(26)対比

 翌々日、私と内田は二人で図書室に来ていた。朝から回復の認められた内田は、私が断ったにもかかわらず、私の手伝いをすると言ってついて来たのであった。まあ、そうである以上は何もさせないわけにはいかず、新刊に張り付ける一式の準備や筆記を頼んだ。今回の冊数は中々に多く、百冊以上はあるが、内田のおかげで早々に終わりそうな気配を出している。ブックカードに書かれた本の題名は、内田の切れ味の鋭い綺麗な文字列で占められることとなった。


「さすが内田だな。私が書くより字が綺麗で丁寧だ。何だかんだで来てもらって助かったな」

「確かに、博貴の字はこうした事には不向きですからね」


 こればかりは何も言い返すことができない。私の書いたブックカードや貸出カードは多数存在するが、確かに、造形美としておかしい。それに比べれば、内田の逸品は美麗だ。


「そういえば、博貴。先日の川澄さんの件は辻杜先生に報告されましたか」

「そういや、まだしてなかったな」

「いい機会です。博貴を襲ったなどという輩を早々に報告しましょう」

「いや、まあ、別に急がなくても。それに、勝ったんだから別にそこまで気にする必要は」


 と言いつつ、内田の顔色をうかがう。明らかに不服そうな表情をしている。私は静かに溜息ためいきくと、辻杜先生の下へと行く覚悟を決めた。

 先生は日曜もいつもと同じ喫煙場所にいる。今日は比較的にしても暖かいが、この時期、先生は黒のジャンパーを欠かすことはない。その先生と御冠おかんむりの内田の前で、私は一昨日あったことをつぶさに報告した。


「そうか。川澄の襲撃を受けたのか。まあ、二条里の今のレベルなら、丁度いい練習試合になっただろ」


 辻杜先生は存外にも飄々ひょうひょうとしている。日頃は持っていない缶のカフェオレを飲みつつ、煙草を静かにくゆらせた。


「それにしても、やはり川澄は陰の技令士だったか。本来は図書部に入れようと画策したが、個性の強すぎる面子が揃いすぎてたからなあ。諦めたんだ。とりあえず、素養的にははるかに上の二条里が加入したからいいだろう」

「どれくらい上だったんですか」

「そうだな、川澄と比べれば五ランクは軽く上だな。川澄は一般の司書よりも技令素養が高いが、二条里の場合は素養だけで言えば列伝司書クラスを上回っている」

「ええ。確かに博貴の素養は今までお会いした技令士の中で最大です。当代の英雄というのは最も相応ふさわしい表現ではないでしょうか」


 内田の言葉に裏はない。ただ、淡々と現実だけを見詰めて述べている。辻杜先生にしても同じであり、切ないほどに悲痛な現実が、落ち葉の上に降り注いだ。


「いずれにしても、当面、最大の敵はハバリートだ。それまで、二条里。気を抜くんじゃないぞ」

「そういえば、そのハバリートと邂逅かいこうしてしまった場合、どうしますか。逃げた方が無難ですか」

「いや、お前が倒せ。川澄との戦闘の話を聞く限り、十分に対抗できそうだからな」

「ええ。伝説級の武器により発動された祭壇技令を受けながら、陣形と時間技令を同時に発動させたなどという話は聞いたことがありません」


 あれは普通のことではなかったのか、という私の返答に内田は静かに見据えるだけで答えた。無言の圧力が異様に恐ろしい。


「俺も多くの技令士と戦ってきたが、そんな無茶は見たことないな。普通にやれば身体ごと溶ける。それに、戦いを始めたばかりだというのに、お前の勘は鋭くなっている。俺が下手に戦うより安全かもしれん」

「しかし、先生がかなわない相手では」

「誰がかなわないと言った。俺が下手に弱い敵と戦えば、受けきれずに、この島が沈むかもしれないんだ」

「島、ですか」

「ああ。九州全土が海になるかもしれん。もう少し弱ければ、体則も開放せずに倒せるんだが、中途半端な場合、面倒なんだ」


 顔から血の気が引く。隣にいる内田も珍しく、同じような表情をする。それはそうだ。辻杜先生の動きひとつでこの足元が無くなるのである。下手は絶対にできない。

「しかし、二条里も五大技令全てを修めたか。これなら、案外に早く俺の地平に来れるかもしれんな」

「先生の地平って、地球を軽く壊せるような化け物になるということですか」

「まあ、そういうことだ。ただ、お前の基本は陽の技令。それに、性格を考えれば俺とは違って創造の方に向いてるだろうな」


 うっすらと、辻杜先生の顔が煙で隠れる。俺とは違ってという一言の裏に、なぜか、私は哀惜あいせきの念を感じずにはいられなかった。その時、辻杜先生の視線はゆらりと舞った銀杏いちょうの葉に注がれており、その先の燃える山をどことなく捉えていた。




 翌日の放課後、いよいよ私達は本の移動の準備に着手した。閉館は水曜日からであるため、本格的な移動はできないが、物品の整理やダンボールの手配など、やることは山積していた。


「おい、こんなんいくつ作りゃいいんだよ」


 ダンボールの組み立て担当になった渡会が悲鳴を上げる。しかし、この程度で音を上げてもらっては困る。少なくとも、あと二百は作ってもらわなければならないのだ。それに、私も地味な作業ではあるが、わたしたちの郷土なる教育委員会製作の小冊子を整理し、移動させる準備をしているのである。この冊子を閉架館で見つけた時には愕然がくぜんとし、開架に担当を変更してもらおうかと真剣に悩んだほどである。それでも、この二千冊程度の小冊子を必死に束ねながら、移動させやすいようにしてゆく。水上と土柄は授業で使う各種辞書の整理とコンテナ詰めをし、山ノ井は今後の段取りを集合した部員に説明している。


「あの、博貴、私も他に何かした方がよろしいでしょうか」

「いや、内田はカウンター整理と接客に集中してくれ。こっちで手が回らないから、しっかりと頼む」


 内田が恐縮そうにカウンターの中で細々と仕事をしているが、こちらからすれば入って二ヶ月かそこらの部員を一人でカウンターに入れている時点で、相当にひどい。それを任せられるだけ内田は成長しているのであるが、それ以上に、人数がけないという物理的な問題があった。


「以上で説明を終わります。何か質問がありましたら、すぐに僕か水上君、二条里君に質問してください」


 山ノ井の説明がやっと終わる。半時間以上かかった説明ではあったが、実際の仕事をスムーズにやるためには必須条件である。それでも、やはり疲れた部員が多かったらしく、いそいそと部活や帰宅の途に就いた。実際に作業が始まればこの程度では済まないことを彼らは知るよしもない。まあ、私や水上のように連日七時過ぎまで作業のために残る必要がないので、まだ楽なのであろうが。


「山ノ井、悪いがカウンターを頼む。内田に整理の説明をしてくれ」


 山ノ井は微笑むと急いでカウンターに入った。内田にも簡単に説明はしているのだが、そこはやはり年季の差である。山ノ井は的確に状況を判断して移動に向けての整理を始めた。


「内田さん、あれから風邪は治られましたか」

「はい。早く帰らせていただいたおかげで、すっかり、熱も下がりました」

「それは何よりです。ただ、これからしばらくは重労働が続きますので、何かありましたらぐに僕に相談されてください。あと、そちらのカードの山をこのように種類分けして、かごに詰めていただけませんか」


 山ノ井は世間話と説明と指示を器用に織り交ぜながら人を使う。あの辺りのセンスは天性のものなのだろう。私はといえば、先程から飽きのきている渡会から文句を言われ続けている。


「そういや二条里よぉ、おめぇ、川澄とも接点ができたらしいな」


 その文句の最中、渡会は平然と恐ろしいことを告げてきた。思わず、掴もうとしていた冊子を落としてしまう。


「噂で聞いたぜ、川澄が二条里をライバルにするっつって、公言したってな。次のテストで絶対に勝つそうだぜ」

「そ、そうなのか。そんな話、私は聞いてないが」

「何があったかしらねぇけどよ、まあ、分かりはすっけどよ、お前も運ねぇよな」


 渡会は他人事のように笑うが、こちらは冗談では済まない。通りで廊下を歩く度に、今日は殺気のある視線が向けられるなと思っていたのである。これで、敵の数が増大したのは言うまでもない。そろそろ、この学校から私の居場所はなくなるのではないか、と自嘲じちょう気味に思ってしまう程だ。奥に詰められていた本のほこりっぽい匂いが鼻腔をかすめる。


「ま、内田も川澄も俺の趣味じゃねぇからいいんだけどよ、これ以上、敵作んのはよくねぇんじゃねぇか」

「はは。作らない方法があれば教えてほしいよ」


 ちなみに、渡会の趣味はもっとさばさばとしたグラマーな美人だという話だ。そんな中学生がいるわけもないが、別に彼女ができるのは後でもいいと思っているらしく、我が道を行っている。ある意味では、一番の大人だ。

 外は部活の喧騒けんそうで覆われている。この時期ともなると、日没に合わせて部活の時間も制限されてしまい、そのせいか、時間を無駄なく使おうとする。本来、専門部活動も下校時間が繰り上げられるのであるが、今回は『特例』として七時まで許可されることとなっている。必ずしも嬉しい特例とは言えないが、すみやかに終わらせるには必要な条件でもあった。その代り、土日に出るようなことは基本的にないようにしている。まあ、私と水上はそれでも必要に迫られて来ることになるだろうが。


「そういや二条里、この後空いてるか」

「この後って、この整理の後か。まあ、用事はないけど」

「ならよ、内田を連れて付き合って欲しいことがあるんだが、いいか」


 渡会がガムテープを切り分けながら、それでも、嬉々として言う。一瞬、窓が北風に揺られた。


「ああ、遅くならないなら構わない」

「ま、それは二条里しだいだな。それなら、早いとこ終わらせっちまおうぜ」


 そう言うと、渡会は切り分けたガムテープで素早くダンボールの組み立てを再開した。他の面々も、それぞれに自分の作業に集中する。外は少しずつ冷ややかな空気に包まれる頃であったが、図書室の中はどこか暖かく感じられた。

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