第3話 婚約破棄

 私は午前中のほぼ同じ時刻に、侍女と一緒に散歩に出ていた。すると、それを知ってか知らずかセバスチャンも外を歩いていてよく、会うのだ。しかも必ずいつもの美女を連れている。見せびらかすような態度に私はいつも憮然とした表情をしてしまう。自分でも情けなく思いながら、嫉妬心が見え見えの態度しか取れない。


「ごきげんよう、セバスチャン様。本日もお天気がよろしいですわね」

「そうですね。僕らのために、太陽もご機嫌がいいようです」


 何をしゃあしゃあと言っているのだ。またしてもいつも美女がいる。


「あと一か月で結婚ですね」

「はい、待ち遠しいですわ」

「そちらの女性は、お友達ですの?」

「そう、友達と言えば友達……」

「ちょっと違うんですか?」

「いや、とても親しい友達という方が正しい」


 隠し立てしないところが、ますます怪しい。そして、この三人で会うことが何度もあった。私たち二人で会おうという話は全くないまま、こんな日々が過ぎていった。


 そして、婚礼まで後一週間というときになって、セバスチャンが突然やってきて、エレノアに言った。


「この結婚はなかったことにします!」

「そんな、なぜ、なぜ、なぜですかっ? あと一週間後なのに!」

「愛情のない結婚はできないことに気がついたんです」

「だって、そちらが結婚したいと言ってきたんじゃありませんかっ! そんなの酷いわ、あんまりだわ――。あの女性が原因なんですね! あの方は一体どなたなのですか?」

「ああ、親しい友人ですよ。勘ぐらないでください。あなたとはご縁がなかったのです」


 私は、もうセバスチャンの顔を正視していられなかった。顔を覆っても、指の間から涙がこぼれ出てくる。今度こそ幸せが来ると思ったのに。二度目なのに、なんで私だけがこんな目に合わなきゃならないの! 


「大変申し訳ありません。自分の気持ちは偽れません」

「……そんな、馬鹿な……だって、そっちが先に言い出したのに……」


 その問答無用の態度、理不尽な言葉に傷ついても、それをどこにぶつけたらいいのかもわからない。冷たい表情のまま彼は去っていった。それから彼の噂を聞いたのは、しばらく経ってからの事だった。セバスチャンは、あの時の美女と結婚することになったのだと。あの美女が本命で、なかなか煮え切らない彼女の気持ちを何とか自分の元に引きつけたくてやったことだったのだ。そんな事とも知らずに、結婚するのは自分なのだと彼を信じて幸せに浸っていた自分は道化のようだ。

はあ、いつになったら自分を本当に心から愛してくれる人が現れるのだろうか。そして私が心から愛せる人が、現れる日は来るのだろうか。


 エレノアは再びふさぎ込み、家にこもるようになっていた。


いけない! こんな生活をしていたら、太ってしまうし、次第にそんな自分に嫌気がさしてますますいじけてしまいそうだった。

数日間ひきこもった後、意を決して久しぶりに外へ出かけたエレノアの前に、一人の男性が現れた。男性は見たところ自分とあまり年も違わないようだ。その手には虫かごと虫取り網を持ち、花を見つめじっと身構えていた。エレノアが、そのそばを通り過ぎようとすると制止するような身振りをした。

「ちょっと! 近くへ来ないでっ!」

「あっ」

エレノアは、そのしぐさに突然立ち止まり、前につんのめりそうになった。度の強い眼鏡をかけたその男性は、突然自分と蝶の間に割り込もうとした邪魔者を追い払おうとしたのだ。

「あ~っ、逃げられちゃった~」

「私のせいですか」

「もう、全く珍しい蝶だったのに、君が脅かしちゃったからだ!」

「どっ、どうも、すいませんでした。私、鈍いもので……」

「ほんと、鈍そうだよね」


メガネ男子は私の体つきをじろりと見て、一人納得してしまっている。私のどこが鈍そうに見えるのだろうか、こんなことを納得しないで欲しい。彼は長い前髪の下に埋もれそうになっている、度の強い眼鏡を指先でくいと持ち上げた。この人いったい何をしている人なのだろう。髪の毛は伸び放題だし、手に持っている虫かごと虫取り網。小さな子供でもないのに、こんな趣味を持っているのだろうか。それとも虫の専門家? まあ、いいでしょう。昆虫は人類にとって必要不可欠のもの。研究するのは大切なことだ。それに蝶が逃げていったからと言って、私が何かしなければならないわけでもなし。


「じゃあ、私はこれで失礼します……」

「そう、以後気を付けてね!」


命令口調で言って、その人はまた別の花を覗き込んでいる。あ~あ、久しぶりに外を歩いていても、ろくなことがない。外の空気に触れて、体を動かし体中の血液が循環する充実感を味わったのだけは良いことだった。

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