(21)目覚め

 あの後、水上はふと起き上がると、その後、何事もなかったかのように帰っていった。時間が十一時近くであったにもかかわらず、平然としていたという意味では余りにも豪傑ごうけつ然としている。内田と回復した私は木陰こかげからそれを眺めていたが、驚くほどに足取りは軽かった。


「意識が戻って、あれほど離れていますと、普通は動揺されると思うのですが」


 これを見た内田の一言に私も賛成である。それでも、細身の彼は神経だけは太かったのだろうと自己完結させ、一人で納得した。

 家に戻ると、私は身体の節々の痛みに苦しむこととなった。内田は、


「五大技令を用いたのです。身体への負荷は大きいでしょう。過ぎた行いへの代償として、一晩、苦しまれてください」


と、冷ややかに言っていたが、彼女は私の痛みがある程度引くまでは、傍にいてくれた。

 翌朝、早めに登校した私と内田は、あの丘での出来事を辻杜先生に報告した。聞いている間、先生は静かに私達を見据えていたが、聴き終わると、一本に火をつけて、深く吸い込んだ後に話し始めた。


「櫛田はその前に俺がし止めていた。発動に間に合ったと思っていたが、そうか、水上の読書量を忘れていたな」


 辻杜先生が苦笑する。一応、辻杜先生もそれなりに最悪の事態を想定していたのであろうが、このようなことになることまでは読みきれていなかったようである。その証拠に、先生は頭を三度いた。先生がこの仕草をしたのは、校舎裏の喫煙禁止区域で煙草を吸っているのを校長先生に見られたとき以来であった。


「しかし、これで三つか」

「何がですか」

「お前が用いた五大技令の種類だ」


 そうですね、と内田がうなずき、先生との間で議論が始まる。登校を始めた生徒の声が少しずつ響いてきており、少し騒がしい。


「あのー、話の腰の骨を折ることになるんですけど、五大技令って何なんですか」


 内田と先生が同時に私の方を向く。鳩が豆鉄砲を喰らったという表現を聞くが、今ほどに適切な使用時期はないであろう。


「私が細かく説明しておけばよかったですね。五大技令と申しますのは、陣形、時間、円柱、祭壇、召喚の五つの技令の総称です。これらの技令はいずれも、習得が難しく、莫大ばくだいな技令を消費しますが強力で、世界を席巻せっけんする能力を持つとされています」


 内田の言葉に、思わず、習得が難しいなら、なぜ私が使えるのかと反論してしまいそうになったが、した瞬間に、何と言われるのか分かったものではないので、さすがに抑えた。


「これらの技令は陰陽のバランスも取られていまして、陣形と円柱が陽、時間と祭壇が陰、召喚は術者と対象によって陰陽が変化します。そして何よりも、この五大技令の特徴に、素質が大きく関係するということがあります。現在は研究が進んでいまして、修行による習得もそれなりに増えましたが、以前は素質がなければ習得できませんでした。今でも、熟練者の指導の下に修行が行われ、相当な鍛錬の上に、使用が許されます。そうでなければ、一つだけ、身についている素質が開花することで習得されます」

「でもさ、私は三つも使えるんだ。内田も実は一つや二つぐらい使えるんだろ」


 内田が、殺気をありありと込めたにらみをかせる。今ここで掴みかかり、殺してしまったところろで何の疑問も生じないほどだ。


「二条里、内田の属性は風と水だ。五大技令は習得していない。それに、お前は相当に特殊だ。五大技令を三つも独力で放った奴なんか、俺は知らん。原理も分からん。だが、この調子だと、お前は全ての五大技令を習得することになるだろう」

「ええ、認めたくはありませんが。傷付きはしましても、祭壇、円柱と二つを修めた以上、否定する術はありません。それに、司書の塔で博貴は月と太陽を生み出されたはずです」

「ああ。確かに、月と太陽がでてきたが」

「月と太陽を『召喚』されたはずです。博貴は既に陰と陽の召喚技令を用いることができる証拠です。あの空間、中央の塔は術者の能力を増幅こそさせますが、素養がない技令を用いることはできません。後は時間だけですが、それこそ、時間の問題でしょう」


 秋風が寂しい。棚引くのは煙草の煙とカッターシャツの膨らんだ袖である。僅かに身体が震える。その中で、内田は思い出したように言った。


「ところで、水上さんは操られていたとしましても、召喚技令を使用されました。辻杜先生もご存知でしたね。むしろ、集められましたね」


 先生は静かに煙を吐く。風がゆっくりと運んでゆく。その真ん中で、冷徹な現実が発せられた。


「ああ。集めたというわけではないが、集まってきた。今や、図書部は技令士や体則士の卵が集う場所になっている」


 先生の言葉に、内田は頷く。内田は昨晩、私に向かって言っていた。


「博貴はまだ、他人の技力を読む力はとぼしいようです。ですが、貴方の周りには、多くの技令士がいることを覚悟されてください」


 雀が遠くの方で一羽、虫を口にくわえながら飛び跳ねている。無邪気に遊んでいるが、どこか寂しげで、切なかった。


「二条里、変わらないものはこの世にはないんだ。だが、変える必要なのないこともある。受け入れろ。それだけしか、俺にはアドバイスはできん」


 暑い季節は終わろうとしている。それを実感し始めた朝のひと時であった。

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