(24)兆候

 期末試験がいよいよ前日に迫ろうとする頃、時雨が校舎を濡らしていた。すでに、クラスの半分ほどは諦めの感情をあらわにしているが、小遣こづかいとクリスマスプレゼントのかかった方々は鬼の形相ぎょうそうで授業を聞いている。その中で、内田は物憂ものうげに、外を眺めていた。内田が授業中にほうけることなど珍しい。


「内田、何か考え事か」

「ええ。この雨の原因を考えていたところです」


 内田の見上げた空に、低くれこめた雲。これだけであれば、日常と何も変わらない。ただ、内田がこうして考えているのだ。異常であることに間違いはなかった。


「技令の、雲なのか」

「いえ。雲自体からは技令を感じることはできません。ですが、この雲行きは何か、胸騒ぎがしてならないのです」


 内田の声は、いつになく鋭い。針のように降りしきる雨が校庭を水で溢れかえらせている。


「気圧の低下や気流の関係を見た限りでは、雨でも、これは明らかに不自然な雨です。可能性でしかありませんが、レデトール星の誰かが動き出したのかもしれません」

「レデトール、って、例の侵略をしようとしている奴らか」

「ええ。技令や体則を雨でぼかすというのは、昔から使われてきた技法ですから。この大切な時に、何も起きなければいいのですが」


 二人で外を眺める。不意に、校庭に辻杜先生の影が見えた。表情は暗い。明らかに、何かの前触れを察知したような眼をしている。


「博貴、止むを得ません。何かありましたら、剣をとりましょう」


 内田の言葉に、頷く。互いに、空気は鋭かった。




 二日後、期末試験も真っ只中の放課後に事態は急変した。


「二条里、この時期に悪いが、レデトールの一派がこの県の中に入った。俺も戦いに赴くつもりだが、何かあれば、お前たちに頼むしかない」


 辻杜先生は降りしきる雨の下、白煙を立てながら、静かに告げた。横にいる内田の表情も暗い。一番暢気であるのはそれこそ、何も知らない私であった。


「あと、二条里は明らかに他の技令士から狙われている。強大な技令素養が技令へと変化しつつある今、技令士から見れば、早目に討ってしまいたい対象になりかねないからな」

「確かに、博貴が敵でしたら、私は間違いなく討てる今のうちに、勝負を決めてしまいます」

「そんなに、私は危険人物なんですか」

「ああ。技令素養だけで行けば、英雄だ。生き残れば、英雄になる。まあ、その時は俺でも勝てるかは分からんな」


 細く立ち上る煙が、少しだけ歪む。その歪みが、少しだけ私の方に揺らいだかと思うと、再び煙はそのまま天に上るようになった。


「それにしても、二条里。今回は頑張ってたな、国語のテスト。いつも以上に丁寧な試験対策ができていたようだが、この調子なら、三回連続で学年一位だな」

「今回はヤマが当たりましたから」


 実際には、ヤマ賭けなどしていない。ただ、そこまで上がったのはある程度は運であると思う以上、こう答えるよりほかになかった。それに、負けず嫌いの内田が横にいる以上、あまり多くを語らない方が得策でもある。


「最後の奇跡にだけはするなよ。生きて帰ってくるのは全ての作戦の基本だからな」


 辻杜先生は真っ直ぐに私を見据える。こういった時の辻杜先生に逆らうことは、私にはできない。ただ、静かに温もりと哀惜を湛えた眼差しは、いつでも、私達に様々なことを教えてきた。その中でも、今日の眼差しは特に熱かった。


「あと、内田。お前の一族を滅ぼした奴の正体が掴めた。レデトール星のグリセリーナ・ハバリート。レデトール共和国の二佐に当たる人物だ。陣形技令、炎技令、光技令などの陽の技令に精通していて、陰の技令を操る内田家には天敵だったようだ」


 先生は、内田から視線をらすことはしない。内田の表情にもかげりはない。ように見えるだけであり、実際には、わずかにだが肩が震えている。殊更ことさらに表情を消そうとしている時、内田は間違いなく、怒りを覚えている。


「ただ、可能性として考えられることだが、次に二条里を狙うかもしれん。丁度、素養に対してレベルが低い。そうなれば、士官として戦果になるからな」

「確かにそうですね。勝てるようでしたら、その可能性は高いと思います」

「ただ、陣形技令は陣形技令に弱い。それに、技令を切り裂くとされる司書の剣をお前は持っている。勝てる可能性はあるな。まあ、俺が間に合えば瞬殺だが、俺には別の刺客が来る可能性が高い。最近、夜道を帰るだけで疲れるんだ」


 辻杜先生の吐く煙が少し重い。


「しかし、先生。内田の一族ってことは、内田より強かったんですよね。それに勝った相手と渡り合える訳がないじゃないですか」

「さっき言った通りだ。あとは、二条里の素養にかかっている。それに、理由は分からんが、二条里はどうにも全ての技令に『素養』があるようだから、何だかんだで何とかなるだろう。あとは、内田もいる。いざという時には図書部を出動させる。全員で戦えば、勝てる戦だ」

「ええ。私は博貴と一緒に戦います。仇を討ちたいという思いもありますが、皆さんを守るために戦いと思います」


 内田の一言が何よりも心強い。りんとした声が、時雨の中に広がってゆく。


「まあ、明日も頑張れよ。明日は今原先生の数学があるだろ。内田は前回より点数を上げられるように頑張れよ」


 雨足は緩やかなまま。生徒達の足音だけがやけに騒がしかった。




 さらに翌日。


「よう、二条里。やっとテスト終わったな」


 放課後、いつもはゆっくりと来る渡会が真っ先に現れた。本を読もうとして早く来る水上より早い。


「しっかし、雨がやまねぇな。四日ぐらい降り続いてるだろ。いい加減、止めよな」


 渡会はすでにカウンター内のソファーに座っている。辻杜先生の優先席なのであるが、渡会はここに容赦なく座る。頭をきながら、潰れたカバンを放り投げる。


「そういや、山ノ井、何かあったか」

「何かって、何か変わったことでもあったのか、誰かみたいにコウコクノ、とか叫び始めたとか」

「いや、それなら、とっくの昔に病院へぶち込んでる。そうじゃなくて、あいつ、何か変だろ。ま、ああいう性格だから受験でも気にしだしたのかも知らねぇけどよ。えらく、完璧をよそおってねぇか」

「ああ、分かる気がしないでもない。まあ、山ノ井は完璧に近い奴だからなあ。目指し始めただけじゃないのか」

「何か、ピンと来ねぇんだよな。急な変化だからよ。ま、一時的なもんだと思うけどな」


 渡会が苦虫を噛み潰したかのような顔をする。時雨と相まって、顔の薄暗さがきわ立っていた。


「あと、あの内田も変わったな。来た時よりかは明るくなったんじゃねぇか」

「そうか。特に気になることはないけど」

「お前、一緒に暮らしてんだろ。本当に鈍いな。そんぐらい気づけよ。第一、お前を下の名前で呼んでんだろ」

「あれは母親が」

「おばさんの指示でも、急に変われるものじゃねぇだろ。周りも気づけよな。ま、あとは川澄とかと接点を持つんじゃねぇぞ。首が飛ぶぜ」


 渡会が笑っている中、内田と、それに続いて山ノ井が図書室に入ってきた。二人とも急いできたのか、少し紅潮している。


「申し訳ありません、遅くなりました」

「二条里君、遅くなってしまいましたが、何かありませんでしたか」

「まあ、渡会が珍しく早く来たぐらいだな」


 山ノ井が、それに続いて内田が、カウンターの中に入る。


「二条里君、本の移動計画についてですが、僕の方では問題なさそうでした」

「私の方も問題は見つからなかった。とりあえず、これでいこう。来週半ばから始めて、二週間でおおよそ決着しよう」

「はい。その前に、今月入荷の新刊の仕分けなどをお願いします」

「ああ。移動の前にやってしまうから、今日中にはある程度、かたを着けようか」


 山ノ井が頷く。その後ろで、内田が静かに椅子にたたずんでいる。視線は本棚の方を見ているようであり、時雨の音と相まって少し異世界にあるかのような雰囲気を醸し出している。


「どうせ、来週の頭は移動の準備で面倒なことになるだろうからな。週末休むには、このタイミングしかないよな」

「そうですね。僕も今週末だけはお休みをいただきたいと思っていますから」


 山ノ井は微笑むが、実際にはその裏で猛勉強があったのだろう。薄っすらと、目の下に青いものが見えた。彼も、今週末は深く寝、本を貪るように読みたいのであろう。

 水上が図書室へと入ってくる。いつもと変わらない。おそらく、テスト期間中も多読というスタイルは変えていなかったのだろう。ただ、上着のポケットに入っている本の数が三冊であることから、冊数が減っていたことは安易に想像できた。


「にっちゃん、問題なかったよ」

「水上の方も問題なさそうだった」


 この二言で、全ての話は通じた。後ろで渡会が笑っているが、確かに、はたから見れば無味乾燥な会話なのだろう。とはいえ、ここで時事問題について熱く議論するような体力はない。既に、数学のテストで全身全霊を捧げて今原先生に挑んだ後なのである。今回の数学が予想より難しかった以上、冷静に考えて、私の気合の入り方は異常であった。

 ふと、内田の方を見る。まだ、椅子に座ったままだ。顔もかすかに紅潮している。視点も、先程から移っていない。


「山ノ井、悪いが、今日は帰らせてくれ。仕事は週末に来てからやる」


 私の一言に、山ノ井が目を大きく開く。


「二条里君、どうかなさったのですか」


 テストから解放された生徒達の声が響き渡る。雨のせいか少し足元が冷ややかだ。


「内田を病院に連れて行く。どうも、さっきから様子がおかしい」


 内田が私の方を向く。やはり、動きが少し遅い。ひとみも妙にうるおっており、見た目から具合が悪く、むしろ、熱のあることが安易に想像された。


「いえ、そんな」

「僕は構いませんが、二条里君はよろしいのですか」

「ああ。どうせ、先生も部活で来てるんだ。私が来る分にはいいから、仕事は終わらせておく」

「なら、先生には俺が伝えとこうか。どうせ、呼び出し喰らってるからよ」


 渡会に向かって一瞬だけ右手を出す。その間に荷物をまとめて内田の分も拾い上げる。恐るべき重装備になってしまったが、まあ、仕方がない。


「博貴、私でしたら、大丈夫、です」

「じゃあ、後は頼むな」


 内田の手をつかみ、そのまま図書室を後にする。内田の手は少し熱い。それ以上に、外に出た瞬間の周りの反応の方が熱かったものだが、もう遅い。気にするような余裕などなく、そのままやや冷たい時雨の中へと身を投じた。

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