(29)戦端

 オリオンが南天に差し掛かるころ、私達は県境の山中を彷徨さまよっていた。鬱蒼うっそうと茂る林野の中をき分けながら、時に茂みの方から聞こえる物音に戸惑う。


「博貴、以前も思いましたがこうした場所は苦手なんですか」

「ま、まあな。別に幽霊とかは大丈夫なんだが、ここで猪に突撃されたり蛇に噛まれたりしたらと思うと、ちょっと嫌なんだよな。蜂とかに刺されたら即死しかねないし」

「ええ、それはそうですが」


 内田が珍しく笑顔で息をかすかに漏らす。


「あれだけ難敵に躊躇ためらいなく挑まれる博貴ですから、意外に思いまして」

「悪かったな、意気地いくじなしで」

「いえ。博貴にも可愛らしいところがあり、何だか微笑ましい気分になりました」


 いや、可愛らしいというのは男にとっては褒め言葉ではないのだよ、と心の中で呟く。背の高い木々にも笑われているような気がしてならない。そのような思いを断ち切らせるかのように、内田は鋭い声で告げた。


「博貴、技令の気配が感じられませんか」


 意識を集中させる。幸いなことに冷たい風がわずかに頬をさらうため、頭ははっきりとしている。ただ、感じられる技令の方はぼんやりとしており、それも、三カ所に分けられているように感じられた。背筋の凍るような冷たさはそこにはない。ただ、粘性を持った空気が木々にまとわりつくようにして存在している。


「何なんだ、この気配は。ぼんやりとしているが、気持ち悪いほど木々にへばりついている。この前の傀儡かいらい技令のように発動を待つ様子でもなく、技令士がいるような気配もない。犬のマーキングのように木々にくっつけられた技力が三カ所あるだけだ」

「ええ。三カ所までは把握できませんが、完全に技令の残り香がつくようにばら撒いてあるだけです。おそらく、技令士を誘うための陽動です。迂闊うかつでした。ハバリートはこの合間にある場所を襲うつもりです」

「襲うったって、この近くは村と山しかねえぞ。人間なんて」

「博貴、覚えていらっしゃいませんか、この近くには恐ろしい技令の溜る塔があるんですよ」


 内田の一言にハッとさせられる。考えれば来る道の途中までは進んだ記憶があった。それもそのはずである。二ヶ月前、これよりも北方の県境で私は司書になったのである。もし、相手が腕に自信のある人物であれば、あの塔を狙う可能性は十分にあった。


「だけど、司書の塔にはあのすごい婆さんがいるだろ」

「あの老婦はもう引退されて、残されている能力は殆ど千里眼と読心術に限られています。今、あの塔を襲われてしまえば、独力で守り切れる可能性はありません」

「だが、それなら先生の仲間が助けに」

「恐らく、盲点ではないかと思います。現に、強い技令士が来た跡がありますが、その後に向かったのは南方です。陽動から攻めたのは町だと思われているようです。実際、そちらの方が直接的には有益です。しかし、内田家の伝承ではあの場所に技令の地脈があります。ですので、あの地を抑えられますと、最低でも九州の北半分は技令が混乱してしまいます」

「そんなの、みんな知ってるんだろ」

「いえ。代々あの土地を管理していた内田家だからこそ知っていることです。そして恐らく、私の一族を襲った際にハバリートらもその情報を手にしたはずです」


 内田が唇を噛む。しかし、それよりも今の問題は彼女の言葉の中身であった。確かに、話に聞いた内田家の集落と司書の塔の位置は非常に近い。それに、内田はあまりにもこの周辺の地理に詳しすぎる。それを考えれば、この一帯を内田家が守っていたというのは十分にあり得る話であった。


「だが、技令が混乱するってどうなるんだよ」

「一つ目は空想の生き物が跳梁ちょうりょう跋扈ばっこし、人々を襲うようになります。二つ目はそこに住む人の技力が大幅に低下します。技力は寝ている間に自然から吸収する分もあります。通常はそれが規律に従って入ってくるのですが、その統率が失われます。三つ目は暴走した技力が自然に影響を及ぼすことで自然災害が生じ、生き物の心が乱されます。そして、四つ目はこの一帯が物理的に消滅するという最悪の事態まで考えられます」


 脂汗あぶらあせが滴り落ちる。もう、身体が黙ってはいなかった。内田とともに駆け出す。司書の塔を目指し、流星を伴に暗黒の世界へと身を投じた。




「待っておったぞ」


 司書の塔に着くなり、老婆は淡々と告げた。


「敵ももう来るころじゃ。誰も来ぬゆえ、この地も終わりかと思うておったが、これで少しはしのげそうじゃな」


 老婆の声に焦りはない。ただ、気休め程度に仕掛けられた罠を見る限り、本気でこの場所を一人で守るつもりであったようである。気もほのかに張っているのが分かる。


「しっかし、本当に誰も気づかなかったんだな。私達以外には誰も来ていない」

「お主ら以外で気付く者はおるまいて。内田家以外でこの地の意味を知る者は殆どおらんでの。それよりも、お主」


 と、老婆はそこまで言うと内田を正面から見据えた。戦うことができないとはいえ、それだけで十分に圧倒するものがある。静かに彼女を見る老婆の眼は、歳のせいかわずかににごっているものの、心の千里を見据えるものであった。


「憎しみだけで戦うでないぞ。司書の剣はその心につけこむでな」

「ええ。存じております。司書としての使命を外さぬよう、尽力いたします」


 背筋に寒気が走る。もう十二月も半ばだ。寒気が走るのは自然なことだ、と自分に言い聞かせつつ、私は司書の剣を手に取った。星明りに照らされて刀身が鈍く光る。森から吹きすさぶ北風が髪の毛をあおると、戦慄せんりつがこの場を支配する。


「博貴、来ます」


 内田の一言。その瞬間、全身を重い空気が包み込んだ。


「ほう、陽動を二段に仕掛けておいたにもかかわらず、それを潜ってくるとは、流石にあの一族の末裔まつえいだな。それに、恐ろしい素質の者もいるようだ。今のうちに出会えたのが幸いであったな」


 森の奥から、恐ろしい技力を持った二メートルほどの影が姿を現す。しかし、その姿は人と変わりなく、熱い胸板にしっかりと伸びた脚、彫りは深いものの黒髪で黄色肌の生物が飾られていた。


「ふん、あまりに人間に酷似していたために驚いたか。だが、私はグリセリーナ・ハバリート。レデトール共和国第一軍第三大隊に所属する二佐だ。この塔を殲滅せんめつするべく、来た」

「大隊、だと。しかし、お前の周りには技令の気配はないぞ」

「当たり前た。大隊は全て陽動に回し、県都を襲撃させている。今回の作戦はこの地を技令的に制圧することである以上、私一人がいれば十分だからな」


 確かに、目の前の男からは強い技力が感じられる。恐らく、先程から感じている圧力はこの男の技令によるものなのだろう。しかし、それ以上に強い力を持っていたのは内田の殺気であった。


き出しの殺気とは、そこの少女はいささか命知らずのようだな。確かに力を増してはいるようだが、所詮は三ヶ月前に守られるよりほかに能のなかった小娘。背伸びをしたところで私には敵わぬぞ」

「それはやってみなければわかりません。それに、人間は群れて真価を発揮する生き物です。今宵は二人でお相手いたします」

「しかし、その群れで挑んだ一族が滅ぼされたのも事実。であれば、結果がどのようになるかは火を見るより明らかであろう」


 この程度の挑発であれば、普通は内田も応じることはない。しかし、今の内田は強く唇を噛みしめている。一番、現状で不味いのはこれだ。内田が平生へいぜいを失ってしまっている。


「では参ろうか。折角の待ち伏せだ。せいぜい、あの夜よりは楽しませてみよ」


 ハバリートの一言に合わせて、静寂を切り裂く怒号。内田の一閃は、しかし、瞬く間に矛先を失う。


「どうした、その程度か。怒りにまかせたところで、所詮しょせんは人間ということか」


 風が周囲の気を凝集する。内田はハバリートの言葉に応えるかのように剣と風で襲いかかる。だが、それでは勝つことができないとは一目で分かることだ。明らかに、内田は混乱している。そして、内田が混乱している以上、私が必要以上にクールに闘うしかなかった。

 ハバリートの動きを気配と視覚で必死に追う。そうすれば自然と、内田の行動に合わせているとはいえ、ある特定の点を複数通過していることが見える。相手がスピードで勝る以上、単純に攻撃を当てることは困難だが、軌道が限定されるのであれば話は別である。その一点に力を込めて放てば、多少の勝機が見出せる可能性はある。校長先生の技石もそう簡単に負けることはない。

 目の前にいる敵を見据える。彼女が戦う姿は痛々しいものがあるが、そのような感傷は脇に捨て、私は張った。


「行け、一心不乱に。鶴翼かくよく陣」


 凸型の光陣をハバリートに向かって放つ。空間をも切り裂いてしまいそうなその一撃を、しかし、ハバリートは当然のことのようにかわす。だが、それも狙いだ。


「活魚陣」


 直線が内田の左脇をすり抜け、ハバリートに向かう。回避の点。その一点に的を絞る。


「回避点を襲うとは考えたな。しかし」


 ハバリートは風を放ち、自身の軌道を修正する。そこに内田も襲い掛かるが意味はない。ハバリートは涼しい顔でかわすと、不敵な笑みをこちらに向けた。


「なるほど、少年の方は素養だけではないようだな」


 ハバリートの呟き。刹那、周囲に光が展開される。


「馬鹿な」


 遅い。光が充満した以上、発動した。

 ハバリートの足下には円。伏せておいた光陣が放たれる。敵も馬鹿ではないが、まだ余裕がある隙に今ある最強の陣形技令を叩き込む。そのために、二手の撒き餌を放った。

 否。撒き餌ではない。きびすを返した二つの光陣は、円の中心に向けてさらに襲いかかった。光の中心で、男の影がうごめく。敵の方がレベルが上とはいえ、この一撃に余裕など見せられるはずはない。


「風刃」


 内田がさらに風の技令を放ち、同時に虚空こくうに向かって跳び上がる。交わるのは一点。全てを溶かしつくすような光の中心に向かって、その身を投じた。




 光が止むと同時に、そこには無残なハバリートの姿があった。全身に焼け跡ができ、服は裂け、風と刃によってあばらがき出しとなる。顔は星を崇めるかのように、真っ直ぐ、上を向いている。肉の焼ける匂いが鼻を突き、元の静寂が胸を突いた。


「博貴、これは」


 内田はまだ剣を構えたまま、こちらも向かずに呟く。あまりの呆気なさに、やったのか、とは言い出せないようだ。ハバリートは波打ち際の石膏せっこう像のように動きも時も止まっている。ただ、像とは違って目だけは星に照らされたかのように輝いている。


「お母さん、お父さん」


 内田は力なく囀る。流石に、かける言葉が思い浮かばない。私も何処からともなく湧いてくる脱力感に、司書の剣を収めようと盾に手をかけた。


「まだじゃ」


 琴線を切り落としたのは老婆の一言であった。それと同時に、きりのように鋭い冷気が脳裏を走る。


「上か」


 思わず口にして跳んだ瞬間、私は光の刃に右足を貫かれた。


「おのれ、油断したわ」


 ひざまずき、空を見上げる。そこには、翼を生やした牛頭の生き物。爪は鷹よりも鋭く、硬い肌は見ただけで岩盤を髣髴とさせる。しかし、体格は人間と同じ。そのような黒い影が、遠近法を無視して飛んでいる。


「よもや、変態後の身体を本体にすることになるとは思わなかったぞ、人間」

「くっ、どうやって」

「レデトールの中には変態することにより、高度に戦うことのできる者もいる。その一人が私だ。身体の中にこの肉体の基を埋め込み、それを技令によって解放する。それは本来、戦いのためにあるもの。だが、貴様らのせいで本来の身体が滅んだ以上、この肉体に魂を移すしかあるまい」


 目の前を見る。ハバリートの身体に空いた、一つの穴。それは、何かが突き破った跡なのであろう。安堵あんどのあまり、見切れていなかった。だが、悔やんだところで仕方ない。


「内田、行けるな」


 言うよりも早く、内田は意識を集中させている。空を敵が飛んでいる以上、技令を駆使するより他にない。


「博貴、回復されていてください。明らかに深手です」

「馬鹿なことを言うな。回復する前にどうにかしないと共倒れだ。それに、足は何とか動く」

 詭弁きべんである。しかし、状況が回復を許さない以上、攻めるより他にない。意識を集中させる。とはいえ、ハバリートも炎を吐き、そのような余裕は与えようとしない。


灼熱しゃくねつ業火ごうかしずめよ、流水」


 水を放ち、壁にする。ごう音。爆風が身体を浚う。右足を抱えたまま後方に投げられる。近すぎた距離を悔やみながら、それでも、集中を切らさず、光を形にする。


「漆黒の戦いに一抹の光を。ラックス・ピラ」


 手に形作られた光の槍を投げる。内田から次々と放たれる風の刃の合間を縫い、空を駆け上る。シリウスの下、ハバリートの大腿だいたいに突き刺さる。


「おのれ、一度ならず、二度までも」


 滑空。


「博貴、避けてください」


 直線。


「ダブル――」


 閃光。


「――カッター」


 眩惑げんわく

 痛みより先に、意識が飛びそうになる。だが、それを許すまいと、鈍い痛みが体心を突く。見れば、服が朱に染まっている。目の前で覆いかぶさっている内田も、赤い。それが、自分の血だと気付いた途端、私は抉られた両肩に愕然がくぜんとした。


「いい気味だ。少々、悪戯の度が過ぎたようだな」


 不味いのは直感で分かる。それよりも、目が霞む。


「博貴、申し訳、ありません」


 顔を埋めたまま、内田が言う。嗚咽おえつが混じる。風が傷を抉る。


「大丈夫だ、内田。回復すれば」


 状況は最悪だが、回復できないことはない。ただ、頭上を旋回しているハバリートが、そのような時間を与えてくれるかどうかである。


「貴方に、このような傷を負わせてしまって」


 頭に少し冷たさを覚える。


「許せ、ません」


 ゆったりと、内田が身体を起こす。寒気が止まらない。


「貴方だけは、絶対に、許しません」


 血が失われているのだろうか。


「小娘、感謝するがいい。そこの小僧の方が先にく。冥土の案内は」


 もう、半分ほどは聞き取ることもままならない。だが、止めなければと、誰かが叫ぶ。回復技令をかけながら必死に内田を見る。震え、紅潮している。


「よかろう。ならば、仲良くくがいい。」


 内田が真っ直ぐ、司書の剣を構える。


「四方を守る者どもよ、憎き仇敵を前に我が下に従え。守られし光よ、我が仇敵を焼き尽くせ。正方陣」


 一帯に、見たこともない複雑な光の線が走る。陣形技令であるのは明らかだ。このようなものを喰らえば、ひとたまりもない。痛みと震えと鈍重の支配する身体を奮い立たせ、立ち上がる。

 が、遅い。技力は線に充填じゅうてんされ、発動も間近。足も動かない以上、逃げようもない。

 悔しさが、脳裏を掠める。恐怖が、その後の闇を支配した。


「ぐっ、このような」


 しかし、その次に襲ったのは光ではなく、ハバリートのうめきであった。見れば、羽に大きく穴が開いている。バランスを失い、滑落する。ごう音とともに、うなりが聞こえた。

 それは、痛々しいうなり。

 見れば、目の前の少女は紫のもやに包まれている。何かの技令なのだろうか。それにしては、私の足は痛んでいるとはいえ、竦んでいる。ハバリートにではない。明らかに、内田に対してである。

 彼女がこちらを見る。もう、そこに正気はない。開き切った瞳孔と朱に染まった白目が全てを物語っている。


「クカカカカカ」


 狩られる、と何かが告げている。彼女は無造作に剣を振る。刹那せつな、私の身体が宙を舞う。胴が串刺しにされたように痛い。


「内田、何を」


 だが、次の瞬間にはもう、その影は失せていた。




 極寒の下、私は一人取り残される。ただ、その身も心も、ひどうつろであった。

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