第4章 誰にも邪魔されたくない

第20話 天井の模様

 目を開けると、それは、いつものマンションの、いつもの部屋の、いつもの天井の模様だった。

 6畳のフローリング部屋の真ん中に敷いた布団の上で俺は仰向けの姿勢で目覚めていた。

 頭だけを起こすと、前にある窓から、横に伸びる電線に停まった一羽のカラスが首を上下に振りながらカアカアと鳴いているのが見えた。おそらく、こいつの鳴き声で目覚めたんだろうと俺は思った。毎朝セットしているわけではないが、目覚まし時計で起こされるよりはまだ穏やかな起こされ方だったんだろうと俺はなんとなく思った。


 枕越しにある眼鏡置きから眼鏡を取って掛け、敷布団の左側に置いてあったスマートフォンの画面を見てみたら、妻からLINEが来ていた。


【おはよう。間もなく、こちらを出発します。そちらには、10時半ころに到着する予定です】


 時計を見ると9時半を少し回ったところだった。


【おはよう。なんと、珍しく、今、目覚めたところだ。天気はいいみたいだけど気を付けて運転してくれ】


 そう俺は返したが、運転中なのだろう既読はつかなかった。



 俺は書斎にしている部屋に行って椅子に座って煙草に火をつけた。



「また、会ってくれるか?」


「ご家族、明日から一緒でしょ?いいの?」


「ああ、俺の方はいいんだ。玲は?」


「あたしは、いつでもいいよ」


「また、会いたいよ。玲は?」


「あたしも」


 蜂蜜の湖での最後の会話はこんな感じだった。

 そういえば、長い付き合いにもかかわらず、玲とラブホテルに行ったのは初めてだった。

 昔は、俺のアパートの部屋だったし、遠距離の時に俺が本城を訪れたときはビジネスホテルに一泊だったからその部屋だった。

 ラブホテルの天蓋付きの大きなベッド、姿見、無駄に広いバスルーム。ラブホテルも悪くないものだとなんとなく思った。

 がしかし、これからも俺たちが会うときはあんな感じのラブホテルで密会風になるんだろうか。月にどれくらいの頻度で会うんだろうか、どれくらい俺は玲に会いたくなるんだろうか、ホテル代だって馬鹿にならないんじゃないだろうか…

 そんなことをつらつら考えていたら煙草の灰が着ていたTシャツにぽとりと落ちた。



 ♪ピンポンピンポンピンポンピンポン

 せわしなく玄関の呼び鈴が鳴ったかと思うと、大きな音をさせてドアが開いてバタバタと足音がして「ただいまー!」と大きな声を出した美砂みさが俺の背中に覆いかぶさってきた。


「おかえり、美砂。車で眠ってきた?」


「ううん、ねむんないできた。だって、うれしいんだも~ん」


「嘘おっしゃい!トンネルの中で泣いてそれからふて寝したでしょ」


 妻が両手に大きな荷物を持ってバタバタと歩きながらそう言った。


「えええ?みさ、ないてないし、ねてないも~ん」


「ふふふ、まあいいよ。それより、今日からまた一緒だね。よろしくね!」


「おとうさん、ちゃんと、まいにちごはんたべてた?」


「ああ、食べてたよ。カレーライスに、ラーメンに、チャーハンに、うどんも」


「えええ?いーなー。おいしそうなのばっかり。あ、ビールは?」


「飲んだ飲んだ。毎日飲んだよ」


「あああ、やっぱり。ねえ、おかあさん、おとうさん、まいにちビールのんだって~」


 美砂が俺の背中から離れながらそう言った。


「ねえ、お父さん、車にまだ、沢山荷物入ってるから手伝って」


「ああ、わかったよ」


 朝、目覚めたときに、天井の模様は代り映えなかったが、これで、部屋の雰囲気は一変した。


 4階の部屋の玄関ドアを閉めてコンクリートの階段を下りていくと、踊り場で1匹のカミキリムシが長い触角を8の字に動かしていた。


「守衛さん、ご苦労様」


 俺は一言そう告げて駐車場に向かった。

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