ルークは、一人で必死に木の根元に穴を掘っている。素手で掘っているから、思うように大きくならないが、何回も雪を掻きだしている。私も手を出して雪を掻きだそうとするが、ほんの少しつづしか雪はかきだせない。水分を多く含んだ雪で、持ち上げるたび肩にずっしりと重みがかかる。寒気の中でも額に汗が滲み出てくる。ほとんどルークの力で木の根元まで掘り進み、体がすっぽり入るぐらいの大きさになった。


「ここに入って、朝が来るのを待とう」

「ここに……入れるのですか?」

「ああ。入ってできるだけ体を寄せ合って暖を取ろう」


 私とルークは丸く掘られた穴の底で二人で膝を抱えて座った。コロロも足元で丸くなっている。ルークが鞄の中からリンゴを取り出した。私はそれを受け取ると、かじかんだ手でしっかりと握りしめ一口かじった。甘い果汁が口の中一杯に広がった。これで今日一日は生きながらえることができるだろうかと、希望が湧いた。食べ終わると二人は黙り込んだ。私は、今までの人生であった様々な失敗や挫折を思い出していた。このままここで目が覚めずにいたら、これから先に出会う困難にも会わずに済む。そんなことを冷たく音のない世界の中で感じていた。


「おい、眠ってもいいけど体が冷え切らないようにしなければ!」

「う~ん、何ですか?」

「顔が青ざめて、血の気が亡くなってるんじゃないのか? できるだけ俺にくっついていないと凍死してしまうぞ」

「へっ……」


 私はルークに体にぴったりと寄せ、お互いの体温が伝わるくらいにくっついた。日に焼けた引き締まった顔に、長いまつげが魅力的だった。こんなに近くにいるのに、彼は目的のために旅をして、私は彼の連れに過ぎないのだ。しかし、こうしていられることも自分の特権の様で、大変な状況なのに無性に嬉しくなった。


「あったか~い……ルークさま~」

「それでいいだろう。少し寝て体力をつけておこう」

「はい」


 このまま死んでしまうと思っていたが、ルークと一緒にいる限りそんなことはないような気がして再び目をつむった。頭がぼうっとしてきた。眠っているのか、まどろんでいるのかわからないまま頭の中には最初の縁談の相手が亡霊のように出て来た。会う前に死んでしまったので、顔がぼやけたお爺さんの幽霊だった。次に出て来たのはセバスチャンで、彼ははっきりとした顔立ちをしていた。私をからかい美女を連れて行ってしまった。次に現れたのは度の厚い眼鏡をかけたオリバーだった。オリバーは昆虫の研究をすると言って舟で出かけたきり帰ってこなかったはずが、なぜか戻ってきていた。帰ってきたのに、どこへ行ってしまったのかと私を責めていた。私は彼らから逃げ手足をばたつかせていた。これが本当の事なのか、夢の中の出来事だったのかさえもわからなくなり、夢は途絶えた。


 遠くの方で、ゴーッという大地が唸るような音が聞こえた。遥か彼方なのか、すぐそこで起こったのかはわからなかった。そしてまた物音はしなくなった。


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