(28)冬の道

 翌朝、すっかり傷の癒えた、と言いたいところであるが、実際には半分ほど傷の癒えた状態で内田に心配されながら登校した。見えるところは回復させたのであるが、見えない部分は中々に傷ついている。技力も七割程度しかないようであり、昨日の消費を一気に回復することはできなかった。


「普通の技令士でしたら、あれだけの技力を回復させるには一週間はかかります。それを考えますと、異常に早い方ですよ」


 朝起きて、内田の第一声がやや優しかったのが唯一の救いであった。

 渡会はといえば、直接的に傷をつけたわけではないので、いつもと変わらない様子で登校していた。精神力自体は低下しているようであったが、私のように体力も技力もボロボロという状態ではなかった。


「これじゃ、どっちが負けたのかわかんねぇじゃねぇか」


 渡会は笑いながら言っていたが、私の方としては体育の授業で動く度に痛みを感じるため、冗談を言っていられる状態ではなかった。それでも、午後には技力も十分に回復し、その余った技力で自分に回復技令をかけることで傷を癒した。

 昼食時、内田に言われた。


「しかし、回復技令まで習得された以上、もう、知識を除けば、博貴は私を超える技令士になったようですね。悔しくはありますが、いつかはくることでしたから、仕方ありません」

「そう、なのか。でも、回復技令なんか関係ないだろ」

「まず、技力が渡会さんとの戦闘で博貴が私を抜きました。戦闘力で言えば陣形技令がある以上、私は博貴に及びません。そして、治癒、回復、蘇生は人を傷つけるのではなく、人を救う技令です。私が辿り着こうとして、まだ、見えない地平です」


 自覚はない。それでも、内田の表情には強い説得力があった。哀惜あいせき憧憬どうけいたたえた、深い漆黒の瞳に、私は閉口してしまった。




 それからは、毎日のように本の移動で忙殺される日々が続いた。後輩を管理しながらの困難な作業が続き、月の変わり目も分からなくなるほどであった。


「これは技令士の修行か何かなんでしょうか」


 内田が思わず声を漏らしたほどであった。ちなみに、内田の担当は図鑑の多い自然科学担当であり、内田の体力を計算した上での行動であった。一方、私の方はさらに厳しい零番台、すなわち、辞書である。下に二人と力自慢の渡会を従えての移動であったが、計画通りに進めるのが精いっぱいで、山ノ井や土柄の担当する番号には大きく溝を開けられていた。まあ、それでも、最大の難関である水上の九番台はには負けていなかった。

 十二月十四日、難航していた本の移動作業が完全に終了した。完全とは言ったものの、実際には、出てきた破損した本の修理や三学期に行われる戻す作業の予定案作成など、やるべき仕事は多く残っている。それでも、部員らには安堵あんどの表情が浮かび、六時のチャイムと同時に、明るい顔をして帰宅していった。


「山ノ井、これ、本気で戻すんだよな」

「ええ。新学期早々を予定していますが」


 私と水上が同時に溜息を吐く。ここ数日、筋肉痛の続くという水上は、そろそろ体力的にも限界が来ている。私も、そろそろ来るであろう限界をひしひしと感じながら、それでも、両腕に力を籠める日々を続けての今日であった。正直なところ、二度とはやりたくない作業である。それでも、家に帰れば一月の計画の原案が机の上にあり、水上も同様に社会のノートをそれで埋め尽くしていた。


「戻す方が面倒なんだよな、正直。行きは階下だからいいが、帰りは階上だからな。まあ、計画の原案はできてるから、できはするんだが」

「近いうちに、拝見させていただけませんか」

「ああ。週明けには持ってくるようにするさ。水上もそれぐらいにはできるだろうよ」


 近くで、水上が少し跳ね上がったかのような動きを見せる。終わっているのではないかと思っていたのであるが、実際には、これからというところであったのだろう。窓がかたかたと震える。薄暮が光でおぼろげだ。


「じゃあ、今日は帰るな。親の帰りが遅いから夕飯を作らないといけないんでね」

「お、二条里が作んのか。内田の方がうめぇんじゃねぇのか」

「はは、なら渡会が食えよ」


 一瞬の殺気は気にしないようにする。鞄を引っ掴み、急いで校舎を後にする。

 校門に黒い影。それが辻杜先生であると認識した次の瞬間には、煙草に火が灯された。


「先生、どうされたんですか、あの部屋まで本は侵食していないはずですが」

「二条里、ハバリートが県内に入った。さっき、俺の知り合いが電話をくれたんだが、県境の技令のバランスが乱れているそうだ。俺はこれから県境に行ってくる。十分に気をつけろよ」


 辻杜先生の口元がわずかに緩む。ただ、目元は厳しい。揺れる煙が夜風に煽られ、けたたましく天へと昇ってゆく。


「あと、今回の戦いは校長が補助についている。この一帯には結界を張ったが、どこまでハバリートの戦力を削げるかは分からん。それに、校長自体は結界技令と結石の能力者でしかない。実際に戦うのはお前達だ」

「え、校長先生は技令士だったんですか」

「ああ。技石を作る能力でこの世界では割と有名だ。ほら、これを預かってるから、使え」


 先生がいくつかの宝石を投げてよこす。いずれも色は燃え盛るような紅で、それだけで、物を燃え上がらせるよう。漆黒の闇で激しく力をたぎらせる石達は、しかし、その中心に静かに黒い点を一つ湛えていた。


「補助の技石だ。使い道はお前たちの好きになるようにしてあるらしい。想像しろ。それで、なんとかするんだ」


 そう言うと、辻杜先生は煙草を投げ捨て車に乗り込んだ。けたたましくエンジン音が鳴り響く。その中で、先生はわずかに窓から身体を乗り出すと、


「いいか、この戦いは私怨しえんだけで戦うなよ。あくまでも、人類の将来を賭けた戦いだ。いいな、内田」


そう言って、日常の道路へと溶けていった。

 嵐の後を窺うように、私は内田の顔を覗き込んだ。そこには、無表情に徹する内田の面があり、その奥には、絶え間ない揺るぎがあった。


「博貴、とりあえずは帰りましょう。今はまだ、何かをするべき段階ではありません」


 内田の言葉に従って、私は帰途に就いた。ただ、わずかに内田の肩が震えているのを見逃すことはできなかった。




 帰宅。夕食。入浴。普通であれば何も案ずることのないこの一連の動作が、私には気がかりでならなかった。帰宅時間も、食事量も、入浴時間も、内田は何一つ変わりがない。会話も違和感がない。だが、それが異様なことであった。

 内田は情熱家である。この短い付き合いを通してでも、私にはそれが十全に感じられた。作戦としては回りくどい方法をとることもあるが、基礎としては、行動を重んじる。状況の変化に動じることはないが、何かしらの反応は示してゆく。つまり、こうした場合には、とりあえず戦いに行こうというのが彼女の本質なのである。

 それが、今回は明らかな待ちの姿勢である。勉強して変化した、と言われてしまえばそれまでであるが、それにしても、二人の食卓で話題にも上らないというのはあまりにも不自然である。

 だからこそ、今回は罠を張った。内田の一族を殲滅せんめつした相手である。一人で仇討ちをされようものなら、たまったものではない。それだけは避けるべく、町中に召喚獣を放つことにした。召喚技令自体はなぜか簡単に用いることができたので、小型の青いスライムを多数放ち、町中を見張らせたのである。ただ、それだけでは技力で内田にばれてしまう可能性があったため、さらに、校長先生の技石を利用して市街一帯に線を張り、内田の通過を監視することにしたのである。その結果、案の定、内田は窓から外へと飛び出したのが確認され、スライムの追跡により、海岸線を使って北上していることが分かった。無論、その後を追う。軌道を読み、回り込んだ先で、内田は呆然ぼうぜんと私を見詰めていた。


「どうして、博貴が」


 内田が半歩退く。決して間合いを詰めているわけではない。それでも退いた内田の額にはかすかに汗が滲んでいた。


「散歩にしては遠すぎるんじゃないのか」

「この格好が散歩に見えるのですか、博貴は」

「ま、少し変わった格好だけどな」

「全く、御節介が過ぎる方ですね」


 内田が深々と溜息を吐く。


「呼び戻しにいらしたのですか」

「ん、なんでだ」

「辻杜先生も仰っていました。この戦いは私怨しえんで戦うな、と。しかし、これから私が赴こうとしている戦いは私怨しえんになります。博貴なら、連れ戻されるはずです」

「まあ、確かに完全な怨恨しえんなら私も止めるだろうな。だが、今回の戦いは日常を守る戦いでもあるんだろう。なら、私も参加しないといけないだろ。それに、内田一人を戦いに行かせるなんてできないからな」


 内田が目を丸くする。少なくとも、私は行く気で剣も技石も持っている。気迫でも戦力でも私は彼女に劣っているだろうが、彼女を一人で敵陣に突っ込ませるようなことはできない。たとえ、彼女にとっては足手まといにしかならなくても、私は死力を尽くして戦うつもりである。だからこそ、私は彼女の眼を真っ直ぐ見据える。絶対に曲げられない、意思を示す代わりに。


「これから先は冬の道。漆黒と冷気が支配する世界です。それでも、博貴は来るというのですか」

「その冬の道に、親友であり、家族でもある女の子が進もうとしているんだ。逃げるわけにはいかないだろう。それに、冬の夜道は二人で進んだ方が温かいだろ」


 内田がかすかに紅潮している。ただ、その視線は穏やかだ。もう、それだけで十分だった。

 彼女の進んだ後を、沈黙と共に付き従う。深く澄み渡った夜空の下、私達は県北へと駆けた。

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