Chapter 5- 一世一代のショーを

5-1

 ──中央区、王城。



 国内の政治をすべて司る城内は混乱を極めていた。ここ二、三か月で中小規模の暴動が起きては鎮圧され、厳戒態勢を敷いて対策を練っていたところでその事件は起きた。


 特に暴動の激しかった北区と南区。どちらも国境にほど近い地域で、同時多発的にクーデターが勃発したというのだ。それぞれの支部が襲撃に遭ったとの連絡を最後に、通信はない。

 このままでは王政が転覆する──情報がほとんど入って来ない今、いつこの本丸に暴徒化した市民が押し寄せるかも分からない。




 王は焦っていた。

 自分が生涯のほとんどを費やして完成した杖型魔道具が、ようやく完成した目先のことだった。


 強力な効果を有する固有魔法。その抽出技術自体は、十年以上前に完成していた。おかげで“ネクロ・メモリア”を失わずに済んだわけだが、その段階ではまだ、縁者への生体移植しかできなかったのだ。王が求めていたのは固有魔法の魔道具化──血縁でない者、つまり自分が複数の固有魔法を掌握することが、王の最終目標だった。

 そして先日、ついに完成を見た。精製した受容体を杖に内包することで、いくつかの魔法を吸収し、所有者の魔力を消費して発動することができるというものだ。まだまだ改良の余地こそあるものの、保有者以外の者が使用可能となるこの魔道具は、間違いなく発明品であった。


 この魔道具を使い、本来血脈で引き継がれる魔法をすべて自分の手中に収める。そうすれば絶対的な権力を得、邪魔な南北の国をも統べることができる。

 その馬鹿げた考えを止めようとした者はことごとくこの世から消してきたため、王の愚行にブレーキを掛ける役は誰一人として居なかったのだ。


 あとは自らの固有魔法“他者支配”で支配下におさめてきた人間をすべて呼び寄せ、彼らの有する魔法を吸収する、その作業を残すのみであったのに。

 王は歯ぎしりした。その歯も脆く、ぽろぽろと老いた口から零れ落ちていく。



「ネラよ! 何処に居るのだ、早く回復せぬか!」

「はい王よ。ネラめはこちらに控えております」



 空虚な声で返事をし、くらの影から老婆が現れる。

 彼女が王妃であることは、既に大多数の国民が忘れている。王妃の存在を知らぬ者も多いことだろう。

 枯れ枝のような手に弱々しい光が灯り、王の体を包む。ややすると王の顔が若さを取り戻し、逆に年齢を吸い取ったかのように、王妃がより老いの色を濃くする。


 こやつの“若返り”も今に自分のものだ、と王は忌々しく舌打ちして言い捨てる。思考力が衰えていることに気が付きもしない王は、何かを代償に自分が若返っていることに思い当たらない。

 一方、もはや虫の息となった王妃は何も考えられなくなっていた。夫の魔法に操られ、言われるがままに自分の寿命を差し出すことに、今更何を感じようもなかった。


 魔法で栄えた国が、魔法に溺れた一人の愚王によって、腐敗を見せていた。






 王が一人玉座で震えていると、にわかに外が騒がしくなった。

 老いた耳がその音をようやく拾ったのと同時、堅牢な大扉が大きな音を立てて開け放たれる。



「お、王よ! どうか避難を、城がいつの間にか囲まれております!」

「な、何……」



 暗がりにいる王は、扉から射し込む強い光で伝令役の姿が見えない。

 しかし切羽詰まった様子の伝令役の報告に、王の異常な警戒心が惑わされたのか、常から抱える疑いの念を王は忘れた。



「どこかに火が放たれた模様です。とにかくお逃げください。我々で幾ばくかの時間稼ぎは出来ましょう。ささ、王陛下、お早く」



 伝令役が去った部屋で、王が憤怒の形相で石の床に地団駄を踏むが、状況は変わらない。

 とうとう国民が裏切った。以前から国の端に溢れるゴミどもが目障りだったのだ、今になってようやく正体を現したか、と罵りながら部屋中を駆け回って身回りの品をかき集める。


 最後に魔道具を大切に懐にしまい込み、王は王妃をその場に残したままひとり去ろうとした、その時だった。



「ごきげんよう、国王陛下。

「ひっ……!?」


 突然背後で発せられた声に肩が震え、その拍子にポケットから宝石が零れた。

 恐るおそる振り返ってみれば、薄暗い中でフクロウ面がぼんやりと浮かんでいる。マントに身を包んだ王の飼い鳥、〈梟〉が音もなくそこに立っていた。



「〈オウル〉よ……脅かすでない。城では足音を立てるよう、言いつけて居ろうが」

「申し訳ございません。てっきりお気づきかと。それに、反乱軍に気取られるわけにも参りませんでしたので」



 王の耳元で羽音がした。〈梟〉が自身の操る虫を呼び寄せたのだろう。

 しかし今は昼間だというのに、何故「いい夜」などと──そう尋ねる暇も与えず、〈梟〉がマントを返して背を向けた。文様の浮く面だけが王の方を向く。



「国内の状況は刻々と悪くなっています。今のうちに人目のつかぬ所へ参りましょう。わたしが案内します、どうぞこちらへ」

「……う、うむ」



 何年もかけて手に入れた“ネクロ・メモリア”使いの少女はすっかり自分の手足だ。周辺国のスパイから正確な情報を得、動向や企てを見抜くのに彼女の固有魔法は欠かせなかった。人を信用できない王にとって、もっとも信頼を置く存在がこの〈梟〉であった。

 国民の怒涛の叫びにすっかり怯えていた王は、だから、疑いもせず自分の〈梟〉の案内について行った。



 ……その様子を広間の入り口から眺める男があった。

 伝令役を装っていた小柄な男は、懐から鷹の面を取り出して金属質の声で呟いた。



「あとは頼んだぞ、オウル嬢」
















 明かりのない廊下を早足で歩く。王はすぐに息が切れた。王妃ネラの魔法で若返っているはずだが、まだ年若い〈梟〉の足に合わせられるほどではない。



「ゼ、ハ……〈梟〉よ、ちと休まんか」

「申し訳ございません。一刻を争いますので、どうかお早く」

「ペースを落とすだけで構わん、頼む」



 “頼む”などと王が口にしたのはいつぶりだろうか。しかし息を荒げる王は自分で気が付いていない。〈梟〉は王を振り返らないまま口の端をわずかに上げた。



「仕方がありませんね。ではこの辺りにしましょうか」



 ようやく背の低いマントが足を止め、王は床にへたり込んだ。石の床がひんやりと、走って体温の上がった王を冷やしていく。



(ずっとこの城に居ったが……このような場所があるとは知らなんだ)



 王は息を整えながら辺りを見回した。敵に攻め込まれた時“砦”となるよう、城の造りは複雑になっている。現にここへ至るまで二人は曲がり角や階段を幾つも経た。しかし誰よりも長く城に身を置いた王は、この場所を初めて知った。


 壁には松明も燭台もない。窓もない。明かりを必要としない部屋など、王はこれまで見たことがない。普段から薄暗い中で生活し、逃走の最中も暗い中を走り抜けたせいもあって、ある程度目が慣れて〈梟〉の姿も認識できるが、その程度だ。




 暗い。




「〈梟〉、ここはどこだね」

「霊廟です」



 機械的に告げられた声に、王は思わずオウムのように返す。



「…………れいびょう」

「ええ。ここでしたら人目につきませんから」



 冷静になった王は、ようやく思考が回転してくるのを感じた。

 先からこの少女はやたらと自分を“人目のない場所”へ案内したがる。ようやく着いたここは灯りもなく、これといった装飾もない。

 ……王のために足元を照らそうとする様子も見えない。


 喧騒から隔絶された空間で、折角治まった息苦しさが復活する。静けさで耳が痛い。自分の息使いの他に、何も聞こえない。先ほどから少しも音を立てぬ〈梟〉は、──




 〈梟〉は本当に存在するのだろうか。

 自分は幻覚を見ているのではないか。


 どこからどこまでが幻覚だ? いつから? 〈梟〉が現れた時から、伝令が事態を告げた時から、耳障りな国民たちの声が聞こえた辺りから、それとももっとずっと前から?


 ああ、そういえば、〈梟〉に幻術を仕込むよう指示したのは、自分であった。




「どうされました、陛下」



 耳元で羽音がする。背筋にぞくりと悪寒が走る。

 フクロウ面は王の目線の高さにあった。独特の文様がぐるぐると回るような錯覚に陥らせ、混乱の渦に突き落とす。温度の低い単調な声と不気味に回る面の文様がギャップを生み、王の平衡感覚は次第に狂っていく。



「お加減がよろしくないのですか」

「……ぁ、あ……」

「深呼吸を。酸欠状態かもしれません」



 感情を混ぜない女性の声でそう言われれば、ますます王は呼吸を乱した。

 耳の傍を飛ぶ虫が増える。怖気の立つ低い羽音で王の思考が埋まる。



「虫、が……」

「陛下?」

「そなたの虫だろう、何故私の周りを飛ばすのだ! 早くどこかへやってくれ!」

「……王よ」



 面がコテンと傾いだ。首を傾げたのだ。



「──わたしは虫など飛ばしておりませんが」

「…………、は」



 羽音が唸る。文様が揺らぐ。

 王は分厚い手を耳の辺りでブンブン振り回した。これだけ虫が飛んでいる音がするのに、王の手は一匹も掠りもしない。

 飛んでいる、飛び回っているはずなのだ、自分の耳元で、うるさいハエが!

 そのうち羽音に混じって、背後から人々の怒涛の声が迫ってくるのを感じた。怒れる声と飛び回る羽音が頭蓋の中でわんわんこだまする、王は狂ったように喚いて滅茶苦茶に手を払った。



「ぅああ、やめろ、やめんか、静まれぃ!」

「陛下、どうされたのですか。大丈夫ですか」

「早く止めてくれ! 何でもいい、早く!」



 王は居もしない虫の音に惑わされて、聞こえなかった。

 ──〈梟〉が、くすり、と笑んだのが。



「ふふ。承知いたしました、王よ」



 面の下で微かに笑って、〈梟〉の黒手袋を嵌めた指がパチンと鳴らされた。

 途端、元のような静寂が訪れる。あまりに突然のことで、王は暫し耳鳴りを覚えた。


 何もなかった。虫も、民衆の声も。

 在るのは目の前のフクロウ面だけ。



 そのフクロウ面が、突然床に払い落とされた。



「……〈梟〉や……何を」

「種明かしを。──『よく聞いて』」



 キィン、と二重にエコーのかかった声が、王を縛りつけた。

 少女は笑っていた。闇の中で黒曜色をギラギラと煌めかせ、晴れやかな笑顔をしていた。ちぐはぐな表情、初めて見る彼女の顔、そして『声』に、王の体が縛りつけられて動けない。



「ここ最近起きていた国内の反乱は、わたしたち暗部が陰から扇動していました」

「……な、に……」

「諸外国とのパイプを〈雀〉と〈燕〉が繋ぎ、〈鴉〉が民衆を焚きつける。〈鷹〉や〈つぐみ〉や〈とび〉や、他のほとんどの同僚たちも手を貸してくれました。わたしたちはみんなです」



 耳を塞ぎたい。だが、少女の発した言葉がそれを許さない。

 『よく聞いて』。



「ふふ。知らなかったでしょう? あなたは自分の“他者支配”の魔法を過信して、わたしたちというには目もくれなかったのだから」



 少女の華奢な手が王に伸ばされる。

 ビクリと身を震わせながらも、その手を払うことができなかった。ただ身をよじるだけの老人に、訓練を受けた諜報員が敗けるはずもない。



「待て……待て、何をする、やめろ!」

「例の研究品を完成させたようですね。ダメですよ、そんなものを作っては。パワーバランスが崩れてしまう。これは没収させて頂きます」



 ささやかな抵抗もむなしく、王の手から杖は抜き取られた。

 少女はつまらなさそうにそれを眺め、そして王を見下ろした。



「この国はなくなります。民のことはご心配なく、ノルタニアとサウザは寛容な国ですから、悪い様にはならないでしょう。まああなたは気にも留めないでしょうけれど」



 黒曜色が強く煌めく。

 薄い唇が、ニンマリと綺麗な弧を描く。



「そうそう。あなたは“言霊ロゴス”を探していたようですね」



 王の目が大きく見開かれた──が、もう遅い。


 立ち上がった少女の声が再び、独特に揺らぐ。

 夜の賢者が闇から高らかに告げる。



「『王の中でむ時よ。あるべきところへ戻りなさい』」



 王の体を強い光が包み込んだ。

 そしてみるみる髪が白くなり、抜け落ち、肌が枯れていった。──それでもまだ勢いは弱まらない。寿命をとうに過ぎていた王から、無理やり若返っていた分だけの“時間”が抜けていく。


 黒曜色の双眸は、その様をただただ見守っていた。そして枯れ枝のようになってしまった両手が、冷たい床にはらりと落ちた時。



「さようなら。可哀そうな王様」



 〈梟〉の少女はぽつりと言い落した。


 ある意味、王は禁術に手を出していたのだ。

 死ぬべき時を逃し、魔法という不確かなものに縋りつく──憐れな王の末路は、暗い石の廊下で白骨化するという、惨めなものだった。

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