(3)涼風
朝のお
「おはよう、二の五の諸君。さて早速だが、今日は転校生を紹介する」
今原先生の言葉と同時に、教室中から秩序が失われた。その中で、私と一部の生徒だけが冷静にそれを見つめる。特に、私の二つ前の席に座る、友人の山ノ井は、温かくも穏やかに転入生を歓迎していた。だが、そのようなものは所詮、一部であり、待ち遠しさに臨界点を迎えつつある人が圧倒的な多数派であった。
「よし。じゃあ、入ってきてもいいぞ」
教室の前方にそびえる扉が再び開いた瞬間、教室中がかすかな
「今日から一緒に勉強する事になった内田
今原先生の視線に皆の注目が集まる。それでもなお、あくびをしつつ、その行方を見守る私であったが、今原先生と視線が合った瞬間、自分は部外者から外れた事を直感的に感じ取った。そして、その直後には私に向かって級友全員の視線が集まり、この心を刺殺した。
「よし。じゃあ、内田の席は、二条里の横に決定する。内田は、廊下に置いてある机と椅子を持って来い。それから、二条里は内田に教科書類を見せてやれよ。まだ、内田には教科書がないからな。それじゃあ、学活を始めるぞ」
今原先生の号令と共に、大地が大きく脈動する。だが、今の私には、それに応じられるだけの余力などなく、ただ、貫かれた胸の痛みを抑えるだけで精一杯であった。
それからは、針のむしろという言葉が最もふさわしい状況に置かれた。すなわち、男子生徒諸君からにらまれ続け、時には、明らかな殺意の目を向けられたのである。特に、教科書を見るために少女が近寄ってくるたびに、私は視線によって殺されたのであった。
それでも、それに耐え続けると、午前中の授業も終わり、鐘の音と共に、私は弁当箱を抱えて逃げるように図書室へと向かうのであった。
午後四時半、校内をチャイムの音が駆け抜けた。それと同時に、私の活動時間が始まる。急いで鞄に荷物を詰め込むと、それを片手に図書室へと向かった。すると、そこには既に、三人の見慣れた男子生徒の姿があり、その後ろには、辻杜先生の姿が堂々と控えていた。
「お久しぶりです、二条里君。元気にされてましたか」
この四人の中で真っ先に話しかけてきたのは、
「山ノ井、気持ちは分かるが、私は風邪で休んでたんだ。元気であったわけがないだろう」
「確かに。それでも、例の事件を夜遅くまで見る事ができたのなら、比較的元気だったのではないですか」
「そ、それは言わないお約束だろう」
山ノ井に痛いところを突かれる。確かに、あの日は私も病気が快方にあり、興奮しつつ長らくテレビを見るだけの体力があったのである。ただ、そのために再び熱を出し、四日も余計に休む事となったが。
「それにしても、私は言ったか。夜遅くまであの事件を見てたなんて」
「それは二条里君の性格を熟知してれば分かりますよ。むしろ、図書部ならそちらの方が自然ですね」
「げ。じゃあ、そのニュースを翌朝まで知らなかった俺は図書部じゃねえのか」
私が、山ノ井の巧みな策略に見事、引っかかってしまっていた事を噛み締めている間に、
「別にいいんじゃないのか。渡会は渡会だろう。まあ、図書部の中では
「そうそう。にっちゃんや俺みたいに、変人領域を形成していないから、大丈夫だと思う。それに、その日は俺も知らんかったから同罪、同罪」
三人になった私たちの間に、さらに、
「本の虫」
で、あった。このために、彼は諸所の事情に通じており、細かい統計などを知りたいときには、彼に聞けば一発で分かるほどであった。その分、運動は私同様、だめであった。そして、水上、山ノ井、土柄、二条里といえば「図書部変人四天王」として、学校中にその名前がとどろいている。ちなみに、
「皇国の興廃この一戦に在り」
校内に、土柄の魂の叫びがとどろく。教室の方から発せられたものであろうが、十分に離れた図書室からでも、耳をつんざくほどの威力を持っていた。
「まあ、実際には、苦しかったのは最初の二日で、後はそこまで大変じゃなかったな。そう言えば、元気な方になるな」
「とりあえず、治って何よりです。仕事も溜まりますしね」
「そうそう。にっちゃんがいない間に俺の仕事は三倍に増えたんだよな。この分は今度、返してもらわないと」
水上がしたたかな笑顔をこぼす。この瞬間、場の空気がさらに軽くなった。それに伴い、辻杜先生が立ち上がって、タバコに火をともし、くゆらし始めた。
きれいな円を描く雲を抜け、夕日が今にも地平の底へと消えようとしていた。その西日は、ガラスの窓を通って図書室に入り込み、私と四人の影を無限の彼方へと伸ばそうとしていた。
「あれ、辻杜先生はどこに行ったんだろう」
その中で、私は辻杜先生が姿を消していた事に気づいた。あの後、土柄が数学の補習から何とか解放されて図書室にいたり、それからは六人で図書室にいたはずであった。しかし、気づいてみると影は五つ。一つ、大きな丸い影が足りなかった。
「あ、辻杜先生なら、四十分ぐらい前にトイレに行ったよ」
壁にかかっている時計を凝視する。そこにあったのは、六時という下校時間であった。それでも、辻杜先生が鍵をかけるのを待たないままに帰るわけには行かず、とりあえず、五人で待つ事とした。しかし、辻杜先生は一向に現れない。そうこうしているうちに、時計は六時半を示すようになり、私たちは先生方から強制的に退去させられる事となった。本来ならば、辻杜先生の帰りを待ちたくはあったのだが、私たちは仕方なく、下足棚へと向かった。
「しっかし、辻杜先生もよっぽど腹が痛いんだろうな」
渡会が、下足から靴を取り出しつつ、そう吐くように告げた。これに、他の三人が話を合わせ、登下校靴を片手に玄関へと向かっている。私も、早くそれに入ろうと、急いで靴に手をかける。そのとき、私の手に違和感が走り、それと同時に、乾いた紙の音が響いた。不思議になって、中をよく見てみると、そこには、封筒に入った一通の手紙が保管されていた。
「中学校の裏にある森の中の小屋で待っています」
私は我が目を疑った。心臓の高鳴りは抑える事もできない。この小説よりも奇なる人生の一大事に、私はわななき、震える手で静かにそれを封筒に戻した。その上で、下駄箱の名前を見る。だが、事実が覆る事はなかった。
「どうしたんだ、二条里」
不自然な様子に気づいたのか、渡会が私のそばに寄ってくる。それに対し、私は何とか平生を取り戻して応対したが、汗が滴るのが分かる状態では欺きようもなかった。逆に、渡会の目は探るような目になり、私の奥底を
「おーい、二条里は用事があるらしいから、先に帰ってよーぜ」
渡会が、追い立てるようにして三人を連れて行こうとする。これに、さすがに違和感を感じたのか、山ノ井が私のほうをまっすぐ見つめてきた。
「二条里君、どうなさったんですか」
「山ノ井、行こうぜ。聞くのは野暮ってもんだろ」
「しかし、どうして突然」
山ノ井が、いつもにはないしつこさで食らいついてくる。私の心臓も高鳴ってゆく。それを、渡会が常にない
「山ノ井、勘ぐるのはよそうぜ。仲間だろ、な」
この一言と共に、渡会は山ノ井を半ば強引に連れて行った。私も、これを最後まで見送ると、かばんを片手に、駆け足で校舎の裏へと向かった。
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