(11)前途

 それから二日の間は内田にとって受難の時となった。図書部の仕事をどうにかして覚えたい内田であったのだが、その膨大な量に悪戦苦闘することとなる。特に、書庫整理は困難を極め、毎日最後まで残って練習を続けた。無論、その尻拭しりぬぐいは私がすることとなり、自分の仕事と合わせれば、ゆうに三倍を超える仕事量をこなさざるを得なかったのである。そして、それでも満足のいかなかった内田は、私を無理矢理土曜日にまで学校に出させ、訓練についやしたのである。隔週週休二日の身には、なんとも悲しい出来事である。


「二条里、これでいかがですか」


 内田が並べた後の本棚を眺める。上手く並んでいないのは明らかに見て取れる。実際、彼女は既に二時間は格闘しているのだが、それでも、この状況を見れば水上みながみ容赦ようしゃなく並べなおしを始めるであろう。元々、この原因も水上で、三日前の出会いのときに内田の並べた本棚を見て、やり直しを命じたことに起因する。これが、下手に内田の負けん気を刺激した。そのため、ここでの合格点は私の基準ではなく、水上目線での基準となる。つまり、早く帰りたいがために手を抜く事は許されないのである。


「とりあえず、昼食にするべ」


 思わず、どこぞの方言が口から出る。待っている間の退屈は既に限界に達しており、何かしない事には、狂ってしまいそうな状態であった。そのため、血気に走る内田を抑え込んで、私は持ってきた弁当をカウンターに広げた。

 正直、手の込んだものを作る気力がなかったので、適当に有り合わせのもので作ったのであるが、それでも、内田の作品よりはいい。少なくとも、人間の食べるものとして適正な姿形すがたかたちを成している。味も、食指が伸びるように正しく設計されている。


「二条里、今は食事を摂っている場合などではありません」

「何を仰ってらっしゃる。腹が減っては戦はできないぞ」


 しかし、と続ける内田であったが、その次の瞬間にはお約束のように胃の収縮音が木霊こだまする。その音に、思わず笑いがこみ上げてくるものの、内田の気まずそうな視線に、必死で奥に抑え込んだ。


「そこまで二条里が言うのであれば、頂きます」


 そう言いつつも、内田の箸は止まらない。彼女に気に入っていただけたか否かは安易に想像できた。


「そういえば、この前の岩波事件の時に内田は何か本が気にかかるって言ってたよな。その本ってどうなったんだ」

「ええ、中から召喚獣しょうかんじゅうが出てきたので、それを倒して元通りにしておきました。少しでも変化があれば怪しまれるでしょうから」


 怪しむも何も、もし、一冊でも本が無くなっていれば図書部はそれだけで大騒ぎである。特に、水上が錯乱でもしたかのように荒れ狂う姿が目に浮かぶ。そういった意味では、内田の処置は実に適確であった。


「そういえば、内田はどうやってそれだけ強くなったんだ。元から強いわけじゃないよな」

「どうされたのですか、突然」

「いや、この前の戦いの後、少しだけ考えてな。どうせ命を狙われるなら、自分の身体ぐらいは守れるようになった方がいいだろうと思って」


 ここまで言うと、突如とつじょとして内田のはしが止まった。


「何を仰ってるんですか。もし、二条里がその気になればこの日本ぐらいは簡単に守れますよ。いいですか、貴方の潜在能力は常人を遥かに上回っているのです。ですから、貴方に限ってその心配は無用です」


 顔を紅潮させて内田は言う。怒っているのは明らかだ。しかし、襲われてばかりの私からすれば、この程度で退くわけにはいかないのである。


「でも、現時点で力がないのは事実だろう。だから、せめて足を引っ張らない程度にはなりたいんだ。それに、辻杜先生の話だと、これから戦う相手は結構強いんだろう。なら、なおさら強くなる必要があるだろう」


 内田がにらむようにして黙り込む。その間、わずか数秒。しかし、その間隙かんげきを以って彼女は返した。


「一応、断っておきますが、私の採った方法は死者が出るほど厳しいものです。それでも、いいのですか」

「ああ。このままして死ぬより、闘って死んだ方がましだ」


 少なくとも、この二回の戦いで非力さに対する絶望感を強く抱いている。それを考えれば、前を向いて人生に挑む事ができるということは、はるかに幸せな事であった。

 私の返事に、内田は一度だけ溜息ためいきく。そして、彼方の空をわずかに眺めると、私を真直まっすぐに見据みすえて、言った。


「分かりました。それであれば、私が基本をお教えします。ただ、一応は辻杜先生に相談してみてください。何かいい方法を教えていただけるかもしれません」

「そうだな。じゃあ、今日の帰りにでも相談してみるか。ちなみに、レクチャーはどこでやる」

「この前の森で良いと思います。あそこであれば、人気がありませんから技令を用いても問題ないと思います」


 そう言いながら、内田の意識は既に弁当の方へ向いている。一瞬の寒気がまるで嘘であったかのように、周りは長閑のどな温かさに包まれている。一片のよどみもないこの空間に、私は思わず顔がほころんでしまった。




 それから二時間、血のにじむような努力を重ねた結果、内田はぎりぎり合格点が出せる程度にまで成長した。無論、まだ荒さは残る。とはいえ、これ以上のレベルを新人に求めるのは酷であり、水上もそこまで鬼ではないだろうと考えてのことだった。

 さて、修行を終えた私達は下校前に辻杜先生の下へと立ち寄った。といっても、その先は職員室などではなく、校舎裏の辻杜先生専用の喫煙所であった。無論、隠れてであったが。


「そうか、二条里も強くなりたいという事か」


 先の事情を話すと、辻杜先生は静かに頷いた。既に、タバコの火はその身を半分は焦がしており、煙の立ち方もゆったりとしたものになっている。


「それなら、司書の塔に挑戦してみろ。運と実力があれば強力な力が手に入る」


 そう言った辻杜先生は、タバコをその場に捨てて踏みつけた。


「辻杜先生、それはあまりにも過酷なのではないでしょうか」


 この辻杜先生の一言に、私よりも先に内田が反応した。その表情は明らかに硬い。それでも、辻杜先生は表情を変えずに返した。


「過酷さは重々承知だ。だが、こいつの宿命と戦うには、それくらいの力が必要だ。それに、時間もあまりない。既に、レデトール側は刺客を放ち始めている。これに対抗するためには、二条里が飛躍的に成長することが不可欠になるだろう」

「しかし、修行で二条里にもしもの事があれば、元も子もありません」

「まあ、そこは二条里の力しだいだろう。とにかく、半月の間に力をつけろ。その上で、司書の塔に挑戦してもらう」


 いきり立つ内田と、それを受け流す辻杜先生。二人の間で話が進んでゆく。それに対して当事者である私は全く意味が理解できず、ただ呆然とさせられる。それでも、二人の間に何とかして割って入った。


「ところで、司書の塔って何ですか」


 この質問に、内田と辻杜先生が同時に同じ反応を示す。明らかに、なぜそのような事をという感じの顔であるが、私としてはこの話の流れが全くつかめなかった。


「そうか、内田からは何も聞いてないのか。まあ、簡単に言うと技令の世界の番人みたいなものだ。昔、技令を使う人間の間で大規模な争いがあってな、それ以降、無駄な戦いを避けるために強力な力を持った技令士を作り、管理するようになったんだ。それが司書の始まりで、技令に関する書物を管理し、戦いとなればその解決のために迅速じんそくに行動する。そして、その司書の検定を行う場所が司書の塔というわけだ。ここで、二条里は素質に相応ふさわしい力を得たほうがいい」


 青天の霹靂へきれきである。私はただ、足手まといにならない程度の力が欲しいと思っただけである。それが、よもや最強に類するような存在になれと言われたのである。確かに、辻杜先生の話による類推に過ぎない。しかし、その類推が正しければ、護身術を学ぼうとした一般人がアメリカの海兵隊に入隊する事になったようなものであろう。とても、正気しょうき沙汰さたとは思われなかった。


「二条里、お前は強くなりたいと言ったんだ。なら、これを乗り越えない限りは強くなる事もおぼつかない。それほど厳しい戦いなんだ。その中で、お前も戦おうと思うんなら、無茶は承知でやってみろ。人間としての尊厳を賭けてな」


 辻杜先生の瞳に、揺るぎはない。ただ、一人の人間として私を見つめる。その奥に何があるのかはいざ知らず。それでも、信じ、従わざるを得ない状況へと追い込まれた。むしろ、信じたいと思う状況へと追い込まれた。


「どうだ、二条里」


 この一言に、私は力強く首を縦に振った。座して死ぬぐらいならば、戦って死ぬ。その自らの決意と、辻杜先生の熱いまなしに、私は自らの運命を委ねた。

 秋が来る。遠い空が、心に残った一瞬であった。

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