(9)安寧への隷属
それから後は、大変な事この上なかった。ひとまずは生命の危機を脱したものの、後に残ったのは眠れる少女であった。彼女を残して去る事などできるわけもなく、必死の思いで、近くの
ただ、私がそのまま眠りに
「
例の言葉を
風の中にやや冷ややかさが混じる。月の
少女は目を覚ます気配もない。安らかな寝息だけが、この現実を否定してくれる。
「英雄の、技令」
だが、この少女もまた私に対して一つの
「それが、お前がこの世に生まれてきた意義だ」
その時、あの特有の、鼻にかかった声が
「何のことはない。普通の人間が自らの進路を決めるようなものだ」
葉を踏みしめる音が少しずつ近付いてくる。否定と拒絶が脳内で
「ただ、それが普通のものと違うのは」
林の奥から一つの影が現れた。
「天より与えられた使命だということだ」
絶句、する。現実の崩壊が目の前で極大化する。今まで信じてきた日常など、
「言葉が出んのか」
先生は、いつもよりもやや優しげな目で私を見つめてくる。しかし、その手に握られたものは明らかに異質なものであり、岩波とも異なる気を放出していた。緊張が走る。身体は全く動かない。ただ、一つの現実だけを見据え、私は口を開いた。
「敵ならば」
「止めておけ。今のお前では、万に一つの勝ち目も無い。それに、俺はお前たちの味方だ」
そう言うと、辻杜先生はその場で足を止め、内田の方を
「まあ、この様子ならそのうち回復するな。とりあえず、放っておいても大丈夫だろう。さて、何から話すか。本当であれば、技令と体則の説明からすべきなんだろうが、その必要はないようだな。それよりも、あの背脂が何者かを話す方が先決だろう」
背脂、と聞いた瞬間に緊張感から解放される。辻杜先生も、よほどあの岩波先生が嫌いだったのか、
「ええ。とりあえず、人間とは思えませんでしたが、何者なんですか。宇宙人とかモンスターとかであれば話は早いんですけど」
「あながち間違えでもないんだが、残念ながら、奴はきちんとした人間だ。ただ、技令の力で体組織を変化させ、巨体化し、事実上のモンスターに変化したんだ」
「あれも、技令なんですか」
「ああ。ただ、奴自身の限界量では足りなかったから、技石で補っている。お前が今、手に持っているそれだ。その技力を利用して奴は禁じられた技令を放った。俺と
遠い目が月を貫く。両者の間に何があったのかは分からないものの、感傷がそこに強い影を与える。問うべきか。その思いは男の背中の悲しみに封殺された。
「しかし、その禁じられた法を打ち破ったのは、
背筋に冷たいものを感じる。いい加減に慣れてもよさそうなものであるが、未だに、自らの能力を
「では、その陣形技令とはどのようなものでしょうか」
「光の線と、その線上に生じる光の壁によって敵を攻撃するものだ。この技令を用いる者は、その世界において英雄となりやすく、故に、英雄の技令と呼ばれる。まあ、最近では実力でこれを習得する者が多くいる。それでも、天性の才能で用いる事ができるのは、本物の英雄以外にはあるまい」
辻杜先生の目に
木々のざわめきが狂おしい。星のざわめきが狂おしい。私の足は大地になどなく、私の心はただ一つの可能性に向かってひた走っている。その走りこそが、思いとなり、考えとなり、決断となり、言葉となった。
「仲間に、なれということですね」
風の吹きぬける音が、後に困惑を残す。一つの空間に二つの意志が重なり、互いの思いが緊迫を起こす。青さと枯れの香りが鼻をつき、大地の揺らめきが胸を突いた。
「違う。下に
絶句。
「仲間というのは、あくまでも力量差の少ない場合の関係だ。それに、お前にとってもその方が都合がいい事になる。だから、協力しろ」
目は口ほどまでにものを言う。このことわざが示すとおり、目を見れば相手の意思は伝わってくる。特に、誠意というものは瞳の
「先生、何が相手で何を目的とするのですか」
「敵はただ、
二人で月を見上げる。
「何気ない日常を守るために戦うだけだ」
次の瞬間、私は差し出された手を握り締めた。その手に込められた力はいかにも強く、しかし、温かなものであった。
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