(27)色彩

 日も沈もうとしている中、私と内田は渡会の案内に従って進んでいた。この時間ともなると、少しだけ肌寒さが際立ってくる。木々のざわめきが少しずつ夕闇を深くしてゆく。


「渡会、一体、どこに行くつもりなんだよ」


 私の問いに、渡会は少し笑うだけで返す。一方、内田は少し呆れたような表情で無言を通す。困惑しているのは私一人であり、奇妙な連帯が内田と渡会にはあった。


「このままだと完全に日が暮れるぞ。何をしたいんだ」


 渡会の表情は明るい。これから、祭りにでも行くかのような表情だ。それでも、返答はない。その代りに、答えたのは姿を現した古びた社であった。

 二ヶ月ほど前、私と内田が戦った場所であり、岩波との戦いを経て至った場所でもある。その前に渡会は立つと、静かに告げた。


「ここでやることっつったら、一つしかねぇだろ」


 胸が鳴る。遠くの方から聞こえるカラスの声が無常を際立たせる。この場所でやることなど、それこそ、一つしか思い浮かばない。ただ、それを否定する。少なくとも、目の前にいる親友からは何の気配も感じられない。感じたくはない。ただ、落葉の悲鳴を浴びるだけで十分だ。

 それを、内田は破った。


「博貴、気付かれなかったのですか。博貴は渡会さんから決闘を申し込まれたんですよ」


 土の香りが、一瞬、鼻腔の奥を突いた。切ない希望など、一瞬で崩れ去る。空間の中心には私と渡会、その脇で、内田は静かに表情を殺して佇んでいた。


「そんな、なんで」

「分かんねぇかな。ま、正しくは試合なんだけどよ。二条里、おめぇ、強くなったんだろ。あの川澄を倒したぐらいだ。今なら、おめぇといい試合ができると思ってよ」

「川澄のこと、知ってるのか」

「言ったろ、何があったか知らねぇけど、分かるって。金曜の夜に学校に俺も来たんだよ。強い技力が出てるって反応があったからよ。そしたら、逃げるように戻ってく川澄と内田を負ぶって帰ってく二条里とが見えたんだよな。だから分かったんだ。おめぇが倒したにちげぇねぇって」


 世界が天頂を中心に回転する。脳が地球と反対に回転する。困惑の度は深い。ただ、目の前にいる親友は楽しそうに笑っている。


「ま、内田に来てもらったのは審判みてぇなもんさ。それに、互いに致命傷まがいの攻撃したら、止めねぇとなんねぇだろ」

「それなら、決闘なんて」

「俺は体則士なんだ。だから、強い奴がいたら試合をする。勘違いすんじゃねぇぞ。今からやんのは試合だ。命の取り合いはしねぇ。でもよ、手加減はなしだぜ。ワザと負けやがったら、そん時は承知しねぇかんな」


 渡会が気合を入れる。それだけで、恐ろしい闘気が放たれるのが分かる。今までも複数の敵と戦ってきたが、体則の気だけでこれ程の威圧感を放ってくる相手は初めてであった。


「まあ、心配すんなって。回復技令の入った技石は持ってきた。怪我しても安心して元通りだぜ」

「でも、渡会を傷つけるなんて」

「分かんねぇかなぁ。今日に限っては戦わねぇ方が傷つくんだ、心がよ」

「ええ。親友でしたら、受けて差し上げるべきです。私も博貴と戦ったおかげで、こうして、友人になれたのですから」


 内田の声に、一つだけ迷いを吹っ切る。無論、全てが理解できるほど頭は回っていない。それでも、意を決して申し込んできたであろう親友の拳に、私は司書の剣を構えることで応えた。


「嬉しいぜ。勝っても負けても恨みっこなしだ。技令も使ってこい。行くぜ」


 一声。一瞬。一撃。三拍の合間に繰り出された渡会の拳を司書の剣で受ける。刀身、柄を経て振動が伝わる。しびれる。そのような合間に、私は舞った。顎があった場所に拳が見える。


「へへっ、山突きの本突きの方を抑えるなんてやるな。あれだけで、試合は終わってたぜ」


 揺れる脳を抑え、立つ。既に口の中は鉄で覆われている。急いで光陣を展開する。浮く。土と抱擁ほうようする。


「博貴、渡会さんはただの体則士ではありません。色彩法しきさいほうを用いる体則士です。簡単な技令であれば、力の流れで破ってしまわれます」


 内田の声が意識の片隅に聞こえる。だが、悠長に考えている余裕はない。鞭のようにしなる脚。銃弾のように舞う拳。的確に喉を捉える腕。そのいずれもが必殺。気を抜けば、容易く破られる。


「風刃」


 自分自身に風技令を当てて、吹き飛ばす。一瞬で、間合いが開く。


「逃げてばかりじゃ負けるぜ、二条里」


 渡会は悠々としている。一方、私に余裕はない。これだけ間合いを離しても、二秒もあれば消えてしまう。隙など見せようものなら、一瞬で沈められる。


「ったく、冗談じゃない強さだ。川澄の方が、いくらか弱かった」


 あごをやられているため、意識が弱い。気を抜けば、一瞬で沈んでしまう。その中で、思考する。渡会の踏込に対して、反射だけで対応する。殴る。流す。蹴る。受ける。体則の素養は明らかに渡会の方が上。技令も普通には通用しない。放った火は打ち消され、怒涛どとうの水は四散した。そうである以上、勝つには精神と思考しかない。そして、想像する。

 左肩は砕かれた。剣は右で持てばよい。

 蜂が舞うように、次々と繰り出される攻撃。そのいずれもが必殺。その必殺の因果を潜り抜け、潜在意識の奥深くから智嚢ちのうを引き抜く。

 その時、一瞬だけ渡会の動きが見えた。否、感じることができた。流れゆく時と空気と空間の歪、その狭間から放たれる彼の拳は異質だった。それを、流れに合わせて打ち返す。


「おぅ、見切りやがったぜ」


 渡会の言葉のように、なぜか知覚できる。まだ、視覚も聴覚も一拍外れているが、意識的にかわすことだけはできる。歪みが分かる。その一事だけで想像も追いつく。


「だがよ、それだけじゃ終わらねぇぜ。色の崩壊」


 渡会が不意に私の首筋の外れを突く。無論、少しだけ身をかわす。しかし、次の瞬間、私の身体は糸が切れたように力が抜け、そのまま砕ける。ひざまずき、それでも、全力で飛び退く。


「何だ、今のは」

「色彩法と拳法を交えた技だ。その瞬間、色の一番弱ぇとこを突いて、技令の元を直接攻撃すんのさ。ま、二条里の技力がすげぇのか、一割もげなかったけどよ」


 身体が重い。明らかに、身体が動かなくなっている。それもそのはずだ。精神を直接攻撃されたようなものである。渡会も笑いながら、少しだけ息を荒げている。諸刃の剣、ということなのだろう。しかし、消耗の度を比べれば、明らかに私の倒れる方が早い。

 単純に考えれば、勝ち目がない。技令が容易に通用しないうえ、斬りかかるにも、その間合いを取ることができない。まだ、持っているのが日本刀であれば速さでしのぐこともできようが、司書の剣は西洋の剣だ。力でじ伏せるよりほかにない。

 一度だけ、深く息を吸う。ただ、一撃を頭の奥底に刻みつけ、私は渡会に正眼で構えた。左腕はぎこちないものの辛うじて動く。この状態で放つ一撃がどの程度の威力になるかは分からないが、悩むよりも放った方がよい。

 渡会は良い笑顔をしている。


「必殺の、一撃っつうことか」

「技令だけで押し切ることができない以上、やるしかないだろ」

「そんなら、俺も受けて立つぜ」


 渡会が低く構える。右腕に強い気が集まってくる。彼も、次の一撃に勝負を賭けようとしている。素早さで劣る以上、その一撃をどうにかしてしのぐよりほかにない。

 そして、しのぎ方は一つしかない。

 深く息を吐く。覚悟は決めた。親友を倒すために、全てを受ける覚悟を決めた。


「行くぜ、乖離点かいりてん――」


 渡会の上体が下がる。


「――一破いっぱ


 弾丸が放たれる。渾身こんしん。点が一瞬で迫る。身体の対応など追いつかない。

 逃げられない以上、受ける。ただ、


「技力放射」


全ての技力を開放する。


 身体にある技力を突く以上、それ全てを塊にして撃つ。無色の技力が空間の歪みとなって渡会に迫る。くらむ。

 それでも、両脚を立て、耐える。渡会の苦悶くもん

 それでも、彼はそのまま迫る。殺された勢いをそのままに、臨む。

 拳が眉間みけんに刺さる。

 刹那せつな


「こいつ」


渡会は緩やかに、横に、倒れた。私も、そのままうずくまる。息が肩から出るようで、全身に回る眩暈が彼の攻撃の威力を物語っていた。それでも、意識は残っている。それを掴み、私は立ち上がった。剣を杖にして。


「ったく、受けた上で、鳩尾みぞおちに一撃か。剣を構えやがったから、胴か突きと思ってたら、で打ちやがるなんてな」

「ええ。それに、技力全てを渡会さんにぶつけたのも驚きました。確かに、私は博貴に魔力放射は教えましたが、色彩法への対応に用いるなど思ってもみませんでした」

「でもよ、確かに技力が空んなった相手に色彩法はほとんど効かねぇ。それに、二条里の技力の塊に耐えられるほど、俺は色彩法を使えねぇ。全く、すげぇ戦略だぜ」


 渡会は倒れたままだ。それでも、表情は明るい。


「いい試合だったぜ、二条里。あんがとよ」


 渡会の一言に、私も少し気が緩んだ。覚悟はしていたものの、やはり、不安は幾分も残っていたのである。私は渡会の手を取ると、再び蓄積された技力で祈りを込めた。


「病める者に一抹の光を、ヒーリング」


 渡会の身体に無数に刻まれた焼け跡が穏やかな光とともに、消えてゆく。回復技令。唯一、望んでも手に入らなかった技令が今、親友のために解放された。


「どこまでも、やりやがる野郎だぜ。ま、試合相手の回復を受けるのも、悪かねぇけどよ」

「だろ。私も使いたかった技令が使えるようになったから、悪い気分じゃないんだ」


 私と渡会は二人で笑った。傍らでは内田が静かにたたずんでいる。日がどっぷりと暮れた初冬のひと時、回復技令の光だけは暖かかった。

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