第21話 普通の生活
【どう?家族同居の生活は】
【どうもこうも、普通の生活さ。それより、あの日から連絡くれないんだな】
【一応、あたしも気をつかってんのよ。今日だって、あなたがショートメールくれたから返信してるし】
【そか。いいんだよ。そんなに気を遣わなくたって】
妻子がこちらに来てから2週間が経つが、その間、玲からは何も連絡が無かったからやむにやまれず俺の方からショートメールした。
しかし、俺が送った最後の一文から後は玲からの返信はなかった。
【玲、会いたいよ】
だいぶ考えてから俺はメール送信ボタンを押した。
昼休みが終り、退勤の時間になっても玲からの返信はなかったが、マンションの駐車場に車を入れて4階までの階段を上っている時に携帯が震えた。
【仕事終わり。今日はずっと出ずっぱりで大変だった。いつ会える?】
という玲からのメールだった。
【やっぱり、土日のどちらかがいいかな】
“いつ会える?”の言葉に舞い上がりそうになった俺だったが、ここは動じていない風を装って送り返した。
【土曜日なら午後かな。日曜日はきっとだめだな、ジジイが帰ってくるから】
【じゃ、土曜の13時に、ネカフェの駐車場でどう?】
【わかった。いいよ】
この最後の一文をもらっても、俺はまだ3階の踊り場に居た。
ふう、と息を吐き出した。
この短いやりとりの間でも、俺の呼吸は浅かったんじゃないか、と思うほど緊張していた。(玲が俺の誘いを断りませんように)そんな願いが緊張感を生んでいたからだ。
(今日はまだ水曜日。あと二日、仕事を頑張れば玲に会える…)
その気持ちを喉の奥の方に飲み込んでから、俺は玄関の呼び鈴を押した。
バタバタバタという足音。そして、ガチャガチャガチャと手こずりながら鍵を開ける音がして「おとうさん、おかえり~!」とドアを開けて美砂が出迎えてくれた。
「ただいま~」
果たして、さっきまでショートメールをやり取りしていた俺と、こうやって玄関で挨拶している俺と顔つきや雰囲気は同じなんだろうか、違うんだろうか。
「おかあさ~ん、おとうさん、かえってきたよ~」
とりあえず、4歳の美砂には違いがわからないようだ。
7月も半ばに差し掛かろうとするこの時期まで別居していたのは、俺のお袋の具合が今一つだったので、妻に柚木家の家事の大半をしてもらっていたからだ。そのお袋も体調が戻り、このタイミングで同居する運びとなった。美砂も年度途中ながら本城にある私立の幼稚園に通うことになり、最初は、園バスに乗っただけでギャン泣きしていたが、すぐに友達ができて元気に通うようになった。
幼稚園は、寺の住職が園長をしている仏教系の園なのだが、授業も充実していて、何より、運動会で行われているマーチングにいたく感動したので娘を通わせたいと父母共に望んだ、という次第だ。
「ねえ、おとうさん、きょうね、ようちえんで、じごくのおはなしをきいたの」
夕飯を食べ終わった美砂が唐突に話し始めた。
「地獄?ほお、どんなところだった?」
「すっごくこわかったよ」
「なにが、どんなふうに怖かった?」
「いろんなじごくがあるんだけど、じごくにいくまえから、もうこわいの」
「あ、閻魔様でしょ?」
「そう、えんまさまも、なんだけど…」
「え?まだ怖いのあんの?」
「んとね、んとね、とげとげのやまをのぼっておりたり、はばがひろいかわをわたっていかなきゃだったり…」
「あ、それ、三途の川っていうんじゃない?」
「そう!おとうさん、よくしってるね!」
「いや、お父さんだけじゃなくて、大人の人ならたいてい知ってる有名な川だよ。確か、幅が500キロくらいあるの」
500キロを表すにはあまりにも短い両腕を開きながら俺はそう言った。
「んとね、せんせい、とうきょうからおおさかくらいまである、っていってたよ」
「うんうん、先生の言う通りだ」
「でね、おやよりもはやくしんだこどもは、かわらでいしをずっとつんでいるんだって。でもね、つんでも、おにがあしでけってくずすんだって。で、また、いしをつむんだって」
「ああ、鬼は酷いことするんだね。なんで、そんなことするんだろ?」
「えっとね、おやよりもはやくこどもがしぬと、おやふこうだから、おやがしんでそこにいくまで、ずっと、つんでいるんだって」
「ああああああ、それは大変だ。じゃあ、美砂はお父さんやお母さんより早く死んじゃ駄目だね」
「うん。せんせいもそういってた。みさ、ながいきするね!」
「是非、そうしてくれ。お父さんも心からそう願ってるよ」
不倫をすると落ちる地獄が確かあったはずだと俺は右頭で思ったが、もちろん、美砂に尋ねはしなかった。
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