(13)力の塔

 十月六日、私は内田と二人で県境の山の中まで来ていた。


「司書の塔への道はどこでも開く事ができます。しかし、運よく長崎の北東に司書の塔の本体があります。そこでしたら人目を気にする必要もありませんので、二条里にも少々ご足労を願いたいと思います」


 と、内田は来る前に言っていたが、その道のりは電車を降りてから徒歩二時間という険しいものであった。少なくとも修行がなければ到底辿り着けそうもなかった場所であり、到着の頃には全身に汗が絶えなかった。


「しかし、内田もこんな場所をよく見つけたな」

「別段、見つけたわけではありません。行きますよ、二条里」


 内田は淡々と告げると、その場に二つの石を置いた。その白と黒の石は静かに光をたたえると、わずかに大地から離れ、一瞬にして前方に広がる景色を切り裂いた。


「これが、司書の塔」


 言葉が思い浮かばないというのは、こうした時のためにある言葉であろう。目の前に現れた空間には、古びた石塔が聳え立っている。苔生し、蔦の覆い被さるその姿からは到底、死闘の行われるような印象を受けることはできない。しかし、その塔の持つ鈍い灰色が歴史と荘厳さを併せ持ち、私から思考という思考を奪い去っていた。


「中へ行きましょう、二条里。運命に精一杯抗うのであれば、この塔を避けて通ることはできません」


 内田の言葉で、思考が戻る。私は静かに息を吐いて彼女の後に従った。




 中は思いのほか薄暗く、足下さえもおぼつかないような空間であった。その薄暗さが、私の神経を包み込む。そして、そのほの暗さの先に一人の老婆が粛然しゅくぜんたたずんでいた。


「二条里、博貴じゃな」


 老婆は私が名乗る前にその名前を言い当てると、何事もなかったかのように緩やかにその口を開いた。


「司書の塔に挑むのじゃな」


 老婆の威圧感に、私は言葉にもならない声を上げ、ただ頷くだけであった。それを気にも留めない様子で老婆は頷くと、ゆったりと語り始めた。


「司書の塔は力の塔、知恵の塔、中央の塔の三つに分かれておる。司書たるに相応ふさわしい体則と技令を備え、そのバランスが取れているかを、それぞれの塔にある監督者が試験する。棄権および死または気絶を以って脱落と判定し、試験を中止する。中央の塔を制覇した者は司書として認め、その証として司書の剣および司書の盾を贈与するものとする」


 そこまで言うと、老婆は私の方を真直ぐに見据え、問うた。


「汝、司書の塔を登る決意は有りや無しや」


 この一言に、私はただただ頷いた。しかし、老婆は決してその目を逸らそうとせず、見据える。瞳の奥を見透かそうとしているようにも思える。決意を、問うているのは明らかだ。やがて、私はその無言の問いかけに敢然かんぜんと返した。


「私は、司書になる」


 この一言に、老婆は頷くと初めて後ろを向き、奥へと進み始めた。その背中が、ついて来いと言っている。


「二条里」


 老婆に従おうとしたその時、後ろから内田が声をかけてきた。


「御武運を、お祈りします」

「ああ、行ってくる」


 内田の一言に、私は精一杯の笑顔で返した。これから先に待ち受けているであろう試練に対する緊張と恐れのために、きちんと返したかは分からない。それでも、この半月の感謝をそれに込めて、私は振り返り進んだ。




 司書の塔の奥には三路があり、老婆はそこで止まった。


「この左が力の塔であり、まずはこの先におる者と戦うがよい。戻って後、知恵の塔の扉を開く。この剣一つで、切り抜けるのじゃ」


 老婆より一振りの剣を手渡される。驚くほど軽い。それでも、握り締めるとしっかりとした質感があり、現実を受け止めていた。

 老婆は既に背を向けようとしている。


「一つだけ、いいですか」


 それを、私は引き止めた。


「この司書の塔の敵は、全て召喚技令のもの。傷付く心配はない。思う存分やりなさい」

「えっ」

「お主は優しすぎるようでの。じゃが、司書は戦う者じゃ。その心を、ここで学ぶとよい」


 そう言うと、老婆は漆黒の中へと消えていった。




 門を開け、中へと足を踏み入れる。苔生こけむした石の臭いが充満し、恐ろしさが塔へと私を迎え入れる。そこから、数匹の蝙蝠こうもりが私の喉下めがけ、襲い掛かる。

 一閃。

 反応は鋭くなっている。内田の訓練は明らかにこれを意識したものだった。敵の急所を判断し、一撃の下に葬り去る。名前を聞いた瞬間に覚悟はしていたが、技令が使えない。そうである以上、私はこの剣を頼りに進むしかない。前へ。その単純な戦略目標に従い、行動する。そうすれば自然と、蝙蝠こうもりは二つとなり、落ち、消える。命のやり取りは、こうも単純なのだ。ただ、一瞬の気迫の下に、決断できるか否か。技などを意識するレベルにない以上、それだけが頼りであった。

 双頭の狼が襲い掛かる。片方の喉元に低く、攻撃する。うめく。その隙に斬り飛ばす。

 七色の鳥が襲い掛かる。羽根だけを突く。後はない。返り血を浴びるが、消える。

 大型の蜥蜴とかげが襲い掛かる。正面から一気に振り下ろす。舌が少し動く。消える。

 階を上がる度に、螺旋らせん階段が深くなってゆく。自信というよりも決意が、その度に深くなってゆく。外の光は一切ない中で、それこそ、わずかに揺らめく蝋燭ろうそくの明かりの中で、私は前だけを見据えて進み続けた。

 そして、


「汝が二条里博貴だな」


頂上に到った。


「私は木曾きそ信濃しなのの前司ぜんじ兼良かねよし。力の塔の主人にして、貴公の腕を試す。よいか」


 穏やかに、兼良という名の老人は言う。しかし、その裏側には白髪としわと傷が、無言の圧力をかける。有機物で囲まれたこの武道場に、しかし、余りにも不相応な刀と鎧がある。それ以上に、この部屋に充満した気迫が私を圧倒していた。


「覚悟はできたか」


 真直ぐな問いに、一瞬、息をむ。興奮を抑えることができない。震えを抑えることができない。この言葉の裏には「死の」という前提がついている。

 それでも私は、頷いた。


「良かろう。人生、十四年も生きれば十分。いざ、木曾信濃前司兼良、参る」


 次の瞬間、兼良の切っ先が目前に迫った。かわす。


「得物を抜け。死ぬぞ」


 隙はない。無駄な動きが死に繋がる。剣を抜くには少なくとも三秒の間合いが必要。それがない。考えうるのは、攻撃の間合い。

 汗が滴る。兼良の周囲の気が凝集する。攻撃を休める気はない。狙いは一瞬。踏み込む。踏み込まれる。


「秘剣、竜円りゅうえん剣」


 足下。一閃。跳躍。躍動。抜刀。対峙。静止。生死。


「ほう、全力で攻撃を仕掛ける瞬間に、かわし、それで刀を抜くとは。聡明そうめいな判断だ」


 兼良の目は真直ぐに私を見つめている。少しだけ、頬が紅潮している。事実だけを見、それを言葉にする。


「正しくは、考えと心中しようとした覚悟。それが、貴公の強みのようだ。少しでも誤れば、死。それを知った上で行動するとは」


 身体が小刻みに震える。先刻の一撃も、間違えれば足を砕かれていた。死というものの重みが、明らかに違う。具現化し、壁となって居座っている。

 汗が滴る。兼良の周囲の気が凝集する。静かに、もう一振りの剣が抜かれ、またたく間に、先の剣が鞘に納まった。


「ならば、この和泉守いずみのかみ渾身こんしんの一撃で迎えようではないか」


 兼良は上段に構える。間合いに、何もない。隙は大きいように見えて、実際には皆無かいむ。静かに構える。前を見据える。


 息が苦しい。鼓動が荒れる。次はまごう事なき必殺の一撃。回避を考えれば、ない。死中に活を。単純に、前を向くしかない。

 それには、震えが邪魔だ。鼓動が邪魔だ。眩暈めまいが邪魔だ。心が邪魔だ。自分が、邪魔だ。



 ならば、自分を『殺せば』よい。



「行くぞ」


 風が止む。


「奥義」


 音が止む。


斬岩剣ざんがんけん


 止む。刹那せつな轟音ごうおんと共に、刀が来る。

 一歩。される。

 一歩。押される。

 一歩。される。

 下段から、一気にぐ。胴がそれを守る。防御の上から、それをぐ。我武者羅がむしゃらに押す。斬る物はこれではない。迷いも、恐怖も、自分も、全てを束ねた存在をる。気迫を全て剣に込め、渾身こんしんの力で攻め倒した。

 空白。そして、揺らぎ。


「見事、だ」


 私の一撃は、胴を砕いた。しかし、何も斬ってはいない。胴が胴を救ったのである。


「貴公は、我が渾身こんしんの一撃にあって踏み込み、それも、三歩も踏み込み、わずかな空間に力をめた。かわすことも、貴公であればかろうじてにしてもできたであろうに、それを、なぜ攻めた」


 兼良は、真直まっすぐに私を見る。よく見れば、澄んだ、黒いまなこであった。


「貴方は、私を試すと仰った。そうである以上、貴方の必殺技をかわすことは無意味だ。それに、貴方の体力の限界もある。全力の貴方と戦いたかったのかもしれません」

「震えておった者が、よく言ったものだ」


 兼良は、初めて静かに笑うと、私の前に一つの宝石を差し出した。


「力の塔の宝石だ。貴公は私をあやめずに倒そうとした。時には、生を奪うことも必要だが、守ることが、真の力。司書になれば、必ず守りなさい」


 兼良より、宝石を受け取る。私はそれをポケットに入れると、一礼して、その場を後にした。

 退室の間際、かすかに木の香りが感じられた。

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