(6)新たな景色
翌朝、私は目を覚ますと、昨日の夜に内田から受け取った布切れを手に取り、そのまま学ランの内ポケットへと忍ばせた。内田が言うには、
「強力な能力を潜在しているのにもかかわらず、未だ、力が全くと言っていいほど発揮されていません。危険な事この上ないので、いざという時にはこれを広げてください」
とのことであった。何でも、日頃はある程度の技令を防いでくれるし、いざという時には、さらに別の効果を持つとのことであった。
少しだけだが、日常が変わった。その原因はいくつかあるだろう。しかし、その中でも最大のものは、何と言っても死と両隣の関係になったことである。実感としてはまだまだ薄い。それでも、昨日の夕刻を思い出すたびに、私の背中には寒気が走るのであった。
朝食を片付け、急いで学校へと向かう。いつもならば、この時間に生徒がいる事は稀である。図書部の仕事は朝早く、夕方も遅い。部活の生徒でさえ、もう少し遅く活動を始める。そのため、この時間は図書部のものであり、他というものが著しく排除された世界なのであった。
の、はずであった。
「おはようございます、二条里」
「おはよう、うち……って、何で内田が」
しかし、そこには私の常識を覆し、存在するはずのない姿が存在した。昨日、既に現実が崩壊しつつある事を認識してはいた。それでも、この事態に対応できるほどまでには、私も順応してはいなかったのである。
「昨日、暫くはご一緒しますと言ったはずですが」
「だから、こんな朝早くからここにいるのか」
はあ、と思わず深い
「仕方ない、一緒に行くか」
心配は、尽きる事などない。校門の前には誰がいるであろうか、途中で誰に会うのだろうか、図書部の部員と遭遇した場合にはどう言い訳しようか。こういった暗雲が、心の中で浮かんでは消え、消えては浮かびを繰り返し、青空の下に影を作り出してゆく。それらの不安を無理矢理に引き裂くと、熱を持った顔と共に歩みだした。
「それにしても、昨晩中気になってたんだが、結局、何で内田は私を襲ったんだ。私が変な力を持ってることは分かったんだが、理由は説明してくれなかっただろう」
「そのことですか。いつまでも隠す事はできないでしょうから、お話しておきますけど」
と、内田は少し顔を赤らめると、私の耳元で勘違いだったんです、と微かに
「実は、ある事情があって強力な能力を持った人物と戦わなければならないのですが、二条里の力が強すぎたので、その、勘違いしてしまったんです」
「じゃあ、私はその勘違いで殺されそうになったのか」
私の
青空を、一羽のすずめが登ってゆく。その先を眺めながら、私は下りきってしまった肩と一緒に登校するのであった。
その後、何事もなく登校すると、すぐに図書室へと向かった。無論、ここまでは内田もついては来ない。何でも、
「校内であれば、何か変事があった際には、すぐに駆けつけられますから」
とのことであった。ただ、それ以上の理由としては、内田と一緒にいる方が身の危険を感じるからであった。何といっても、内田はそこそこに美人である。(と、言うことになっている)決して、私の学級に他の可愛い子がいないわけではない。例えば、
「これで、上手く行けばいいんだが」
「あれ、二条里君。どうされましたか」
ふと見上げると、そこには山ノ井の顔があった。しかし、こういった話題に関しては、彼に相談したところで、解決される事はない。図書部は政治力の塊であるのだが、こういった抗争に対してはこの上なく鈍感であった。故に、時には敵を抱え込む事もあるのだが。
「いや、なんでもないよ。強いて言えば、この前のテストの点数を思い返して、嘆いていたところですよ」
「ああ、そういうことでしたか」
と、こうである。こういった分野であれば、少々嘘をついたところで、図書部内では分かる事はない。これさえなければ、女子からもそこそこの人気がある山ノ井は、恋人を作る事もできるのであろうが。
「そう言えば二条里君、今日から新しい部員が図書部に入る事になったから」
「ん、転校生が割り振られたのか」
「そのようです。話によると、そこそこ本が好きなようですから、仕事振りに期待ができますよ」
そうか、それはよかったな。と、山ノ井に言いながら、私は覚悟を決めざるを得なかった。今月と先月を合わせて、七人もの転校生がやってきたために、可能性は低かったものの、私にはその人物が安易に想像できた。無論、その理由さえも分かる。そして、登校中に行なわれた必死の説得が、全くの無駄であった事を悟ると、私は従容として運命を受け入れざるを得なかった。
「それで、その子なんですけど」
「もういい。私のクラスに昨日、転入してきた女子だろう」
「はい。それで、席も近いですので、教育係をお願いします」
山ノ井の言葉に力なく頷くと、私は静かに記録帳を手に仕事を始めた。まあ、内田と近付く正当な理由が得られたからよしとするかと、自分をごまかしながら。
その後、朝からの仕事を終えて教室に戻ると、私は男子からの質問攻め、否、
そんなこんなで、内田と時を同じくする権利を得た私は、やっと平穏な授業というものを手にすることができた。その為、今原先生の数学も、辻杜先生の国語も、
「なあ、内田。私にも、私の生活と言うものがあるんだが」
「ええ。ですから、無闇に付き
「まあ、それはそうだが」
「それに、この図書館のことを調べなければならない用件ができましたので」
「用件って、何かあったのか」
「いえ、まあ。特に、何もなければいいのですが」
直感的に、内田が重大な事を隠していると感じたが、これ以上、この事に巻き込まれるのを避けたい私は、それ以上の追及をする事はなかった。むしろ、私には他に聞きたい事があった。
「ところで、その弁当、自分で作ったのか」
「そうですけど、何か」
内田は平然として揺るがない。だが、私の目の前にある物体は、弁当というよりも異世界から生じた魔物という方がその実態に近い。食べられるのか、という疑問よりも先に、直視もままならないという恐ろしいものであった。
「自分で、作ったのか」
「はい。味はともかく、食べられますよ」
「内田、明日から弁当を作ってくるな。代わりに、私が作ってくる」
「いえ、そんなご迷惑は」
「いいから、作るな」
私が力強く言うと、気迫に押されたのか、内田も素直に頷いた。
その後、私は内田に仕事内容を説明していった。ただ、一度に全てを教えるわけではない。新しく入った部員にはまず、簡単な仕事が回る。その分、先に入っていた部員は難しい仕事をこなす事となる。例えば、近いうちに行なわれる、年に一度の書庫整理の順番と担当者決めなどは、私や山ノ井でなければこなす事はできない。また、予約管理に関する仕事も、詰めの部分では、やはり、慣れた人間しか行う事ができない。自然、そういった部員は仕事量が増えて大変になってゆく。
それでも、新入部員には書庫整理の手順と貸出管理の基本を覚えなければならない。これが、存外に難しい。細かく分類された図書は割り当ての棚に指定の冊数だけ配置される。その為、棚ごとに定められている冊数を熟知し、
だが、流石にこれを一度に暗記するのは至難の業であるため、新人研修用のマニュアルを内田に手渡しながら説明した。それでも、内田の表情はみるみる固くなってゆき、最後には、うんざりしたという様子がありありと顔に出ていた。
「最早、中学生の活動ではありませんね」
「まあな。でも、私はほとんど暗記してるからな。内田もこれくらい暗記しないと、図書部として失格だぞ」
私の追い討ちに、今更のように後悔したのか、内田はやや天井を眺めた。
「早速、新人研修をされてるんですね。さすが、二条里君です」
そこへ、簡単な説明が終わったのを見計らうかのように、山ノ井が図書室へと入ってきた。そこには、いつものように隙を見せない姿がある。しかし、ただ一つだけ、常とは異なる部分があった。
「山ノ井、どうでもいいんだが、いつもながら完璧だな」
と、思わず言ってしまうほどに完璧であったのだが、ここに不自然さがあったのである。確かに、山ノ井は完璧を装うのが得意である。そつなく物事をこなし、細やかな部分にも気を配ってほとんど完璧な状態を作り出す。
しかし、いつもは全てが完璧なわけではない。おかしい部分を必ず一つ残しておくのがいつもの彼の流儀である。完璧な人間などいないですよ、と彼は口癖のように言うのであるが、
それが、今日はこの様である。私としては全く信じられなかった。
「そんな事はありませんよ。ところで、どこまで説明していただけましたか」
「開架書庫整理の基本までだな。十進分類法を説明しようとしたところだ」
「それでは、その分は私が説明しておきますので、その間に書籍修理をお願いしてもいいですか」
「ああ。確かに、書籍修理なら私が速いもんな。じゃあ、このお嬢様に丁寧に教えてやってくれ」
私の軽口に微笑むと山ノ井は、内田に説明を始める。その間に、私も壊れた本の修理を始めた。無論、大破したものなどは不可能であるが、軽傷であれば十分に救いようがある。そういった本たちを救ってあげるのが、いつもの私の仕事であった。
「しかし、こうして本の修理をしてると、やっと戻って来れたって感じがするな」
返ってくる言葉は無い。それだけ、山ノ井は内田への説明に熱が入っており、内田の方も市民権を得るべく奮闘しているということであった。やや寂しい気もするが、私は他の面子が揃ってもなお修理を続け、淡々と仕事を処理していった。
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