第13話 あの日のお願い

「そんな旦那さんとどこで知り合ったの?」


「テニスクラブよ。中ノ畑にあるでしょ。あそこ」


「そうだったんだ。そうならそうと、結婚すること教えてくれればよかったのに」


「そんな…手段がないわ」


「だって、ほら、離婚した後に手紙やら電話やらしてくれたじゃない」



 あの年の12月に離婚して、翌年の秋の初めに玲から電話があった。話したいことがあるから是非会ってほしい、とのことだった。

 電話から二週間後の日曜日、お互いが住んでいる街からおよそ等距離の地方都市で待ち合わせて、其処から互いが運転する車二台で海に向かった。

 シーズンオフの海水浴場だったが、天気が良かったのでそれなりに人出があった。

 俺の車に積んでいたキャンプ用の折畳の椅子を二つ出して座って話をした。

 玲は、長かった髪をバッサリ切って肩に付かないボブみたいな髪型だった。そして、着ていたニットはアンドレッティなんとかという有名なデザイナー作だと嬉しそうに言っていた。

 

 話の内容は、玲の反省と復縁の希望だった。

 それは、それまで聞いたことが無いくらいの自省の言葉と、復縁してほしいという心からの懇願だった。いくらなんでも、予想もしていなかった話の内容だった。

 最後は、人目をはばからず椅子に座っている俺の前にひざまづいて顔を涙でべしょべしょにしながら玲は訴えたが、俺は、復縁は考えらえない旨を繰り返し諭すように語った。

 良い悪い、の観点でいえば、お互い様だとは思うが、付き合っていた頃や結婚していた頃に、俺が玲に訴えていた様々な不満や要望に対して、玲が自省込みで謝罪したのはこの時が初めてだった。

 あんまりにも、その時の玲が素直で優しい女だったので、思わず、「いいよ」と答えたくなる場面もあったが、俺は玲に対しても、自分自身に対しても心を鬼にした。


 良い悪い、の観点でいえば、玲が言っている自省の念は間違っていないだろうと思うが、だからと言って、玲が俺と寄りを戻してあの実家と共に暮らしていくことが玲にとって幸せであるとは決して思わなかった。玲には、合わないのである。俺との生活も、実家とのかかわりも。合わないのに我慢しながら生き続けていくことは、玲にとってもっと不幸なことである、それを俺は繰り返し玲に説いた。そして、それは、玲が諦めてくれるように言った借り物の言葉ではなく、俺の本心からの言葉だった。


 二人の話し合いは、夕陽が海に沈む前にどうにか終わって、握手だけして別れた。


 その後も、俺のアパートに、ワープロで書かれた2~3枚の便箋が玲から数度届いたが、ある時からぱったりやんだ。その頃に、今の旦那さんと出会ったのだろう。




「お子さんの3人って、何歳なの?」


「長男が12歳で小6、長女が小4、次男が小2よ」


「そっか。うちのは、娘が4歳だ」


「今の奥さんに会うまでは?付き合った人、居た?」


「ああ、居たよ。離婚した男はモテる、って聞いたことあるけど、ほんと、俺の人生最大のモテ期はそこだったな」と俺は笑いながら言ったが、玲は笑ってなかった。


「付き合うには付き合ったけど、結果的に、全部、俺の方からお断りしたんだ。もう、二度と結婚で失敗したくなかったから。ところが、俺が好きになる女は、付き合ってみると、俺との結婚に向かなさそうな女の人ばかりだったよ」


「私とは、やっぱり、駄目だったの?」


「玲、それは、あの海で話した通りだよ。玲が駄目だったんじゃない。玲が合わなかっただけだよ。俺は、あの時も、今でも思ってる。しかも、合わない埋め合わせをできる力も俺にはなかったしね」


 玲は俺の顔をじっと見ながら黙って聞いていた。


「そうだ。玲、お父さん、お母さんは元気にしてるかい?」


「お父さんは元気にしてるけど、お母さんは一昨年無くなったの。原因不明の難病でね」


「あ、そうだったんだ…ごめんね」


 2時間板の間で正座をさせて説教して、裁ちばさみでカードを真っ二つにしたお母さんが早く亡くなることを俺は想像していなかった。


「ううん。母の看病していたのをきっかけに、介護ヘルパーをしようかなって思ったの」


「玲が、介護ヘルパーってのは正直、驚いたよ。そんないきさつがあったんだね。でも、玲が介護ヘルパーっていいと思うよ」


 俺は、この段階でも驚きと共に、本当に畏敬の念でそう言った。


「本当にそう思ってる?」


「ああ、本当に」


 それから、玲が実際にどんな介護の仕事をしているのか詳しく話を聞いた。入浴から、下の世話、家の中の片付けから、外出行動援護まで多岐にわたる仕事をしていること、その中での苦労話などだ。


 もし、付き合っていた頃や結婚した頃に、玲がそういう心意気を持っていてくれてたら、俺たちは別れなかったかもしれないな、とうすらぼんやり思いながら玲の話を聞いていた。


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