第11話 写真と現実

 玲と会う前日の金曜日。玲からのショートメールが12件あった。

 ショートメールを開けてみると、1件目から11件目までが写真で、12件目に【どう?懐かしいでしょ?実家に帰ったらアルバムを見つけて携帯で撮ったの】というメッセージが残されていた。


 写真は、俺と玲が付き合っていた頃に撮った二人の写真や、新婚旅行でヨーロッパに行った時の写真や、もうすぐ別れるという時に二人でドライブした時の写真があった。

 俺は今と違ってシュッとしていて若々しかった。別れる直前の俺が激痩せしていたのにはクスッとした。玲は髪の長さの変化はあれど、どの時代も生き生きとした笑顔で嬉しそうにしていたし、どれも美人に写っていた。



 結婚した俺たちは、新しく借りたアパートに引っ越した。

 アパートは1Fに1世帯、2Fに1世帯の一軒家風のもので、6畳2間、4畳ほどのダイニングキッチンがあった。お風呂は沸かし湯ができないタイプだった。

 俺はアパートから車で10分ほどのところにある教材・教具会社に通い、本城の銀行を辞めた玲は半年は専業主婦、もう半年は生協のパートに勤めた。

 俺はつつましくも、温かい家庭が築ければと思ったが、玲が専業主婦ながら決まったメニューの材料がアパートに送り届けられるタイプのものを採用したことにだいぶがっかりした。


「これにすれば、食事に無駄が出なくていいの」と玲は主張した


 確かに間違いはないだろうけど、給食みたいにメニューも量も決まって出てくることに俺は味気なさを感じた。

 また、玲の実家から月に1~2回は宅配便で届く生活雑貨や野菜なんかも、段ボールから取り出しては嬉しそうにしている玲をよそに俺はあまり嬉しく思わなかった。

 仕事から帰ってきて「今日、本城から荷物が届いたからお礼の電話して」と玲に言われると、なんだか腹立たしい気持ちになった。

 甘っちょろいと言われればそれまでだが、こう、二人で生活している実感が持てない感じがして俺は淋しく思った。


 結婚後、1カ月経ってから行ったヨーロッパへの新婚旅行は、俺にとって初めての海外旅行だったのもあって、とても楽しかったのだが、行っている7日間、セックスは0回だった。いや、キスすら0回だった。


「明日も早いし、ハードだから寝よ」


 そう言い残して玲は俺に背中を向けて寝た。

 行程によっては、朝が早い出発の日もあってハードなのかもしれないけれど、新婚旅行ってそういうものだろうか、と俺は首をひねった。



 結婚にまつわる一通りのイベントが終わって、日常が始まると、実家や神社との関係に、あっという間に亀裂が入った。

 初対面の人とも物おじ無く愛想よく話せる玲、と見込んでいたが、実際はお門違いだった。

 神社は神主だけではとても運営することはできず、氏子さんの協力は不可欠だった。うちみたいな小さな神社でも10人の氏子さんが居たが、結婚式後に、実家で催した氏子さんとの顔合わせを兼ねた披露宴では、招待した玲の両親は最初から最後まで自席を立ってお酌に周ることなく、仏頂面を決め込んでいた。肝心の玲もずっと自席に座り続け、お膳をパクパク食べていた。


 昭和一桁生まれの親父は、亭主関白な上に、自分に甘いのに人に厳しく、しかも、トップダウンが主たる行動様式だったので、俺たち家族でも辟易していたくらいであり、玲に至っては殊更受けが悪いことこの上なかった。

 それでも、かろうじて、神社境内のはき掃除や、拝殿の掃除機掛けなんかだけは鬼の仇の形相ながらやってくれた。


「あなたの家の子はかわいそうね」


 そんな折、玲が俺に言った一言が、決定的となった。

 その言葉を言われて以来、玲とはセックスどころか、触れることもなくなった。

 日常生活においても、極端な言い方をすれば、どちらかが口を開けばそれが喧嘩の元になってしまうような感じになったので、喧嘩をしないために言いたいことも言えずに悶々とするような日々を送った。

 

 神社が忙しいのは、地域のお祭の時と、七五三のお参り、そして、年末年始である。

 夏祭りの時、氏子さんたちへの接待でお袋が疲れているのを診てとった俺が「玲、少しでいいからお袋と代わってくれないか」と頼んだところ「やだ」と速攻で返答された。

 それでも、お袋の様子やら、氏子さんたちへの愛想やらを玲に説いたが、取り付く島もない返事だったから、俺は玲の頬を一発張って声を荒げた。

 それは、それまでの玲に対する数限りない鬱憤が吹きだしたものだった。

 騒ぎに気付いて駆け付けたお袋は、それでも玲を抱きしめてかばった。

 しかし、玲は、泣きながらすぐに家を飛び出したので、俺も後を追ったが、見つからなかった。

 日付が変わるころ、鍵を開けておいた裏口の玄関から玲は帰ってきたので、俺は、頬を張ったことを謝ったが、玲は「忘れるから、いい」とだけ言った。



 夏が終わるころ、両親に呼ばれた俺は離婚を勧められた。

 二人には子どもがいないし決めるなら早い方がいい、というようなことを言われた。

 勧められる前から、俺の中でも、玲との未来に希望が持てそうもない見通しを持ち始めていたので、(やっぱりな)と思った。


 そして、秋の初めに、俺は「別れよう」と玲に告げた。

 玲は、ぽろぽろと涙を流しながらも反対も、要望を言うこともなかった。玲も心のどこかで二人の結婚生活が破綻していることをわかっていたんだろうと思った。


 そして、俺たちは、12月の半ばに離婚することを決めて、それまで、アパートの部屋にあるものをゆっくり片付ける期間に当てた。その間の1カ月半。結婚して以来、最も幸せな期間を二人は過ごした、と思う。

 最早、何かを目指すこともなく、何かを決めることもなく、何かを選ぶこともなかったから、言い争いをする必要が無かったからだ。

 俺たちは、いつしか、二人でドライブに出掛けたり、玉撞きにも行ったり、およそ一年ぶりに身体を重ねたりもした。


 確か、玲がアパートを出て行く前日にも玉撞きをしたのだが、調子の悪かった玲が昔のようにブスッとして怒り、思いもかけず、離婚前の最後の喧嘩になった。

 玲がアパートを出て行く12月の月曜日の朝、俺は普通に玲が作った朝食を食べて、一言、二言、別れの言葉を言って玄関を出た。玲は、パジャマ姿のまま玄関を出た階段のところで車に乗り込む俺を結婚してから初めて、見送ってくれた。


 今更ながら、玲の実姉がうちの両親に「我が家の台風娘ですけれど、よろしくお願いします」と挨拶したことを思い出した。

 まさに、喧嘩をするために付き合い、喧嘩をするために結婚をしたような7年間だった。


 

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