第15話 海岸線

 玲と居酒屋で飲んだ日から、俺は、気が付けば、玲のことばかりを考えるようになった。


(次に、玲と一緒に何処に行こう…)


(次の週末か…いや…それだと、なんだか、前のめりすぎやしないか…)


(余裕を見せて、玲からの誘いがあるまで待っているか…)


(会ったらどうする…手を繋ぐだけで済むのか…)


 そうやって思い巡らせて行き着いたところで、俺はマスターベーションをして妄想にケリを付けるしかなかった。



 そうこうしているうちに、次の土曜日が来たが、俺はいつものネカフェに行くのをやめにしておいた。ネカフェで玲に会っても、何を話せばいいかわからなかったからだ。

 退屈な土曜日のテレビを眺めていたら、妻からLINEが入った。


【おはよう。元気にしてる?来週の日曜日の午前中に亜砂あずなとそちらに行きます。こちらの荷物は、その日の午後に届くようにしてあるのでよろしくね】


 いよいよ妻子がこちらに来て同居することになる、ということだ。


 俺が妻への返信を送り終わったと同時に、玲から電話が掛かってきた。


「おはよ。ね、なんで、玉撞き来てないの?」


「あ、いや、その… 持ち帰り仕事があってね、昨日、寝たのが遅かったんだ」


 咄嗟に俺はそう答えた。


「玲は、ネカフェに居るのか?」


「うん、でも、あなたが来なければ、もう帰ろっかな、って」


「玲は、今日、都合なんかある?」


「ううん、今日は一日オフ」


「じゃ、これから会わないか?」


「う~ん…子どもたちにお昼ご飯食べさせて、それからでもいい?」


「ああ、そうだね。いいよ。で、どこに行けばいいかな」


「じゃあ、1時半にこのネカフェの駐車場はどう?」


「わかった。1時半ね」



 心の準備ができていない予期しない電話は、こうやって予期しない結果になることが、往々にして俺にはある。また、それをスパイスのように後押ししたのは、妻からの連絡だったのは言うまでもない。


 俺は、点けっぱなしにしていたテレビのローカル番組に目を移した。

 本城市の隣の市を走る国道から海を眺めているリポーターが何かを喋っていた。




「玲、どこか行きたいところあるか?天気もいいし、ドライブなんてどうだ?」


「ドライブなんて、別れる前振りね。いいわ。特に行きたいところは思い浮かばないけど」


「そっか。じゃあ、海岸線の国道を走ってみたいんだけど」


「うん、いいよ」

 

「やっぱり、おっきいね。でも、普段、この車一人で運転してるんでしょ?勿体なくない?」助手席に座った玲が言った。


「まあね。でも、もう、間もなく、後ろにはチャイルドシートさ」


「そうなんだ」


「来週の日曜日からね」


 俺の返答に、玲は何も答えなかったが、次の交差点の赤信号で停まっている時に「これからは、淋しくなくなるね」と玲がぼそっと言った。


「海まで突き当たって左に曲がってからも8号線に出れたっけ?」


 玲の返答を気に留めていないように俺は言った。


「うん、行けるよ」


「Withの跡地はどうなってる?」


「さあ、なんかの会社だったような気がするけど」


「中町で、肩パッドスーツに会ったりなんかしない?」


「全然。だいたい、中町なんて、あたし行かないもの」


「そうなんだ」


 これで会話は途切れて、スピーカーから流れるFMラジオのパーソナリティが無言の車内の空間を埋めた。


 左側にリニューアルした水族館を見ながら突き当りのT字路の交差点を左に曲がると、右側に日本海が現れた。


「なんと、あたし、まだ、水族館行ってないの」


「もう、2年くらい経つっけ?」


「そうね。なんだか行きそびれちゃって。でも、ほら、駐車場がこんなに」


 水族館のリニューアルと同時に、それまでの何倍もの大きさになった駐車場にはぎっしりと車が並んでいた。


「子ども、連れてったら喜ぶわ」


 そう玲は言ったけれど、俺は返事をしなかった。


 広い砂浜の向こうには、サーフィンを楽しむ若者がキラキラ反射した波間に黒い影となって見えた。



 国道8号線を西に向かってひた走る。

 進行方向左側は山や崖、右側が日本海の大海原という海岸線に沿って国道が作られている。抜群のロケーションと、ずっと信号が無い片側一車線の道なので、この国道に沿って山合に作られたトンネルだらけの高速道路よりもずっとドライブ感を味わえる。

 俺たちはあまり会話をしなかったので、俺たちの代わりは、相変わらず、FMラジオが務めた。


♪では、リクエストをいただきました。ジョージャクソンで「ステッピンアウト」です


「玲、偶然にしては、だな。玲の車の中でどれだけ聴いたことやら」


「ほんと、懐かしいね」


「この曲のPV観たことある?」


「ううん、ない」


「後々、観て知ったんだけどね、PVにホテルの清掃員役が出てくるんだけど、それが玲に似ているんだよ。だから、当時も、そのPVを観て玲が好きになった曲だったのかなってね」


「ううん、観てない。で、あたしは清掃員級とでも?」


 昔ながらの玲の皮肉だ。


「なわけないよ。PV自体は、もうちょっとなんとかならんものか、って思う出来なんだけど、当時、何度もそのPVを観て玲を思い出していたってことさ。さ、着いたよ」


 俺は、ドライブイン西山という大きな看板がある駐車場に車を入れた。

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