(8)撃鉄
火事場の馬鹿力とは、よく言ったものである。
死刑宣告の後、私は岩波の
ただ、敗走を続けている者に勝利は存在しない。やがて、最後の階段を駆け上がると、夜風行く屋上へと追い込まれるのであった。運命に必死で抗う。自分の無力を痛感させられる。
「いい場所に来たものですね、二条里君。紫の魔力は闇を以って最上とします。まさに、この実験を締めくくるに相応しいものです」
吐き気が、止むことなく続いている。無理もない。体の限界を大きく超えて走り続けたのである。加えて、この岩波は先程から低重波を放ち続けている。身体への負荷は、確実に私の全体を
「さあ、お逃げなさい。この重圧と空間から逃れる事ができれば、の話ですが」
手のひらの上で踊らされるということは、これほどまでに苦しい事であるのか。防御など不可能なこの状態で、月下に舞う。しかし、そこに
それでも、やがては
「さすがに、モルモットといえども、人間は違いますね。これ程楽しい時間はなかった」
岩波が
生きたい。これほどまでに強く思ったことはなった。生に対する執着が、正に対する執着が、全身に力をみなぎらせる。吐き気は止まる事を知らない。それでも、虚空に浮かぶ月光だけを頼りに、私は両の足で向かい合った。
地面が揺れる。世界は歪む。恐怖によるのか、岩波の技なのかは分からないが、
「ほう、まだ立てるというのですか」
「しかし、二条里君。いいですか、実験というものには必ず結果と
頭は至って冷静だ。それは、唯一の救い。その驚くほどの冷静さの中で、私は、静かに布を広げた。
布が有り得ない
「なるほど、二条里というのは危険を呼び覚ますようですね」
澄んだ少女の声。その声に
「内田、簡単に言えば追い詰められた。一人では逃げようがない」
「そのようですね。それにしても、
「
私の言葉に
「ほう、大道芸ですか。しかし、ここは屋上。逃げる事は叶いませんよ」
内田は岩波の忠告を無視して、飛ぶ。一瞬で重力の
「風のしがらみ」
技令が
「二条里、走れますか」
内田の問いに、無言で
「おやおや、どちらへ行こうとも無駄ですよ」
しかし、それを止めたのは、目の前にある岩波の巨体であった。
「そんな、ばかな」
内田さえも、絶句する。無理もない。必勝の速度を期して、逃げたのである。それを、この
「仕方ありません。不本意ですが、お相手いたしましょう」
「ほう、あなたもモルモットを志願するというのですか。これは、楽しみですね。活きのいいモルモットは貴重な存在ですから」
「お祈りは済みましたか。今から、私が地獄への切符を切って差し上げましょう」
岩波に対して剣を向ける。だが、その言葉とは裏腹に、内田の額に
選択肢は想像以上に少ない。とはいえ、結果に至っては一つしか存在しない。元々から存在しないものを、それでも必死に
目の前を見据える。強化された岩波の一撃に、内田が舞う。悲鳴が舞う。固いもの同士がぶつかる無機的な音が耳を包むと、足下に内田の身体が転がった。
「
言うと、岩波はその巨漢で内田の身体を踏みつけた。再びの悲鳴。
「さあ、結果を、導く時です」
それで、何かが
大地に、両の足を立てる。震えが全身を覆う。それでも、
「
頭の中で、あの言葉が
「光魔法など、有り得ません」
岩波が明らかな動揺を見せる。今までの余裕は無残にも砕け散っていた。私も、あまりにも強い光に目を開く。すると、足下に数多の光が線となって広がっていた。
「英雄の、技令」
内田が、苦しみながらも
「これが、二条里の力」
冷静な内田の一言の直後、線は光を増し、そこから光の帯を突き出した。
「二条里君、よもやあなたが技令を用いることができるとは思いませんでした。しかし、それを無駄な
岩波はそう言いながら、光の帯に触れる。しかし、光の帯は強く輝くと電流が走り、岩波の身体を内側へと押し返した。岩波がうろたえる。だが、この光は追い討ちをかけるかのように岩波を包み込むと、白金と黄金の強い輝きを放った。
「馬鹿、な」
岩波の声は光の収束と共に消えてゆき、後には、気を失った内田の姿と、紫色の宝石だけが残された。
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