(17)仲間

 翌朝、私はもうそれこそ覚悟を決めて学校へと向かった。もう、何が起きてもどうしようもないと思い、いざとなれば戦おうと考えていたのである。しかし、そのような心配は完全に取り越し苦労で終わってしまった。司書の塔の受験にかまけてすっかり頭の中から抜け落ちてしまっていたが、中間試験が行われる日だったのである。全員、それどころではなく、およそのクラスメイトは学習に没頭していた。この中で泰然としているのは私と山ノ井ぐらいであり、私は忘れていた以上、なるようになれと覚悟を決めてしまっており、山ノ井は平静が一番と微笑んでいる。

 試験は朝から行われ、午前中で国語、英語、理科、社会の試験が行われ、いつもより二十分遅い昼休みに突入した。既に四科目が終了した以上、昼休みはおよそが諦めと安堵の空気が中心になるだろうと考えていたが、数学の前に鬼気迫る空気で教室が包まれた。私はそれから逃げるように図書室へと向かい、そこで、昼食を摂ることにした。


「全く、博貴はなぜこのような中で落ち着いていられるのでしょうね」


 内田が少し呆れたように言う。この少女も、並み居る敵には敢然かんぜんと立ち向かうにもかかわらず、テストの前には苦戦しているようである。


「どうせ、定期試験前なんか特別な勉強はしないんだ。いつもと点数は変わらないだろうからな」

「全く、そのようなことを普通に仰るから、博貴は敵を増やすんですよ」


 そう言った内田の表情は暗い。それも、先のある暗さだ。確か、内田も数学は苦手であり、その点では他のクラスメイトの例に漏れなかったはずである。ただ、他のクラスメイトと異なるのは、こうして私と一緒に図書室へと来てしまっていることである。豪胆である。


「そういえば博貴、明日は学校がお休みになっていましたが、テストのあとはいつもこうなのですか」


 そんなことがあるだろうかと思ったが、ふと、あることを思い出した。


「ああ、くんちの特別休暇だろ」


 内田が呆然ぼうぜんとする。朝から謎の言語にあったばかりなのに、また新たな言語と出会ってしまったというような顔だ。


「いや、ここ、長崎だろ。毎年、十月の七日から九日までは長崎くんちって言う長崎で一番大きな祭りが行われるんだ。それで、例年なら七日が半休になるんだが、今年は中間試験と曜日の関係で九日を全休にしたらしいんだ」

「そのような酔狂な理由で休みなんですね」

「まあ、渡会とかは昨日も見に行ったらしいからな。長崎っ子は熱狂するんだ」


 昨日、仕事を休んだのは内田と渡会であった。渡会はテストがやばいなと週末に散々言っていたにもかかわらず、桟敷さじき席を確りと押さえていたそうである。


「そっか、内田は初めてだもんな。よし、じゃあ明日は図書部の奴らも誘って繰り出そう」


 内田が目を丸くする。それもそうだろう。内田から見ればこの集団は恐ろしいほどビジネスライクな人間の集まりなのかもしれないが、結局のところは仲良しグループでしかない。仲間内で遊びに行くこともあれば、勉強会をすることもある。あるクラスメイトが言っていたが、図書部はクラブ活動よりも固い結束を誇っているらしい。


「まあ、騒がしいのもいるけど、みんなで一緒に行かないか」


 遠くの方で、カラスの鳴く声がする。いつもは校舎を満たしきっている喧騒けんそうは、今日に限っては、少しだけ縮こまっている。


「ええ、お願いします。私も祭りというものを、味わってみたいと思いますから」

「よし。じゃあ、放課後はいつもの面子が集まるだろうから、その時に誘ってみよう。どうせ、皆何もないさ」

「ええ。ですがそれよりも先に、数学のテストに備えるべきではありませんか」


 内田は既に弁当を食べ終わって、手元のノートに目を移している。よく整理されていて、きれいなノートだ。が、私は別段気にすることなく、いつものように壊れた本の修理をするだけであった。数学が最も得意なのだ。今さら勉強するよりも、意識を集中させられるようにいつもと同じことをした方が、私には余程有益であった。




 放課後、いつもの面子が図書室に集い、作業にとりかかった。このところ、毎日のように集まっては慌しく作業をしているが、それもこれも、十二月末に迫った図書館改修の準備を行うためであった。図書館の改修を行うということは、その中にある本やら備品やらを全て他の場所に移してしまうということであり、入念な計画を練る必要があった。特に、閉架図書の移動はそれだけで骨であり、改修の行われる冬休みに間に合わせようと思えば、十一月までには計画を完成させて検討し、順次、移動してゆく必要があった。このことは既に、九月末の専門部会議で議論されており、開架を水上が、閉架を私が中心となって計画してゆき、その全体を山ノ井が統括することで決定した。三年は受験という至上命題があって動けないため、二年生が中心となって動かすことになっている。昨日の『休日出勤』もそれに関連していた。


「水上君の方は二二一まで計画が進んでいるそうですが、二条里君の方はどこまで進んでいますか」

「こっちも、二番台に突入した。とりあえず、二十日までには八番台まで終わらせて、その後に、一気に九番台をやるつもりだ。あと、閉架を見たところ、結構な割合で本が汚損しているようだから、あわせて修復もやりやすいように整理していこうと思う」


 このやり取りに、内田を除く全員が納得する。しかし、傍から見れば意味不明な内容であり、恐らく、九番台に力を入れる理由など分からないものと思われる。が、私にとってはこの九番台と〇番台が最も面倒であり、辞書や事典と小説は閉架の二大勢力なのである。そのため、この二つに力を入れなければ、計画は全て無駄になってしまうのである。一方、水上の担当する開架の方は社会科学と自然科学の本が増えてきているために、その処理が面倒になっている。その一因として、土柄のリクエストしている史料シリーズがあり、中には一冊で一万六千円もする『東ローマ=ビザンツ帝国史』なる本もある。この本が入荷した際、水上が、


「にっちゃん、俺、土柄を殴っていいかな」


と、言いながら土柄を殴っていたが、それ程、ここがネックになっているのである。今も、水上は必死で教室の形と大きさを図面で見ながら、置き場の検討に苦しんでいる。


「まあ、それは置いといて、明日、おくんちに行かないか。内田が引っ越してきたばかりだから、案内しようと思うんだ」


 そのような中で、私がこの一言を放ったために、水上は少しだけ嫌な顔をした。しかし、山ノ井や渡会は乗り気であり、


「そうですね。折角ですから、内田さんに色々と案内して差し上げたいですね」


と、山ノ井などは自ら案内役を申し出てくれた。一瞬だけ嫌な顔をした水上も、まあ、少しぐらいなら息抜きにいいか、と言いながら賛同する。唯一、土柄だけが数学の今原先生の補習を受けるために参加できない事となった。


「でもさ、にっちゃん。図書部で女の子がいるって、結構な違和感だよな」


 水上が元も子もない事を言う。ここで言う図書部は、あくまでもここにいる図書部変人四天王に渡会を加えた面子のことであり、専門部全体のことではない。その場合、確かに今までは女の子の影などなく、それこそもてない男の掃き溜めのような惨状であった。それが、内田の参加で変わりつつある。


「一人は寂しいものです」


 と、内田は言っていたが、内田にとっては仲間ができたというプラス面ができたのに対して、図書部の面々にもプラス面があったのである。それが、私には仄かに嬉しく感じられた。

 結果、明日は五人で朝から繰り出すこととなった。おのぼりの日に、おのぼりさんが集うこととなったのであった。

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