(19)傀儡の怪①

 諏訪神社の外れに、県立図書館はそびえており、こけと木々に包まれて静かに佇んでいる。朝方発せられた技令の気配はやはりこちらの方角から発せられていた。


「博貴の読みは正しかったようですね。この中から、強い技令の気配が感じられます」

「まずいな。周り一帯から風が吹き込んでいるようで、悪寒が止まない。建物の中が一番強いけど、鋭さからいけば裏手の方が恐ろしい」


 内田が、明らかに驚きの表情を浮べる。


「確かに、そのようですね。どうやら、博貴の方が技力分布の分析は上手のようですね」


 そう言いながら、内田は司書の剣に手をかける。私も剣を実体化させ、戦闘準備にとりかかかった。風が凪ぐ。夕闇が空間を染め上げてゆく。

 刹那せつな、空間が切れた。


「博貴、上です」


 見上げる。あるのは少女。鋭い気配に一歩退く。手を掲げ、意識を集中する。


「流水」


 手の先から水が発せられる。しかし、その程度では敵も動じない。そのまま、飛びつかれようとする。


「博貴、伏せて」


 内田が、逆に飛び掛る。横合いからの一撃に、少女もバランスを崩したが、すぐに立て直す。

 再び、対峙たいじする。


「気付かなかったが、一年の松林日向か」

「博貴、知り合いなんですか」

「いや、さほど面識はないが、図書館を利用した校内の人間なら把握している。月に二度程度の利用者なら、それこそ帯出傾向まで把握している」

「流石と言いますか、異常と言いますか。ただ、この場合は敵の把握という点で、幸いしそうですね」


 松林は低くうなっている。目は赤く光るばかりで、その眼を収めることができない。髪が技力によるのだろうか逆立ってしまっており、影が彼女の身体を覆ってしまっている。


「内田、一つだけいいか」

「何でしょう」

「松林は本当に技令を使ってるのか。なんか、技令にまとわれてしまっている感じがするんだが」


 私の一言に、内田は頷く。


「ええ。ご指摘の通りです。この方は何かしらの技令によって完全に身体を操られています」

「じゃあ、当人を打ち破ったところで意味は」

「ええ、ほとんどありません。ですが、生命活動を止めてしまえば、操っている技令は失われます。無主物を操るのは非常に困難ですから。ですので、最も有効なのは、殺してしまうことに他なりません」


 木々が、僅かにざわめいた。内田は冷徹に言う。状況を分析した上で、彼女は結論を下している。当然、今までの戦いからもこちらが力を抜けば逆に殺されてしまうことは分かりきっている。

 だが、そう簡単に人の日常を奪ってしまうわけにはいかなかった。


「内田、他の手段はないのか」

「ええ。この場でこの少女を殺してしまうのは有効でも、得策ではありませんから。当然、殺さずに技力の元を断ってしまうしかありません」

「ということは、操っている元が分からなければ意味がない、ってことか」

「あとは、それから解放する方法です。操っているものであれば既に察しはついています」


 そう言うと、内田は静かに少女の鞄を指差した。確かに、中から強い技力が感じられる。集中すると、その形状から文庫本ではないかということが察せられた。


「つまりは、あの文庫本と本体とを切り離せばいいんだろ」

「単純に切り離すのではいけません。技令のパイプを断つか、昇華させるより他にはないのです。技令の元を攻撃するのもあるのですが、そうなりますと、普通のものを壊すことになります」


 要するに、方法がないのである。内田からすれば、本を壊せば色々と問題が起きてしまう以上、そう易々とは行動に移すことができなかった。

 少女が私達の間に切り込んでくる。素手なのだが、技令によって生じた爪は剣でかわすのが精一杯である。しかし、それがまずかった。松林はそのまま駆け出し、山手の方へと行ってしまったのである。

 私達も慌てて追う。既に、闇は迫りつつあるのだが、このような中で一般人がいれば、事件に発展する。その前に、止める必要があった。全力で駆ける。九十九折つづらおりの坂を飛び越え、一気に、二人で挟み込む。


「シャアアア」


 松林の唸りに、周囲の闇が反応する。この前の岩波のように負けるような相手ではなさそうだが、相手を傷つけずに倒す必要がある。剣を構えていても、力を発揮することはできない。


「博貴、五分で決着させましょう。もし、難しいようでしたら、貴方の炎の技令で燃やしてしまうしかありません」


 内田の言葉に頷く。長引けば、それだけ周囲に影響が出る。その間に方法を考える必要があった。だが、そのような暇を敵は与えない。私に向かって飛び掛ってくる。今度は退かず、押し返す。鋭い刃が白く光ると、そのまま少女は飛び退いた。

 下界ではシャギリの音。天空には紫の闇。合間では戦い。時間だけが無駄に過ぎてゆく。その時、教会の鐘の音が長崎を覆った。

 脳裏に、教会の鐘が浮かぶ。教会が浮かべば、礼拝堂も浮かぶ。その中には、祭壇。次々と祭壇が浮かんでは消え、消えては浮かびを繰り返す。そうこうしている内に、一つの情景が浮かび、形となった。


「内田、試したい技令がある。少しの間、守っていてくれ」


 私が言うと、内田は少しだけ目を丸くした。無論、言いたい事は分からないでもない。少なくとも、私の方がレベルは低いのである。それでも、内田は言った。


「分かりました。博貴、貴方に預けます」


 少女に斬りかかる内田を横目に、私は自分の中で集中を始めた。知恵の塔で、ある程度の基本は理解したつもりである。技令は想像の賜物たまものである。要は、技力を使って自分のイメージを具現化させればいいだけである。故に、新しいものを『創ろう』と思えば、自分と闘い、具現化するしかない。その間の時間稼ぎを、私は内田に頼んだのだ。

 一つの技令陣をイメージする。その周りには人の群れ。その中心には生贄いけにえ。全ての生命も存在も精神も奪われ尽くされる運命にある。奪われたものは拡散し、人々へと回されてゆく。それを、技令に絞る。敵の技令に意識を集中し、それを捕らえ、生贄に捧げる。


「全ての技令を人々の下へ。小祭壇」


 呪文を口にする。刹那、少女の鞄が紫色の光に包まれ、その力が奪われてゆく。が、同時に。


「博貴、ダメです」


 自分の中に技力が流れ込んでくる。


「なんだ、これ」


 異質な力が、流れ込む。皮膚の下をむしに這われるような感覚がある。心臓を、蛇にえぐられるような感覚がある。


「祭壇技令を使用するなど、過ぎたことです。今すぐ、術を解いて下さい」


 内田の忠告に、首を振る。今止めれば、無駄になる。それに、残りは僅かである。暴れる技令を自分の技令で押さえ込む。合わないのであれば、染め上げてしまえばいい。意識を体内に集中させ、うごめく力を溶かし込んだ。

 光が止む。少女が倒れる。私も、膝を折ってうずくまる。体内に違和感はないが、疲労はある。さすがに、この状況では立てない。


「博貴、自殺でもされるつもりですか。安易に祭壇技令に手を出すなど」

「そうか、祭壇技令って言うのか、あれは」


 内田が止まる。表情は驚愕以外の何物でもない。私からすれば、何の打算も用意も知識もなしに放った技令である。無知は当然であるのだが、内田はそれが全く信じられないようである。


「博貴、では、五大技令を放ったという自覚なしに、祭壇技令を用いたのですか」

「私は、祭壇と生贄いけにえをイメージした、だけだ。自分でも、それ以上は、何をしたのか、分からない」


 内田が呆然ぼうぜんとする。しかし、すぐに平静を取り戻すと静かに言った。


「博貴、貴方が今使われた技令は祭壇技令という強大な技令です。相手の技令や体則の力を吸収し、自らの中に溶かし込んでしまう技令です。祭壇を設けたり、有名な場所や信仰の対象となっている場所で用いたりしますと威力と範囲が増すために、このように言われています」

「つまり、あれか。溶かし込む方法を知らないと、流れ込んだ技令に自分が壊されてしまうから、普通は用いないんだな」

「お察しの通りです。ですから、才能と素質が必要となるのですが、博貴の技令の素質はあくまでも陽、陣形技令です。陰の祭壇技令ではありません。ですので、場合によっては生命の危機すらありました」


 だから、内田は叱ったのである。あの瞬間、内田は戦いも何も全てを忘れ、私を叱った。それは、私のためであり、私の命と身体のためである。


「内田、悪かったな。そして、ありがとう」

「いえ。ご無事で何よりです。ですが、安易にイメージを具現化された場合、命に関わることがあることを忘れないで下さい」


 内田の忠告に、素直に頷く。気がつけば、私の背中は汗でまみれていた。余程、身体に負荷がかかっていたようである。つい、自分のことを忘れて戦ってしまったが、内田の表情に肝に銘じようと思った。


「そういえば、あの子は大丈夫か。さっき、倒れるのが見えたが」

「ええ、博貴の技令のおかげで、本も彼女も無事だったようです。眠ってらっしゃるようですが、まもなく目を覚ますでしょう」

「どうする。このままだと、混乱してしまうだろ」

「そうですね。図書館のベンチに座らせておくのが一番でしょう。それ以上の方策がありませんから。しかし、その前に」


 内田が躊躇ためらうことなく少女に近付き、鞄の中から本を取り出す。いずれも、似たり寄ったりの文庫本であり、表紙に漫画様の絵が描かれている。


「博貴、これに技令がかけられていたようです。それも、一冊だけではなく、この三冊に」

「へぇ、ライトノベルになんかかけてたんだな。どれも人気作だ。ミステリーはかかってないのにな」

「種類が異なるのですか」

「ああ。よく分からんが、キャラクターに立脚して描かれているライトノベルっていう種類の小説にかかってたみたいだな。中高生、大学生とかが中心に読むと思うんだが、何の狙いがあってこんなことしてるんだろうな」


 私の一言に、内田も頷く。疑問は尽きることがない。とりあえず、確認しようということにはなったのだが、私の回復と松林の運搬に手間取ってしまい、閉館に間に合わなかった。


「仕方がありません。明日、辻杜先生に相談してみましょう」


 内田の言葉に従い、少女が目を覚まして帰っていったのを確認してから、私達も帰途に就いた。既に、闇は深い。星のざわめきを感じながらの帰宅となった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る