(23)安寧
十一月十四日、期末試験を目前にして図書室の放課後閉館が始まった。これにより、放課後の日課が失われることになるが、その分、家には早く帰ることができるようになった。
「博貴、よろしいですか」
内田が何の前触れもなく部屋のドアを開けて入ってくる。思わず、寝転がっていたベッドの上で起き上がってしまうほどであった。よろしいも何も、確認の順序が間違っている。
「内田、いいことはいいが、入る前にノックぐらいしてくれ」
「ノックをすればよろしいのですね」
「いや、ノックして返事をしてから入ってきてくれるとありがたい」
ノーモーションの内田の返答に、こちらも条件反射で答える。こうでも言わない限り、彼女は間違いなく、ノックをしたと同時に入室を敢行する。
「で、何かあったのか。事件とか、事故とか」
「いえ、そうしたことではないのですが、期末試験前ですので、一緒に勉強でもと思いまして」
慌てて、漫画を隠す。別に、そこまでする必要はないのであるが、これまた条件反射的に体が動いた。
「ああ。それなら、少しだけ待っててくれ。お茶とお茶請けを持ってくる」
急いでキッチンから
「そういった準備だけは早いのですね」
「だろ。人生、煎餅に始まり煎茶に終わるんだ」
内田の呆れた声を軽く受け流す。気にしたら負けだ。テーブルはすでに片付いているので、お茶の一式も勉強道具も悠々と広げることができた。
「それにしても博貴は、平然と人を部屋にあげることができるのですね」
内田が辺りを見回しながら言う。実際問題、本気でガサ入れをされれば、何が出てくるかは安易に想像がつくが、そう簡単に見つかる場所には何も置かない。それに、こうした時に一番まずいのは挙動不審でいることである。泰然と、構えているに限る。たとえ、内田が基本であるベッドの下を調べた跡があろうとも、動じてはならない。ベッドの上が荒れていようとも、怒ってはならないのである。
内田と向かい合ってノートを広げる。思えば、同居するようになって初めて互いに勉強をするのであるが、やはり、きれいに整理されたノートに目が行ってしまう。色使いも、生真面目であるのか丁寧にされている。それでも、変に丸い文字などはなく、鋭い文字が並んでいる。ただ、少しだけ隅の方に書かれている雀と思しき絵が、どこか微笑ましく見えた。
「博貴、数学についてなのですが」
「ああ、三角形の合同についてだろ。基本的には、問題が作りやすいから、一片とその両端の角に関係する例題をやった方がいい」
「問題を見られたのですか」
「いや。今までの今原先生の問題傾向を考えればわかる。それに、出題者の気持ちになって考えれば、出題傾向はイメージがつく。ま、それで勉強することなんかないんだけどな」
実際問題、今、私が勉強しているのは漢字である。
「はぁ、それで博貴は学年一位を取れるのですから、気苦労はお分かりにならないのでしょうね」
一か月ほど前、中間試験の結果が明らかになった際に、上位の方だけは学年順位が発表された。その時、私は実力試験に続いての学年一位を取ったわけであるが、その横で、内田が少し悔しそうな顔をしていた。なんだかんだで負けず嫌いの内田にとっては、勉強でも負けたくなかったのであろう。
「そう言われてもなあ。私はスポーツができないし、国語なんかは山ノ井、社会は土柄に絶対に勝てないんだよな。それに、いつも一位じゃないんだよな。山ノ井とかに負けることもある。実力試験だけは譲らないようにしてるけどな」
「山ノ井さん、ですか」
「ああ。別にそこまでライバル視してるわけじゃないんだが、試合みたいな感じで楽しんでるんだ。互いに、テスト前の猛勉強なんかはしないたちなんだが、だからこそ、いい勝負ができる。山ノ井は生真面目だから勉強するんだけどな」
内田が全力で溜息を吐く。内田からすれば、これ以上ないほどの皮肉なのだろうが、私からすれば自然な話である。
「とりあえず、今回の山は数学の証明と理科のオームの法則、それに、英語の不定詞、動名詞の使い分けとかだな。そこを重点的に攻めれば点が取れる。内田の場合は、証明とオームの法則が絶対に必要だな」
「ええ、的確な分析です。そういったところが、博貴の力なのでしょうね」
内田はそう言いながら筆を進める。私の方は漢字を書き写しながら粗茶に煎餅にと頬張る。これでリズムをつけながら勉強をするのが私の勉強法なのであるが、中々に集中できる。
筆の走る湿った音と、煎餅の割れる乾いた音と、粗茶をすする穏やかな音が入り混じる。晩秋の候に小春日和が訪れたようであり、心地よく頭を回していた。
「そういえば、博貴。最近、多くの級友の方より何やら相談されているようですが、どうかなされたのですか」
内田の一言に、思わずむせる。
「だ、大丈夫ですか」
大丈夫なわけがない。それもこれも、元凶は目の前にいる彼女自身なのである。無論、言うわけにはいかない。が、何も言わないわけにはいかず、かつ、適当に嘘を
「恋愛相談だよ。何でも、彼女もいなければそうしたのに遠い私は、うってつけらしい」
「はあ。想像はできませんが、博貴が恋愛の相談を受けてらっしゃるのですか」
「まあ、不似合もいいところだよな。それに、恋愛経験なんてないから、適切なアドバイスなんかできるわけがない。まあ、聞いてやるのが仕事、ってとこだな」
思えば、本当に不毛なものである。最近は自分を無にして受けるようにしているが、それでも、図書室の仕事に差し支えることを考えれば、どこか虚しさを感じずにはいられなかった。
「確かに、博貴は話をしてしまいたくなる雰囲気を出されていますからね。私もそのうち、相談させていただくかもしれません」
「内田が恋愛相談か。天と地が引っくり返るような出来事だな」
「私も少々困惑するとは思いますが、人間、何が起きるかは分かりませんから」
空気は穏やかなままだ。手も動いている。技令で以って日常は変化したが、いい意味で変化した部分もあるのだろう。
西日が差しこむ部屋に、内田は朱に染まろうとしていた。
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