(16)誰何(すいか)
翌日、日曜にもかかわらず図書部の仕事で登校するはずであったのに、内田は迎えに来なかった。学校にもおらず、無論、図書室にもその姿はない。
「何か、あったのでしょうか」
山ノ井の一言が、私の気持ちを素直に代弁してくれていた。無論、私は原因を知ってはいるのだが、しかし、その根底を知らない。司書の塔の老婆が告げた一言の裏に何があったのか、それを知りたいと思ったとき、私の身体は自然と辻杜先生の前にあった。
「二条里も知ったか」
辻杜先生は真紅の目立つ箱から煙草を取り出すと、包み込むようにして火をつけ、くゆらせ始めた。空に白煙が上がる。
「俺も調べてみたんだが、内田の一族は多良山系の奥に隠れて暮らしていたらしい。元々、内田家は有力な技令の一族。争いの根源になることを避けて、代々、そこに根を下ろしていたらしい」
先生が煙草を深く吸い、ゆっくりと吐く。まだ、煙草はその姿を保っている。
「だが、それがレデトールの奴等に目を付けられたらしい。九月の十一日、内田の住んでいた集落は襲撃され、一夜で陥落した。静かな
辻杜先生が息を吸うと、僅かに火の音が聞こえるような気がした。
「それが、内田だけは守られていたようだ。廃墟から出た内田は南下し、強い技力と気に導かれて長崎に辿り着いたらしい。そして、この中学に入り、お前と出会い、俺と会った。ただ、それだけだ」
煙草の煙が少しだけ目に沁みる。それでも、涙を流すわけにはいかなかった。内田は悲しみに耐えてここにいるのだ。私には、その不幸を思うだけで泣く資格など、その悲しみに一切感づかなかった以上、ないのである。
「二条里、お前が気に病む必要はない。どうせ内田は戻ってくる。ここには居場所があるんだ、お前のおかげでな。だから、お前がするべきなのは、落ち込むことではなくて、迎えてやることだ」
先生の一言がまた沁みる。だが、次の瞬間にはひょうきんな顔をして、辻杜先生が言った。
「まあ、俺にできることはカレーを奢ってやるだけなんだがな」
夕食時、私は何をするでもなくテレビを見ていた。事実を知ってしまった以上、何か動くべきなのか、そうしたことを考えながら、私はバラエティ番組に笑われていた。
「そがん顔して、好きな子でもできたとね」
片付けを終えた母親が、自分の分の夕食を持って食卓につく。この一言だけで、自分がどのような顔をしているのかは想像できる。父も姉も家を離れている以上、母は容赦なく私の感情を読んでくるものだ。
「そういえば、あんたのクラスに、内田っていう女の子が転校してきたでしょ」
「うん。もう、二週間以上前だけど、転校してきた。って、お母さんがそんな情報を知ってるなんて珍しいね」
「当たり前やかね。今日から、うちで引き取ることにしたとやから」
は、と思わず声にならない声を上げる。よくよく食卓を見てみると、確かに、いつもよりおかずの量が多い。また、姉が同棲相手の家から喧嘩して戻ってくるために多いのかと思っていたが、それにしては遅い。その時点で何らかの異変を感じるべきであったのだ。
「まあ、あんたから学校の女の子の話ば聞こうと思っとうとが間違っとたとかもしらんけど、少しぐらいは気にせんね」
「いや、ちょっと、いや、席が隣ですし、図書部ですから話はしますよ。ですけど、いや、なんで、引き取るんですか」
「親友の娘やけんね。で、事故で亡くなった話ば聞いて、引き取ることにしたとさ。アパートで一人暮らしとうらしくて、すーぐ来るように言うたとたい」
そうこうしている内に、内田が到着して食卓が三人となった。昨日の今日であるため、少しだけ気まずい。ただ、母はそのような事お構い無しに話をする。
「おいしかね、水無香ちゃん」
「あ、はい。美味しいです、二条里さん」
内田が珍しく、縮こまりながら困惑している。押しに押されて圧倒されているようであり、全く以って勝負になっていない。
「あんた、この家で二条里言うたら、二人おるやかね。私はお母さん、この子は博貴って呼ばんね」
絶句する。これならば、死刑宣告を受けたほうが遥かにましである。ただでさえ、一つ屋根の下で暮らすことになれば学校での死期は近付くというのに、これ以上、下の名前で呼ばれようものなら、即日死刑になりかねない。せめて、内田が拒否してくれればいいのだが、そのような事をできるわけがない。内田は少し戸惑うと、おずおずと言った。
「はい。お母さん、博貴」
「うん。そいでよかね。博、仲良くせんねよ」
「は、はい」
宵は序の口。まだ、受難は始まったばかりである。
九時半過ぎ、私は内田の部屋で荷解きを手伝わせられていた。
「あんたの隣の部屋が水無香ちゃんの部屋やけんね。荷解きば手伝ってやるとよ」
そう言うと、母親は部屋に
何を言えばいいのかが分からない。聞きたいことは山ほどある。ただ、それ以上に困惑の度は深い。
「博貴、申し訳ありません」
その中で、内田が静かに口を開いた。
「な、何で内田が謝るんだよ」
「貴方に、もっと早めに本当のことを言えばよかったと思っています。あの夜も、私は貴方を仇の一人だと思って襲いました。それを言うのが怖かったのです」
内田の肩が震えている。
「貴方に嫌われれば、私はまた一人でした。まさか、あのような戦いをして、許してくださって、それに、友達になろうと仰ってくださいました」
あの夜、私は自然に内田に言った。その言葉が、内田を困らせていたのである。
「最初は何も感じませんでしたが、やはり、一人は寂しいものです。ですから、貴方を一瞬でも恨んで戦った、その一言を言うことができなかったんです」
「博貴と、図書部の皆さんと一緒にいるうちに、勇気が失われていきました。そして昨日、隠し事が明らかになってしまいました。事実は構いません。ですが、貴方に隠し事をしていた自分が許せなかった」
「ですから、私は、私は・・・・・・」
内田の方を見る。その姿は信じられないほどに小さい。普段、気丈に見える内田は、やはり、いくらかのフィクションでできていたのだ。時々見せる『素顔』で少しは分かっていたつもりだったが、そんなもの、氷山の一角にも満たなかったのだ。
だから、私は努めて優しく告げた。
「そんなこと気にしてたら、私は今、生きていないさ。むしろ、私が怒りたいのは、図書部の仕事を連絡なしに休んでたことだ」
「えっ」
「山ノ井が心配してたんだ。一言ぐらい、連絡入れろよ」
内田が呆けた顔をする。そうだろう。言っている自分からして気が抜けてしまっている。それでも、これでいいはずだ。内田は力みすぎる。そのガス抜き役が私なのだ。
「全く、いつも博貴の一言には驚かされます」
「私は内田に驚かされてばかりだけどな」
内田の口元が少しだけ緩んだ。
「全く、博貴らしい」
もう、大丈夫だと、この一言で確信した。内田らしい、冷徹な、しかし、冷酷ではなくむしろ穏やかな口調。もう、これで明日からはいつもの内田だ。そして、いつもの内田に戻った以上、私はあることを訊ねた。
「そういや、うちの母さん、中々に強引だろ」
「ええ、まあ。ですが、優しい方です。優しい、お母さんです」
鈴虫の声が、外の暗闇を飛び交う。二人でその声を聞きながら、穏やかに荷解きを続けた。秋の夜長のひと時は、どこか寂しいというフレーズを思い出し、しかし、私は静かに揺れる星を眺めると、彼に向かって首を振った。
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