3-2

 昼下がりのカフェ。若者でにぎわう店内に、普段着のオウルの姿があった。

 彼女の向かいには、彼女と同じ年頃の男女が二人。瓜二つの顔を揃ってオウルに向けている。


 この二人は〈スパロウ〉と〈スワロウ〉、オウルの同僚で実働部隊の一員だ。ちなみにどちらがどちらを指すのか、オウルはいつも忘れてしまう。常に二人セットなので呼ぶのに困ることはないため、あまり気にしていない。




 オウルは各々が注文した飲み物が届くのを待って、二人に切り出した。



「周辺国の動向を教えてほしいの」

「「いいよー」」



 スパロウ・スワロウの声が揃う。任務中はそれぞれ雀や燕を模した面をつけるが、今はプライベートなので素顔を晒している。二人ともよく似た赤毛を揺らしながら、息を合わせて交互に話した。



「北のノルタニア、南のサウザ。特に怪しいのはこの二つだね」


「最近やたらと工商界隈に手を広げてるの。昨日押さえた武器商人もその一人。あいつはノルタニアと繋がってて、北区のクーデターの扇動に一役買ってたみたいだ」


「でもノルタニアが関与した証拠は出て来なかった、残念ながらね。サウザは目ぼしい動きは見えないけど、近ごろどうも固有魔法の研究が盛んになって来てる」


「固有魔法を守る名家が多いこの国を狙ってるんじゃないかって、僕らは思ってる」


「東国のオリエヌは特に何もないねえ。山脈越えて大河越えてさらに遠くの国だから、特に干渉する気もないみたい」


「あっちとは元々通商もしてないし、警戒しなくても特に問題はないだろうね」



 声も口調もそっくりなためどちらが喋っているか分からなくなるが、オウルは満足した。クロウからも国外の情報は得られるが、この二人は実力行使や暗殺系の任務が多いだけあって、よりブラックな情報を集めてくるのだ。

 しかし。ほどなくしてオウルの瞳が僅かに翳った。



「……、間に合うかしら」

「どうかな。どのみち僕らは下手に表立って動けないからさ」

「なるようにしかならないよ」

「……そうね」



 少しぬるくなったコーヒーを飲んで、お茶請けにと注文したクッキーに手を伸ばす。ほろ苦いチョコレートの風味がオウルを落ち着かせた。


 その様子を眺めながら、ふと双子の片方が切り出した。



「ところで聞いたよオウル。クロウとねんごろの仲なんだって?」



 キン、とオウルから鋭い殺気が放たれる。

 二人はしかし軽くあしらい、ニヤニヤと頬杖をつくだけだ。



「出所は?」

「ホークのおっさん」

「……あの人は本当に……」



 昨晩はからかわれるクロウを見て楽しんでいたが、そのツケが回ってきたのだろうか、とオウルは嘆息を禁じ得ない。



「そんなわけないでしょ。面白がってるだけよ」

「じゃあ昨夜ゆうべ一晩中クロウが君のうちにいた訳は?」

「……けほっ」



 コーヒーを一口啜ろうとして失敗した。ハンカチで口元を拭いて二人を睨む。



「おやオウル、図星かな」

「カマかけたの?」

「そういう情報はあったけどねー。で、どうなのさ。あいつとうとうヤっちゃった?」

「事に及んでいたら、わたしが無事に返すわけないでしょう。それにクロウは任務で来ているのよ」

「どうかなー。いつも楽しそうに手土産選んでるけど」

「……任務の死体の種類から考えてるからね」



 先日のカニを思い出して、オウルの眉がやや寄せられる。

 この二人といいホークといい、どうして周囲はこう、自分とカラスとを繋げたがるのか。クロウと自分の間にそういった類の甘さなんてひと欠片も漂わないのに──と今度こそコーヒーを口の中で転がす。



「えー、あれで何もないって言い張るとか。クロウ可哀そう」

「脈ナシかよー」

「無駄なおしゃべりは終わり。足りなくなったパンを買わなくちゃ……痛ッ」



 不意に髪の毛が引っ張られた。束ねた髪が何かに引っ掛かったのだ。



「ああっ、ごめんなさい! ボタンが引っ掛かっちゃった、ちょっと待って……ああ、あ、ごめん、ごめんなさい! 髪紐が……」



 通路側に座っていたオウルの髪に、通りすがった女性の袖のボタンが絡まったのだった。何とか解いたはいいが、髪紐が無残にほどけてバラバラになってしまった。



「ご、ごめんなさい、せっかくの髪紐を……弁償を」

「あの、いえ、大丈夫です。安物ですし。ええ、本当に」



 女性と二人でペコペコ頭を下げ合う様子を、どこか遠い目で──いや、双子は二人の向こう側を見て、顔を見合わせてニヤリと笑ったのだった。






    ──◆──◇──◆──






 クロウが食べ尽くしてしまった分のパンを買い足し、オウルは雑貨屋に寄った。壊れてしまった髪紐の代わりを探そうと思い立ったのだ。



(なくても支障はないけれど……)



 任務中に髪を結うと、フードを被る時に邪魔になる。髪紐は普段使いだが、髪を束ねなければ落ち着かないというわけでもない。「任務とプライベートを分ける」というクロウのポリシーを少し真似している、ただそれだけの話。


 ふと、カウンターに置かれた品が目についた。

 ガラスのケースに飾られた、上質な輝きを放つ万年筆。


 ──つ、と。

 オウルの胸が締めつけられた。



「その万年筆、残り一点ものなんですよ。中央区の有名な職人が手掛けたもので。よかったらいかがですか?」

「あ……」

「お値段が気になるようでしたら、少しくらいお安くしますよ」



 声をかけてきた店員はニコニコと人好きのする微笑みを浮かべている。オウルの物憂げな表情を、価格で迷っていると勘違いしたのだろう。

 オウルはぎこちない笑みを返した。表情筋を普段働かせない彼女は、あまり上手く笑えない。



「お気遣いありがとうございます。……似たようなものを持っているので、つい見入ってしまって」

「あら、それはそれは。いいですよね万年筆。私も一つ持っているんですけど、あれ使いだすと他のペンじゃどうも満足できなくって」



 話し上手の店員はそれから二言三言オウルに声をかけ、結局何も買わないままオウルは店を出てしまった。帰路についたところでようやく、ああそういえば髪紐を見忘れた、と気が付いたがもう引き返す気にはなれなかった。






 家に帰って買った物を仕舞い、オウルはソファーに腰を沈めた。

 サイドテーブルの引き出しの鍵を開けると、何通もの手紙がそこには入っている。すべてイザクからのものだ。

 一つひとつ丁寧に読み返していく。細くも意外に骨張った手、それが自分の髪を乱しながら撫でる感触を思い出して、目の奥がツンとする。あの手があの万年筆を握って、紙に文字を滲ませて……。



「…………」



 ……あの店員は、買った万年筆をちゃんと使っているのか。

 オウルは森の獣たちの気配がいつも通りなことを確かめながら、上の空で万年筆のことを考えていた。わたしは結局、一度使ったきりだわ……。


 いつもイザクは手紙をくれる。期間はまちまちであれど、自分を気遣うような一言を添えて、他愛もないことをしたためて。

 けれどオウルは返事を書こうとするたび手が止まる。震える。どうしようもなく、胸が苦しくなる。自分が報告できる近況? 国の暗部で墓場の秘密を暴く仕事をしています、とでも書けと?



(今のわたしは、とてもイザクに見せられない)



 イザクの姿を一目見たい。

 声を聞きたい。あの柔らかい笑みを、頭を乱暴に撫でる手を、もう一度感じたい。


 でもそれを叶えるには、自分は汚れきってしまった。


 だから会うのが怖い。手紙を配達してくれるクロウに、『もしイザクに会うようなことがあっても自分のことを明かしてはならない』『自分にイザクを会わせてはならない』と“言霊ロゴス”で命令するくらいには、オウルは彼に会うのがどうしようもなく怖かった。











 ──でももし、“その時”が来たら。


 あの万年筆を執ろう。最初で最後の文をしたためよう。




 もうすぐ二十歳になる少女は、それだけは心に決めている。

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