(10)帰還

 一夜明けて、学校は喧騒けんそうによって包まれる事となった。岩波先生が失踪しっそうし、警察の捜査が入ったのである。当然、荒れた理科準備室は捜査の対象となり、校舎の破損も大きな問題となった。


「肉体は残っていたんだがな」


 その様子を見た辻杜先生は、少しだけつぶやいた。話によれば、倒れた岩波にはまだ意識があり、命に別状がないことを確認していたそうである。そのため、辻杜先生は簡単な処置を施し、その場に放置した。


「しかし、戻ったときにはもう」


 肉塊にくかいは消えていた、というのである。そのため、辻杜先生は不審に思いつつも、帰宅の途についた。


「それが、まさかの失踪しっそうとはな」


 とはいえ、岩波を倒したときには、肉体はどこにも見当たらなかった。それを考えれば、岩波の肉体が遠くに飛ばされたであろうことは容易に想像がついた。それで生きていたのであるから、岩波もしぶとかったのである。だが、そのような事はどうでもよい。問題は、その後に何が起きたかである。それを調査しに、私と内田とは急派されたのであったが、まさしく徒労とろうに終わった。


「まさかとは思いましたが、辻杜先生があのような使い手とは思いませんでした」


 学校に戻る途上、内田はふとらした。無理もない。あの後、目を覚ました内田は果敢かかんにも辻杜先生と対峙たいじしたのである。




「二条里とお前のためだ。俺の下にけ」


 私とほぼ同じ一言を放たれた内田であったが、その対応であれば、全く以って違うものだった。


「そのような戯言ざれごとが私に通じるとでもお思いですか」

「まあ、立ち向かうだけ無駄だ。素直に聞いておけ」


 内田の周囲の気が凝縮してゆく。さやから抜かれた太刀たちは殺気をはらんで世界をにらむ。


風韻斬ふういんざん


 必殺の一撃が気合と共に放たれる。これが、彼女の最強の一撃であろうことは間違いない。しかし、その一撃がもたらしたものといえば、辻杜先生をわずかに前進させただけであった。

 一瞬で埋められた間合いは、既に、内田のものではなかった。辻杜先生はその頭を掴み、内田の抵抗はあえなく抑えられたのであった。




「ま、内田らしい突撃だったよ」


 ここ数日で、この少女の性格もおよそ掴めるようになっていた。無表情な無鉄砲。言い換えれば、迷惑な存在とも言えた。


「しかし、気になるのは辻杜先生の目的ですね。仲間になれということは、何かするべき事があるということですから」

「思い当たる節とかないのか」

「あるには、ありますが」


 そこで、内田の口が止まった。


「あまりにも、それは」


 どこか寂しげに、彼女は空を眺めた。九月の空に、それはあまりにも不似合いで、私はそれ以上の詮索せんさくを避けざるを得なかった。




 学校に戻ると、辻杜先生は校舎の片隅でタバコをくゆらしていた。前であれば何気ない日常が、そこには特異なものとして存在していた。


「悪かったな、二条里。ただ、俺も一つだけ分かったことがある。どうやら、岩波は空間の歪みに巻き込まれたらしい」

 くわえたタバコをその場に捨て、辻杜先生は平然と言う。しかし、それが異常なものであるということは想像に難くなく、その証拠に、隣の内田の表情が一瞬で強張こわばった。


「まあ、仕方あるまい。七老人の技力を用いたんだ。それは、レデトール側からもにらまれるさ」


 ここに至って、辻杜先生が明らかにおかしな単語を発した。何気ない一言であったのだろう。しかし、これが先の議論の中心であろうことは、容易に想像できた。


「レデトール、とは何なのですか」

「二条里、お前は聞かされていなかったのか、そこの内田に。まあ、俺たちの世界では必要だから、教えよう」


 言うなり、辻杜先生は赤いマール・ボロー・マンの箱から一本のタバコを抜き出した。


「最初に聞いておくが、二条里、お前は地球外生命体がいると思うか」

「まあ、いる可能性は高いと思いますが、ただ、地球に来るのは不可能だと思います」

「優等生らしい答えだな。だが、実際には山のように宇宙人がいて、この技令などを利用したワープ理論で地球にやってきている。その一つがレデトール星だ。地球で言う西暦一八二八年に星内の統一を成し遂げ、地球の支配を目論もくろむようになった」


 辻杜先生は平然と言う。しかし、その内容であれば恐ろしいものである。内田も表情が強張こわばる。その横で、部活に励む生徒たちは声を上げて走る。


「彼らは、技令と体則のスペシャリスト。俺が相手をしなければならないのは、そういった化け物だ」


 化け物、という言葉の裏に憎しみはない。ただ、純粋にその強さに感服した様子で、答えているだけである。だが、私にしてみれば恐怖を増幅させられただけであった。


「では、私が協力しても意味はないではありませんか」

「意味はある。俺は体則なら自信があるが、技令は使えない。まあ、守る事ぐらいはできるがな。だから、お前たちのようにバランスよく戦える人材が必要なんだ。それに、二面作戦を動かせなくなるからな。それだけ、状況は切迫せっぱくしているんだ。その代わりに、お前たちに情報と修行を提供する」

「でも、敵が大きすぎます」

「ああ。だが、今の状態で一人になればお前は間違いなく、その大きな存在に圧殺される」


 辻杜先生が一際低い声で告げる。それはまるで死の宣告。一条の光もないような漆黒しっこくへと導かれる思いであった。


「ただ、今のお前は小さな存在でも、いずれはお前の下に多くの猛者もさたちが集まる。二条里、あの陣形技令を用いた以上、英雄である事がお前の宿命になった」


 秋隣の空は、遥かに高い。その高みにどこか哀れみと憧れを感じ、私は静かに首を振った。




 夕刻、少しだけ涼しげな風が図書室に吹き込む。その風だけが、どこか熱を帯びている頭を覚ましてくれる。


「もうすぐ、秋になりますね」


 山ノ井の何気ない一言が最もよく晩夏を言い当てる。長閑のどかな季節の移り変わりは、それだけで、疲れた心を癒してくれる。


「そういや、修学旅行ってもうすぐだよな。京都だか東京だかに行くんだろ、俺たち」

「はん、おいには関係なか。十二月にきつかだけたい」


 季節感を全て相殺する渡会わたらい土柄つちのえの論争。その中でも、水上は淡々と本を読み続ける。ある意味では、図書部の中で最もタフなのかもしれない。


「修学旅行といえば、自由行動とかあるんだよな。クラスの中だと、面子めんつを組むのが面倒くさくないか。もう、いい加減私も疲れそうなんだが」

「この分ですと、僕と君とはまたセットになりそうですね」

「まあ、それは仕方ないな。クラス縦断してもいいなら、既に五人の班ができてるんだけどな」


 溜息ためいきというものは、晩夏の風景によく合うらしい。憂愁ゆうしゅうは夕空に溶け込むとあかね色のキャンパスとなり、やや小太りな雲が夏の名残として描かれていた。


「そういや二条里さ、お前、あの内田の隣の席なんだってな」


 渡会の思わぬ一言に、感傷が一瞬で吹き飛ぶ。忘れていたが、この図書部の中で唯一こいつだけがこれ系の話に付け込んでくる。無論、それを図書部の中で持ち出す機会は皆無かいむに等しいのであるが、場合が場合である。明らかに、面白半分で首を突っ込もうとしていた。


「しかも、図書部に入ったんだろう。何か進展とかないのか」

「はは。あればここにはいないだろう。むしろ、クラスの男子との関係の方が進展してるよ。危険と隣りあわせでな」

「まあな。二条里にそんな甲斐性かいしょうがないことは俺も知ってるさ。ただ、気をつけとけよ。一つ間違えれば、今ならもれなく男子一同から巻きのプレゼントだ」


 互いに、声を上げて笑う。無論、夜に二人で落ち合っているだとか、一緒に登校しているだとかは秘密である。


「ま、どうせこれもブームみたいなモンだろうさ。もう少しすればまた転校生が来るらしいし、新しいALTの先生も来るから、それまでの辛抱だろうさ」

「あれま、また転校生が来るのか。まあ、今度は関係なければいいけどな」


 ゆるやかな時間は僅かに木々を揺らす。少し先には枯れ。まだまだひぐらしもも元気に鳴く中、静かに図書室の戸が開いた。


「遅くなり、申し訳ございません」


 内田が、走ってきたのか僅かに息を乱しながら入ってきた。


「へえ、こいつがうわさの内田か」


 渡会の突然の一言に、内田は困惑の表情を浮かべる。だが、渡会はそのようなことなど気にせずに言った。


「ま、転校生がよっぽどでない限りは、二条里の受難は続きそうだな」


 軽く置かれたはずの渡会の手が、肩に重くのしかかる。カウンターの方では、既に山ノ井が水上と土柄を相手に内田の紹介を始めている。


「しかし、お前も幸運なのか不幸なのかよく分からんな。確かに、あれなら男子の人気を集める」

「そうなのか。正直な話、それは迷惑なだけなんだけどな」

「まあ、好みは人それぞれだからな。俺だったら、もっと明るい子の方がいいから別にそこまでないが、内田と比べて引けを取らない女子は、お前のクラスの川澄ぐらいだろう」

「まあ、不幸中の幸いなのはその川澄との接点がない事だけだな」

「お前、普通の男子の前でその一言を口にしてみろ。間違いなく、次の日には近くの畑で穴埋めにされてる」


 確かに、その姿が安易に想像できる。とはいえ、私からすればその接点は不幸以外の何者でもなく、幸せな日常の崩壊以外に何もないのである。


「ま、せいぜい殺されないように頑張れよ」


 そう言って、渡会はかばんを持つとそのまま豪快にドアを開けて出て行った。後に残るのは溜息ためいき。どこか懐かしい日常への、かすかなあこがれであった。

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