第6話「孤独が、自分への信頼を生む。」

 「ぼくは片づけ心理小説を書いて、芥川賞をとる。」


 目標と、確定事項の心理的な違いは大きい。芥川賞をとるということは、目標として目指すのではなく、確定事項として当たり前と捉えている。その基準で文章を練磨し続ければ、すべての作品は芥川賞級に昇華されていく。


 今日は、博多から大阪に帰るのぞみ36号の車内で小説を執筆している。期間限定で、ホットコーヒーがラージサイズでも同じ値段だった。どちらを選んだかは、想像にお任せしよう。


 福岡で誕生日をお祝いしていただくタイミングが、今日のテーマであることも必然なのかもしれない。その当時は孤独だった男が、仲間をつくるようになっただけでも、奇跡としか思えないと我ながら実感する。


 広島を通過するアナウンスが入ったと同時に、生もみじを思い出す。コーヒーのお供に、生もみじを食べているイメージをしよう。貧しかった頃はよくやっていた、「イメ食」を思い出しながら、ぼくは続きの物語を書き始めていった。


 極貧だった高校時代に、お金がなくて友達と遊びに行く約束を破ることになった時のこと。何度も同じことをしていたぼくに対して、見かねた友人の一人がこんな言葉を放った。


 「お前、ほんまノリ悪いな!金ぐらい、親に借りろや!!」


 その言葉を聞いた瞬間に、ぼくは友人に対して心を閉ざすことになる。


 「えっ、お金って、親に借りれるもんなんか!?こいつらに、俺の気持ちがわかるわけがない!!」


 そう心の中で衝撃を受けたぼくは、それ以来友達との関わりを自分から持たなくしていった。それと同時に、頑なにこう心に誓っていく。


 「親も、友人も、誰も信用しない!俺は孤独で生きていく!!信じられるものは、自分しかいない!!!」


 このとき以上に、明確に心に誓ったことはなかったかもしれない。それぐらいに強烈に心に刻み込んだ感覚は、今でも鮮明に覚えているからだ。この誓いが解けたのは、それから数年後だった。それはまた後の物語で語っていこう。


 これまでの人生の中で、最も他者に心を閉ざしていた時期だったが、逆に自分を信じる力は養われたと言ってもいい。狙ってはいない副産物だったが、他人を信じないと決めたと同時に、人生を誰のせいにもすることがなくなったからだ。


 こうして荒んだ高校時代を過ごした後に、ぼくは体育の専門学校に入学することにした。唯一自分らしくいられる時間が、バスケットボールをしていたとき。だからこそ、将来はNBA選手になることをひたむきに目指していた。その体育の専門学校に入学して2年過ごすと、体育大学に編入できるチャンスがある。経済的に苦しかったぼくは、バスケが強い体育大学に編入できる可能性にかけてその場所を選んだ。


 しかし、1年目の夏に悲劇は起こる。


 田舎の高知県に帰る途中で、カーブが激しい山道でもある足摺スカイラインという場所で、車の事故に遭ってしまった。後部座席に乗っていたぼくは、頭部を強打し、一瞬気を失っていく。次に目覚めた瞬間に右足を見ると、深く切れているのが目に入り、白い筋肉の筋が見えていた。額からも血が流れているのに気付いたときに、意識が朦朧としていく。


 「まだ、死にたくない・・・。」


 そう思った次の瞬間に、意識は完全に消えていく。次に目覚めたときには、病院の中だった。


 「生きて、いた・・・。」


 あのときの安堵感は、今でも忘れられない。そして、もうひとつ忘れらないことが、目覚めた瞬間に携帯電話がなったことだ。その当時パチンコ屋でバイトをしていたのだが、同僚の女の子からの電話だった。


 「あ、もしもし、勇司くん?ちょっとお願いがあるんやけど、シフト代わってくれへん?お願い!!」


 「あ、ごめん。実は、ちょっと事故で怪我して病院にきてて、その日までに大阪には戻れないんで、シフト交代できないです・・・。」


 そう答えると、予想をしない答えが返ってきた。


 「えっ!?嘘やん?そんな言い訳ええって!小学生じゃあるまいし、もっとマシな断り方ないん?感じ悪いなー!もうええわ!!」


 まくしたてるように言葉を浴びせられて、一方的に電話を切られていった。


 生死に関わる事故だったので、嘘でもなんでもないのだが、ライトに言いすぎたからこそ、そう伝わったのかもしれない。でも、その電話で深刻な雰囲気だった病室に少し笑いが生まれて行った。


 「まあ、これやから、人生は面白いんかもな・・・。」


 大事故の後にも、笑えるエピソードが自然に生まれる。これが、伊藤勇司という生き方なのかもしれない。そう、自然に思えていた。そしてこの体験こそが、現在の在り方にも大きく影響をしている。普通は深刻に捉えるような出来事の中に、笑いと希望を見出していく。それができるのは、この時の実体験のベースがあるからだ。


 事故の体験を思い出しながら文章を書いていると、まもなく新大阪に着くというアナウンスが車内に響き渡っていった。今日の執筆はここまでだ。


 これは最後の余談だが、この事故が起きるまで長生きしたくないと思っていた。いつ死んでもいい。自分から死ぬことはしないけど、面白くもない人生を長く生きていても仕方がない。そう思っていた自分だが、根底から覆ったのがこの事故だ。


 本当に死ぬかもしれないと思った時に、意識が薄れゆく中で心の底から湧き上がった声は「生きたい」だった。もっと活き活きと、生きていきたい。それが本心だったのに、その自分の素直な気持ちにずっと向き合っていなかった。


 この事故は、死んだように生きていた自分から、徹底的に生き抜いて死んでいくことを決める人生の転機となった。

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