(30)呪詛

「駄目、じゃったか」


 ハバリートも内田も消えた世界の中で、老婆が静かに言う。


輪廻りんねを断ち切ることはできんじゃったか。悲しいものじゃ」


 老婆の言っている意味は分からない。だが、何かを知っているのは明らかだった。だから、私は込み上げてくるものを必死に抑えながら、問うた。


「なあ、内田に何があったのか、知ってるのか」


 老婆がこちらに視線を向ける。深い。それだけで、芯を覗かれているような恐ろしさがある。


「司書の剣はいましめの剣なのじゃ」


 それでも、老婆は私を見据えながら、話し始めた。


「司書は力が強い存在での。管理のために存在していた者が、時に憎しみや欲望、怒りに任せて世界を荒らすような存在になることがたびたび起きたのじゃ。そこでの、司書の剣はそうした感情を吸いこむようになったのじゃ。ただ、それだけで済めばよかったのじゃが、その怒りや憎しみや欲望を吸うとな、やがて、司書の剣はその持ち主を食いかえすようになるのじゃ。なぜ、そのようになるかは分からぬ。じゃが、これまでも多くの司書がそれで狂い、討たれた。司書の剣の『呪い』とともに、の」

 思い返せば、この老婆は司書の剣を渡す前に、欲望と怒りを捨てて世界を守れと言っていた。その時は形式的な言葉なのだろうと思っていたが、今になってみれば、その言葉の重みがひどし掛かってくる。


「助ける方法はないのか」

「あるにはあるがの、今のお主の実力では叶わぬ事じゃ」

「実力が及ばないのは覚悟の上だ。それでもいい。方法を教えて欲しい」


 司書の剣を大地に置き、頭を下げて頼み込む。焼け焦げた大地と草木の匂いが辺りを支配する。物音は一つもない。強いて言えば、星のきらめきがわずかに耳に届いたような気がするだけである。虫も鳥も風も水も静寂せいじゃくたもつ中、老婆だけがそれに逆らった。


「条件は二つじゃ。一つは彼女の司書の剣に据えられた宝玉を破壊すること。これには狂化した彼女の動きを止めることが必要になるでの。そして、もう一つは呪い解きの儀式を行うことじゃ」

「なんだ、それだけなら何とかなるじゃないか。内田を止めてしまえば、何とか」

「上手くいくわけがないじゃろう。解呪の技令はお主なら陣形技令じゃろうが、これ程、複雑な陣を組まぬとならんぞ」


 そう言って、老婆は一枚の巻物を広げた。そこにあるのは、八卦を模したと思われる陣の形。三国志演義で読んだ覚えのある、しかし、それにしてはひどく複雑な線が、そこには描かれていた。


「たとえの、これを技令陣として直接大地に刻みつけ、技石を配して用いたところで、司書の剣の宝玉を破壊するのもまた難儀での。司書の剣よりも力を持った武器が必要なのじゃ。現存するものがほとんどないでの、それこそ、召喚する必要があるが、お主にそれほどの武器との縁があるかが心配じゃな」


 要するに老婆は無理ということを説きたいらしい。だが、それと同時に何とかしたいという淡い意志が、その口を動かしている。そうでなければ、不可能ごとをこれ程連ねるような無駄は犯さない。何より、その伏し目がちの瞳はかすかに光をたたえている。


「ありがとうございます、おばあさん。それだけ情報をいただければ、あとは、自分で道を切り開きます」


 老婆が溜息ためいきく。


「全く、若者というのは老人の諫言かんげんを無視して死地に飛び込むのが仕事のようじゃな」


 思わず、苦笑する。だが、老婆は顔を上げると、私の眼を真っ直ぐに見据えた。


「じゃが、若い頃の無謀はわしも好きでの。老害の見ることができぬ未来を、頑張って見るのじゃぞ。よいな、司書の剣はいかれる者と欲深き者には厳しいが、優しき者と守る者には力を貸すという。お主なら、その剣をしっかりと使いこなすことができるはずじゃ」


 老婆が言い終わると、先程負った傷がまたたく間に回復する。曰く、残されたわずかな技令らしい。私は老婆に深々と頭を下げると、傷は塞がったものの痛みは残る身体を駆動させ、南天の下へ駈け出した。

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