(14)知恵の塔

「知恵の塔、じゃな」


 降りると、老婆がいた。静かに頷くと、老婆は歩を進めた。


「よいかの。知恵の塔は、登るだけでよい。登り、最上階で一戦を交えれば終わりじゃ」


 老婆は表情のない声で告げた。一戦、という奥に冷たいものが、しかし、感じられた。一戦しかないのではない。一戦が、あるのである。それが「知恵」の正体に繋がるのだろう。


「察しはいいようじゃな。知恵の塔ではお主の技力は一段ごとに増す。その魔力を受け入れるのじゃ」


 老婆が歩を止める。漆黒の中で、扉の開く音がする。低い暗闇が、静かに襲い掛かる。その中を、私は放り出され、老婆の一言もなしに、段を踏みしめ始めた。


 一段。


 怒涛のように、技力が体の中へと流れ込んでくる。それだけで、魂から肉体まで全てを持っていかれそうになってしまう。体内に強い光を感じる。体内に強い闇を感じる。口腔は酸素で充足され、肺胞は技力で充足される。天井と床が逆さまで、ウサギがカメに勝った。揺れる、揺れる。目を閉じ、耐え、震え、舞い、奮え、狂う。振幅の収束を確認し、再び立つ。体内に胎内を感じ、体内に新たな技力を得る。


 一段。


 雷鳴が鼓膜を破る。波濤はとうが腹を貫く。暴風が腕をぐ。火炎が意志を焼く。地割れが心を砕く。


 一段。


 アーサー王は夢を追いすぎたのだ。アキレスはカメに悩んだのだ。ティムールは羊に追われたのだ。項羽は波にさらわれたのだ。ラプラプ王は英雄だったのだ。私は常にその一人だったのだ。


 一段。


   一段。


     一だん。


        いちだん。


 階段を踏みしめるたびに、身体に異物が侵入する。それを必死で受け入れる。精神がおかされてゆくような気がする。子どもが笑っているようなきがする。ふわふわとくもがながれてゆくようなきがする。どきん。ばたん。ぱふっ。とろり。




 頂上に到る。眼前には整然とした鉄の板が並び、その中央に一滴の光が落ちる。穏やかに表情をたたえる光は、私に語りかけてきた。


「ここまで、苦しかったろう。技力が奔流となって襲いかかってきたのだ。当然のことだ」


 返事はできない。既に、消耗しきっている。声が惜しい。気合を入れなければ、爆発してしまう。暴発してしまう。


「今から、なんじの出合う中で最も大きな存在を召喚する。それを討て」


 刹那せつな、影が揺らいだ。形のない技力が、次第に形を帯びてゆく。始めは球形。次いで流形。人型。女体。少女。


 現れたのは、少女の影。長髪に、すらりと伸びた影。具体化はされていないが、シルエットで十分だ。戦う。


「始めてよいぞ」


 光の一言に、溜まりに溜まった技力を放出させる。全身から爆発するかのような勢いで火、水、土、風、光、闇、月、日、音と様々な元素が一瞬で影に向かう。必殺の間合い。しかし、次の瞬間に貫かれていたのは、私の左手の甲であった。痛みはない。無機質な血が溢れる。


 口から黒い水が溢れ出る。部屋の暗さが悪いのだ。影の少女に向かって、技力のかたまりを放つ。八方からの攻撃に逃げ場はない。それでも、少女の影は舞うと、私に黒いナイフを投げつけてきた。


 当たらない攻撃。無意味な技令を繰り返す。その度に少女は舞い、私の身が削がれる。痛みはない。ただ、存在が薄くなってゆくのが分かる。


 もう、右腕はない。八方に曲がったそれは腕のていをなしていない。

 もう、左腕はない。刃に全てを持ってゆかれた。

 もう、右足はない。無数の穴が開く肉塊にくかいでしかない。

 もう、左足はない。闇に消えた。

 もう、胴体はない。そんなもの、幻想だったのだ。

 もう、意識が持たない。所詮、死に抗うことはできなかったのだ。


 静かに、闇のとばりが下りる。しかし、この闇は驚くほどに重たかった。




「二条里、起きろ」


 ふと、独特の声に起こされる。眼前には荒野。それと、厳格な目をこちらに向けた辻杜先生の姿があった。


「せん、せい」

「二条里、起きろ」


 辻杜先生はあくまでも冷徹に告げる。しかし、今の私には四肢ししもなければたましいの存在すら妖しい。その状況で先生は、目で訴える。


「立て、ません」

「立てないはずはない。お前は戦っているはずだ。戦っている以上、立ち続けなければならない」

「しかし、先生、もう私の身体は」

「では、聞く。お前は何のために今、戦っている」


 辻杜先生の声は厳しい。真直ぐに私を見据えて離さず、常の穏やかさなど微塵みじんもなく、ただ、私に現実を突きつけていた。息を呑む。その中で、私も現実と向き合った。


「司書に、なるためです」

「違う」

「しかし、先生の助言を受けて、私は、司書に」

「お前がここで倒れているのは、手段と目的を履き違えているからだ。司書になるのは、手段でしかない。お前は、司書になって成すべき事があったはずだ。それが失われているから、お前は、お前の力にまれようとしているんだ」


 脳天を貫かれる。


「死んでたまるか」


 思えば、私は非力な人間だった。


天帝てんてい宝玉ほうぎょく、封印解除」


 思えば、私は運命に抗うことのできない人間だった。


「それが、お前がこの世に生まれてきた意義だ」


 思えば、私は決断したのだ。


「何気ない日常を守るために戦うのだ」


 平穏な日常が奪われたことを直視し、しかし、それを守るために、力を得ようと志したのだ。司書はその手段でしかなく、力もまた、その手段でしかなかったのだ。目的はあくまでも、日常を守るため、自分の身は自分で守るため、大切なものを守るため。そのために、私は決意したのだ。


 困難な道を歩むことになろうと、私は強くなると。




 身体は自然と起き上がった。闇へと溶けていた身体など、所詮は幻想げんそうでしかなかったのだ。胴も、両腕も、両足も、完全な状態で私にはある。欠けていっていたのは、私の陳腐ちんぷな心だったのだ。

 少女の影と対峙たいじする。手には八りの刀。投擲とうてきには都合がいい。当たれば、即死する可能性もあるが、今の私はかわせる。それよりも問題であったのは、彼女の能力であった。私の技力の奔流ほんりゅうを受け流したのだ。いくら強敵とはいえ、無傷ということは考えられない。それが、ほころび一つないのである。受け流した方法を見つけない限り、何一つ前へは進まないのである。

 少女の影は泰然たいぜんと構えている。にらみ合いは解決には繋がらない。攻撃を仕掛け、その正体を明らかにする必要があるのだが、安易な攻撃では意味がない。冷静に、相手を観察することのできる技令が必要だ。

 一筋の光をイメージする。私のおごりを形にしたほどである。技令の根底にはイメージがあるはずだ。なら、相手に真直ぐに立ち向かう光をイメージすればよい。ただ、地を這い、切り裂き、敵陣を意志で貫く、一陣の光を。


「活魚陣」


 直線が走る。光の帯が追う。要はあの夜の再現だ。一陣の光は少女に向かい、突撃する。それに対し、少女は動じない。そして、消えた。

 一瞬、空間の切れ目と砂が見えた。銀色の砂。その瞬間、私は全てを感づいた。


「時間を操る技令か」


 次の瞬間、少女の後ろを、光の帯が駆け抜ける。異なる時間を連結して、少女の影は私の技令を防いでいたのである。

 投擲とうてきされた剣を回避する。その瞬間にはもう、方法はできていた。冷静になれば、十分に戦うことのできる相手だったのだ。

 もう一度、イメージする。今度は少女を取り囲む光の魔法を。如何いかなる英雄にも動じることのない、堅固けんごな意志を持った光を。私の意志を共有する光を。


「円陣」


 刹那せつな、影の少女を光の線が取り囲んだ。少女は時空を展開しようとする。それよりも、光が走る方が速い。時空の展開されてないすきを突き、少女の足下を貫く。そして、一気に空間を光が支配した。

 闇が戻るまでには、少しの時間がかかった。影の少女は消滅していない。しかし、少女に継戦の意志はない。ただ、その場で呆然ぼうぜんとしている。


「見事だ、二条里博貴。己の慢心まんしんによりこの地に散る者も多い中、よく、それを打ち破った。それも、相手から戦意を奪うという、最も困難な方法で打ち破ったのだ。この知恵の宝石を授けよう」


 石が眼前に浮かぶ。それを受け取ると、塔の中が光で満ちた。それ以上に、身体の中に技力が満ちている。それを受け止めながら、私は真直ぐに前を向いて階段を下りていった。

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