第29話 俺と先輩は夜を迎える 1
体育館を使用する運動部の生徒たちが全員いなくなってから、劇の練習をスタートさせる。
『ああ――私はなんて罪深き女なのでしょう』
ヒロイン役を務める俺のセリフが、誰もいない体育館の隅々に響く。本番は多くの人が詰めかける予定だろうから、もっと大きな声を張らなければならない。
「三嶋君。恥ずかしいのはわかるし、男子が女装してるから最初のうちは笑われるだろうけど、真剣にね。中途半端だと逆に白けるから。客はジャガイモとでも思っておきなさい」
「はい」
幕が上がって、最初のシーンは俺(姫様)の独白から始まる。メイクも衣装もガチでやるらしいから、ぱっと見女に見えても、声のほうは誤魔化せない。
多分、俺が喋った瞬間、ステージ上からは笑いが起こるだろう。容易に想像できる。事情を知っている生徒たちが盛り上がり、それが徐々に一般生徒へと広がっていく。
文化祭が終わって一週間かそこらはクラスの話の種になるのは必至である。女装して、その上、相手役を務める神楽坂先輩と正宗先輩という、学年でも一、二を争う才色兼備の二人と(フリとはいえ)キスまでするのだから、さもありなん。
だが、それでも俺はきっちりとヒロイン役を演じきると決めた。成り行きとはいえ、中途半端にやってしまっては、先輩たちに申し訳が立たないから。
それに――
『姫様、お手を。今宵は月が綺麗ですよ』
『ええ。コーディ』
もし、皆から笑いものにされても、今の俺には味方がいる。絶対的に頼りになる人が。
「……!」
……もちろん、ステージ脇でなぜか『ぐぬぬ』している人も、もちろん含めて。
途中、夜になってバイト終わりの橋村も合流し、これで全員が揃った。
『姫様、姫様はご自身のことを……ことだけを第一に考えればいいのです。他の声に惑わされず、自分の心に従ってしまえばいい……ふふ』
少しセリフが怪しいが、橋村もバイトの合間合間に台本読みを頑張っているようで、演技のほうも、繰り返すたびに様になっていく。
彼女の台本も、俺と同様、九条先輩からの指示が書かれた付箋がびっしり……こんなの見たら絶対に吐くと言っていたが、やる時はきっちりやれるヤツだ。
「夜8時か……よし。ちょっと遅くなっちゃったけど、そろそろ夕食にしましょうか」
「そうだな。いいところだが、私もそろそろ限界だ。……石黒さん」
「はい。もちろん、準備できております」
多分、本当にどこかの陰から見守っていたのだろう、ステージ脇から無表情の石黒さんがひょっこりと現れる。
いつものお弁当……かと思いきや、唐草模様の包みから合われたのは、とある料理の材料だった。
「ニンジン、じゃがいも、たまねぎ、あとは肉」
もちろん米もある。どうやら近くのスーパーで買ってきたようだ。
「もしかして、カレー、ですか?」
「正解だ、後輩。合宿なのだから、みんなで料理をして結束を深めたほうがいいだろうと思って」
「会長、そんなにあの時ミッシーとか妹ちゃんとカレー食べたかったんすか?」
「うんもちろん……って違う違う! あくまで総合的な判断の上だ」
自分の気持ちを加味しての総合的な判断ですね、わかります。
なんというか、自分の気持ちに素直な人だ。そんなに俺や妹とカレーを食べたかったのか。大したものなんか一切入っていないのだが……たまに肉すら入っていないこともあるのに。
「じゃあ、ひとまず家庭科室に移動かしらね。あ、私は料理無理だから。食べる専門ってことで」
「実は僕も」
九条先輩と大和先輩が手を上げる。大和先輩ができないのは少し意外だったが、料理をする機会なんて滅多にないだろうから、不思議というわけでもない。
「仕方ない。なら、ここは私と三嶋でやるしかないようだ」
「正宗先輩も料理するんですか?」
「ああ、たまにな。腕前に自信があるわけではないから、簡単なもののみだが」
カレーならそれで問題ないだろう。
材料を適当に切って、レシピ通りに炒めて、煮込むだけ。失敗しようがない。
「いやいや、二人とも。何を勝手に話を進めているんだ?」
「「ん?」」
石黒さんから材料をもらったところで、神楽坂先輩から待ったがかかる。
「なんでそんな意外そうな顔をするんだよ……私、私もいるから。即戦力だから」
「……会長、料理大丈夫なんですか?」
九条先輩や大和先輩ができないのなら、神楽坂先輩だってきっと同じだろうと思っていたのだが。
「こう見えても、将来のことを考えてずっと練習はしているんだ。今まで披露する機会がなかっただけで、ちゃんと陰でやってるから」
「……ということですけど、正宗先輩」
「そうだったかな……? まあ、私もそこまで神楽坂と普段から付き合いがあるわけじゃないから……変わっている可能性も――」
正宗先輩が石黒さんを見る。石黒さんはさりげなく目を逸らす。
……心配でしかないのだが。
「とにかく! 私も会長としてきちんと参加するから。ということで、初めての共同作業、頑張ろうなトモ!」
「は、はあ」
神楽坂先輩がやる気なら、止める理由もない。というか、さっきも言った通り、カレーで失敗する要素はないのだ。包みの中には市販のルーもあって、箱の裏に作り方もきちんと書いてある。
というわけで、やる気漲る神楽坂先輩とともに家庭科教室へと行き、料理を始めたわけだが。
「……今後の神楽坂美緒様のご活躍を心よりお祈り申し上げます」
「後輩にお祈りされた――!?」
皮をむきすぎて半分以上小さくなったニンジンやジャガイモ、その他、床に散らばる野菜くずたち――。
まな板に広がった惨状を見て、俺は神楽坂先輩に戦力外通告を言い渡したのだった。
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