闇鍋御伽草紙

六理

闇鍋御伽草紙

 ある日、その少女は思い立った。


「英語の絵本を作ろう!」


「なんだいきなり」


 季節は真夏。の少し手前。

 梅雨を迎え、連日雨が降り続けぬかるんだ運動場は使い物にならず。かといって体育館も湿気のためか滑りやすい。

 その体育館でさえ学校内でそこそこの成績をおさめている部活に占領され、追い出された弱小運動部は校舎の廊下をかけ声と共に滑らないようにして小さく走るしかない。

 そんな声を壁で挟んで、ここは英語準備室。

 雨粒が入らないように窓は閉めきっているので蒸し暑い。

 クーラーはついているが、真夏日にしかつけてはいけない決まりである。世知辛い世の中になったものだ。


「あっこら扇風機の首振り固定すんな!」


「だって暑いんだもん」


 雑多な卓上の小さな扇風機をめぐって、夏服の少女と白衣を着た若い男性教師が醜く争いあう。

 白衣を着ているが男性教師の担当は英語である。

 なぜ着ているか少女は聞いても「男のロマン」と返されたまま行方不明だ。

 数分の扇風機の取り合いは壊れる可能性を考慮した教師により少女の手が届かない棚の上に置かれ、代わりにうちわを渡されたことによって終結した。


「ぶーぶー」


「ぶーぶーじゃねぇ。おまえ、なんで呼び出されたかわかってないのか。そしてなんだ絵本って」


「そう、絵本作りましょう!」


 不満げにうちわを扇いでいた少女は呼び出し理由はすっ飛ばし、準備室に入った途端に言い出した理由だけに食いついて足下に置いていたカバンを漁りはじめた。

 出るわ出るわ、授業に必要のない品々。

 校則にはあまり厳しくない教師だが、さすがにどうかと口を開こうとした時にようやく少女は顔を上げた。


「来週、留学生が来るって言ってたじゃないですか! わたし色々と考えたんですけどまずは自国のことをより深く知ってもらえたらなって!」


「その心意気は褒めてやるがその前に英語の成績をどうにかしろ」


 少女の成績は学年で後ろから数えたほうが早く、特に英語は壊滅的な有様である。当然ながら崖っぷちである。

 受験生なのにどうしたものかと呼び出したらこの調子だ。


「それでですね! 日本のお伽噺を古今東西集めてみたんです、図書室にあったものを!」


「聞いてねえな。あとおまえの古今東西は狭いな」


 カバンの最奥から取り出したのは分厚い紙の束。

 教師の目の前まで壁に立てかけてあった錆びたパイプ椅子をひきずってきて座ると、その紙を膝でトントンと整えて満面の笑顔で言った。


「どれがいいか選べなくって、とりあえず全部描いてみました! 寝食忘れて三日三晩かけて!」


「…昨日までテスト期間だったはずだが?」


 きっかり三日間。

 教師のうろんな視線に紙を顔の前に持ち上げることによってそらしながら少女は小さく呟く。


「…テスト前にリフレッシュ!」


「その目の下のクマ消してから言え」


 それより勉強しろ、勉強。

 そんな教師の言葉に負けないようにして少女は自作の絵本をめくったのだった。


 ◇◆◇


 むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。

 おじいさんとおばあさんが人里離れた場所に年老いた二人で暮らしていたのには深い理由があるのですが、ここでは割愛します。

 ある日、おじいさんは山へ芝刈りに行く途中で罠にかかった鶴を見つけてかわいそうだと思い、助けてあげました。

 さらに道を行けば、大きな亀が子供たちにいじめられていたので助けてあげました。

 いいことをしたな、と思いながら芝を刈っていると竹林からなにやら光が出ていることに気づきました。

 近づいてみると、周囲の竹の中でも一回り大きな竹の根元が光輝いています。

 おじいさんがその竹を割ってみると、どういうことでしょう。

 産着に包まれた可愛らしい女の赤ん坊がいたのです。

 ひどい子捨てもいたものだとおじいさんは女の子を家に連れて帰りました。


 ◇◆◇


「まてい」


「なんですか」


 教師の声に、少女は絵本をめくる手を止める。

 まだまだ序盤の序盤である。

 教師は眉間の皺を伸ばしながら言う。


「どこから、つっこめばいい」


「ツッコミ? ああ、夫婦がなぜ人里離れた場所に住んでいるのかといいますとね」


「そこじゃねえよ」


 美術部所属の少女の絵はいいかんじにデフォルメされており、色鮮やかに主張する。

 鶴を助け、亀を守り、竹から女の子を拾い上げたおじいさんのイラスト。

 少女の渾身の力作である。


「まざってる、もう今の段階で三つもまざってるぞ」


「なに言ってるんですか。最初に言いましたよね、選べなかったので全部描いたって」


 あと、少しだけオリジナリティ出してみました。

 そう言いながら、少女は次の紙へと手を伸ばした。


 ◇◆◇


 一方その頃のおばあさんは川に洗濯に行っていました。

 おばあさんが川で洗濯をしているとドンブラコ、ドンブラコと大きな桃が流れてきました。

 あまりに大きな桃なので呆けて見ていると、さらになにやら小さな叫び声が聞こえました。

 どこからだろうと目を凝らしてよく見ていると、一寸ほどの小さな人間が桃にしがみついているではないですか。

 あわてて大きな桃と小さな人間を川から拾い上げました。

 小さな人間のほうはぐったりとしていて体調が悪そうでしたので、これはいけないとおばあさんは大きな桃と共に家に連れて帰りました。

 帰る際に、籠に入れていた笠と乾いていた布が邪魔になったので地蔵さまに被せてあげました。


 ◇◆◇


「まてい」


「なんですか」


 教師の声に、少女は絵本をめくる手を止める。

 まだまだ序盤の序盤である。

 教師は眉間の間をぐりぐりと押しながら言う。


「どこから、つっこめばいい」


「ツッコミ…傘地蔵はやっぱりおじいさんにするべきだったとは思っています」


「そこじゃねえよ」


 そこじゃないならどこと言うんだ。

 厚手の紙に描かれたのはファンシーな絵柄のおばあさんが川から大きな桃と小さな人間を抱えあげ、それ以上は持てないからとお地蔵さまに笠をかけているシーンである。


 一見だけだとなんの絵だかよくわからない。


「やりすぎだ。フラグを立てすぎだ」


「嘘はホントのことをちょこっとだけ織り交ぜたらそれっぽくなるって、国語の谷山先生が言ってました」


 国語教諭、谷山先生(御年五十九)は少女の担任かつことなかれ主義の塊である。

 いまからちょっと加速していきます。

 そう言いながら、少女は次の紙へと手を伸ばした。


 ◇◆◇


 両者が家に着くとあら大変、どちらもなにかをもって帰ってきています。

 とりあえず女の子を寝かせてお腹も減ったので桃を食べてみようと切ってみると、中から元気な男の赤ん坊が出てきました。

 昨今、色んな子捨てがあるものだと嘆きながら手放した息子たちの代わりに立派に育てあげようと決心したその晩のことです。

 吹雪でカタカタと鳴る扉の向こうにひとりの若く美しい娘が立っていました。

 なんでもこの雪のせいで家に帰れないというので、心優しいおじいさんとおばあさんはすべての家事と引き換えに家に泊めてあげることにしました。

 吹雪は何日も止まなかったたので、娘はそのまま居着いてしまいました。

 その間におそろしい早さでふたりの赤ん坊は育っていきます。

 元気になった小さな人間はその様子によく驚いて気絶をしていましたが、それよりも目立つ彼の小ささのことには誰もなにも言いませんでした。

 なにごとも触れてはいけないことがあるのだと、年老いたおじいさんとおばあさんは知っていたのです。

 吹雪が止まないせいで買い出しには行けませんが、なぜか毎晩扉の前にどっさりと食べ物が置かれるようになったので飢えることはありませんでした。

 しばらくすると、娘が引きこもりになりました。

 家事がいやになったのでしょうか。

 絶対に部屋を覗くなと言われたおじいさんとおばあさんは娘を放っておくことにしました。

 なぜならふたりの赤ん坊の成長の世話をするのにいっぱいいっぱいだったのです。

 実は娘は美しい反物をいくつもいくつも作っていたのですが、それを知るのは小さな人間だけでした。

 桃から生まれたので桃太郎と名づけられた男の子はみるみるうちに成長し、小さな人間が鬼を倒しに行くというのに張り合って自分も鬼退治に行くと言い出しました。

 ちょうどその頃、助けた亀がしきりに恩返しをしたいと背におじいさんを乗せたがっているのに困っていたので、それならと鬼ヶ島まで桃太郎を乗せていってやってくれないかと頼みました。

 しぶしぶ了承をした亀についでだから都までと小さな人間が相乗りして行きました。

 おばあさんは今日は満月だからとお月見団子の代わりにきびだんごを作って桃太郎に持たせました。

 一息をつく間もなく竹から生まれた女の子は輝夜姫と名づけられ、美しく成長した彼女は満月の夜に空から現れた謎の飛行物体に拐われてしまいました。

 悲しんでいるおじいさんおばあさんに残されたのは、謎の飛行物体に乗っていたものに渡された若返りの薬だけです。

 毒かもしれないと思いながらもおじいさんとおばあさんが飲んでみると、なんということか言われたとおりに若返りました。

 そのかわりに輝夜姫のことがすっかり頭から抜け落ちてしまいました。

 しばらくすると、宝の山を持って鬼退治を終えた桃太郎が帰ってきました。

 若返ったおじいさんとおばあさんに驚きながらも帰りに寄った竜宮城でもらったという玉手箱を渡しました。

 けして開けてはいけないと言われたと桃太郎はおじいさんとおばあさんに伝えましたが、桃太郎が三匹の仲間の様子を見ている隙に好奇心に負けて開けてしましました。

 するとどうでしょう。

 開けた玉手箱からもくもくと白い煙が上がり、おじいさんとおばあさんは元のように年老いてしまいました。

 煙に驚いて、部屋に引きこもっていた娘がでてきましたが、こちらもなんということでしょう。

 娘は人ではなくいつか助けた鶴の姿をしていました。

 見られたからにはここにはいられません。

 そう言うと、鶴は遠い空に高く高く飛んで行ってしまいました。

 残ったのは宝の山を持ち帰ってきた桃太郎と、鶴が置いていった美しい反物。

 あと犬と雉と猿。

 毎晩玄関先に置かれる差出人不明の食べ物。

 しばらくしてからは、鬼退治後に打出の小槌で大きくなった人間がたまに訪ねてくるようになりました。

 にぎやかになった家で、おじいさんとおばあさんはいつまでも仲良く暮らしたそうです。


 ◇◆◇


「めでたしめでたし」


「まてい」


「なんですか」


 大団円である。


 少女的には大団円である。

 夜通し末の早朝に描き上げた時の爽快感、そしてテストを迎えなければいけないという朝日の光の絶望感。

 同時に巻き起こったこの現象をどうしても理解してほしい。

 しかし、友人数人に見せたがどうも反応が芳しくない。

 一人にいたってはなぜか泣かれた。少女の頭を心配された。

 教師は目をつむり、眉間をつまみながら言う。


「どこから、つっこめばいい」


「ツッコミ、ですか…確かに描写が少ない部分はあると思います。でもそこは個人の想像でどれだけでも掘り下げることができるとわたしは主張します」


「そこじゃねえよ」


 これはもう少し手を加えるべきだっただろうか。

 おじいさんとおばあさんが村八分になった原因などを。

 主役はおじいさんとおばあさんでしかるべきで、脇役視点の話はかなり削ってしまった。

 敗因は、そこにあったのかもしれない。

 大きなものに捕らわれすぎて、小さなことに目が向かなかった。


「………」


「………」


 静まり返った英語準備室。

 エイオーエイオーというかけ声と木造廊下の軋む音。

 窓の外は、白い雲が増えながらも依然として灰色だ。しかし、雨は上がったようだった。

 教師が立ち上がり、窓を開けると生ぬるい風が吹き抜ける。

 しばらくそのまま外を眺めていた教師が呟いた。


「…手伝ってやろう」


「先生…!」


 友人のように「アホか」と一蹴されると思っていた。

 もしくは保健室に行けと言われるのかと。


「テスト捨てて、三日三晩もかけたんだもんな」


「がんばりました!」


「でもそれまだ日本語だよな」


「そうですね!」


 テストのことで呼び出されたとはわかっていたので、話をどうにかすり替えられればいいやと思って出した話に乗ってくれた。

 確かに三日三晩かけたけども留学生のためというのは建前である。

 このまま切り抜けよう、そうしよう。


「よし、わかった」


 少女に背中を見せたまま、教師は英語準備室の唯一の出入口の前に行くとガチリと鍵をかける。


 そして、ゆっくりと振り向いた教師の顔を見て。


 少女は固まった。


「さて、ここには多種多様の和英辞書もあれば聞けば答える優秀な教師もいる」


 そしてここには一冊の手製の絵本。全日本語。


「いや…あの…ええと」


 だらだらと、暑さからではない汗が少女を冷やしていく。


「英訳、手伝ってやるよ」


 逃げんじゃねえぞ。



 めでたし、めでたし?

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