第08話 嫌なことは忘れましょう

 次の土曜日の夜に、俺は、玲とアーケード通りに新しくできた洋風居酒屋に行く約束をした。お店は玲が選んだ。

 どの街でもそうなのかもしれないが、この街でも、新しくできたお店は混み合うので、俺が電話で席を予約した。



 付き合い始めた当時、玲が仕事帰りに俺のアパートに寄って、テレビを観ながらコンビニ弁当を食べたり、玲の車でWithに玉撞きをしに行って、ついでに馴染みのレストランで夕飯を食べたりしていた。

 また、玲の親が会いたがっている、ということで、自宅で夕飯をご馳走になったこともあった。

 玲の母親は、俺の母親と同じくらいの歳で、顔は玲に似ておらず、黒子のような小さな黒いピアスを両耳にしていた。気さくなお母さんで、玲との付き合いも歓迎しているようだった。工務店を営む寡黙な父親は玲の顔にそっくりで、職業柄か太い指と分厚い手をしていた。ビールを注いでくれたが、俺との仲を歓迎しているかどうかは不明だった。


 休日になると、玲が運転する車で近隣の観光地や景勝地に遊びに行ったり、買い物したりした。

 当時、流行りだったワンレンが好きだ、と俺が言えば、玲はモンチッチ頭から髪を伸ばし始め、俺が特に何も言わなくても、俺が着ているアメカジ風の服を買って着るようになった。当時の玲にはそんな可愛いところがあった。


 ムチムチパツパツ、と自分の身体のことを評していた玲だったが、やがて、肩に届くくらいに髪が伸びてモンチッチ時代とは比べ物にならないくらいに綺麗になり、高価な矯正ボディスーツを服の下に身に付けるようになった頃から、けなげで殊勝な玲の姿が薄れていった。

 元々、喋る言葉はあけすけで、思った通りに口から出してしまうタイプだったから、面白いことを言う時は良かったが、悪く言う時にはそれはすごく辛辣な言葉になった。だから、悪意が無いながらもポッと出た辛辣な玲の言葉が元でよく喧嘩をするようになった。しかも、悪意が無いことを理由に自分の発言を謝ることもほとんどなく、俺に「気にしないで、忘れて」と言う始末だった。


 千葉県に住む大学時代の親友が結婚式を挙げることになり、当時、すでにその親友と面識のあった玲と一緒に東京にある教会の式に参加した。

 ビュッフェ形式のささやかな披露宴で俺は司会をし、二次会には多くの大学時代の仲間が集った。例のボディスーツに、ワインカラーのボディコンシャスに身を包んだ玲は、ひと際、目立っていた。


「あなたの、大学時代の女友達からたくさん睨まれたわ」と、玲が俺に耳打ちした。

「気にしなくてもいいよ」と俺は玲に返しておいたが、俺も何人かの女友達から「あれ、柚君の彼女?」と意味ありげな視線で尋ねられたし、果たして、大学の女友達は俺の気が付かない玲の何かに気付いていたのかもしれない。


 その後、新郎が苦労して探して予約してくれた新宿のビジネスホテルに二人で向かったのだが、玲は、部屋が暗い、バスルームがきれいじゃない、なんでこんなところをあてがったのか、みたいな文句をずっと言い続けたので、さすがの俺も我慢できなくなり祝杯が飛ぶくらいに怒った。


 大学院の2年生になっても、俺は、「アリとキリギリス」のまさにキリギリス役をひたすら演じるかのようにグータラな生活を送っていた。

 夏に実施された教員採用試験も一次試験で軽く落ち、修士論文に向けた準備も全く進めていなかった。

 日曜日になると、玲と二人で朝からスポーツ新聞とにらめっこして、競馬のメイン競争の予想に興じ、15時前に行きつけの小さなレストラン「もり」に行って買い目をマスターに伝えて電話投票してもらい、結果に一喜一憂して店を後にした。


 競馬をするようになったのは、単に、(少ないお金が増えないかな~)と思い、(そういえば、我が県には競馬場があるではないか!)と思い付いて、何も知らないまま100km離れた新潟競馬場まで二人で車で行ったのが最初だった。

 何も知らない、というのは、毎週土日になると競馬場で馬が走っている、と思い込んでいたくらい知識がなかったということだ。

 新潟競馬場が開催されているのは、春秋の一時期と、夏の1か月間だけで、他の期間は、他の競馬場の場外馬券売り場でしかないことを俺たちは知らなかったのだ。


 初めて競馬場に行って馬券を買った日に、まだ4歳だったオグリキャップと古馬のタマモクロスの一騎打ちと言われた秋の天皇賞が行われた。聞くと、玲は財布に10万円を入れて持ってきたと言っていた。そして、「これが、何百万円にもなるのね~」と笑いながら話していた。初めて馬券を買うというのに、そんな大金を持ってくる女は早々、居ないと思う。

 単枠指定同士、ガチガチの1・2番人気の決着で終わった天皇賞をはじめ、賭けたレースの全部を俺たちは外した。玲はさすがに10万円を全部スルことはなかったが、勝てなくて悔しがっていた。


 結局、俺たち二人はそれ以後、競馬にもハマって、レストラン杜でマスターにお金を渡して電話投票してもらったり、時々、玲手製の弁当を持って競馬場に行って日長一日を過ごしたりするようになった。

 また、ダービーや有馬記念などの大きなレースでは、二人で現地に行って観戦するようにもなり、オグリキャップの引退レースも俺たちは中山競馬場で声援を送った。


 こんな風に言えば、俺たち二人が仲良く楽しんでいたかのように見えるだろうが、実際のところは、この競馬も喧嘩の種になっていた。

 玲は自分が勝つと、たとえ、俺が負けていても構うことなく喜んで自分の予想の妥当性を饒舌に語ったが、逆に、俺が勝って玲が負けると、俺が全く喜びを表さずに静かにしていても酷く不機嫌になって黙り込んだ。新潟競馬場に行った帰りなどは、100kmの行程で俺が別の話題で話し掛けても、一言も話さずにムスっとしたままハンドルを握ったことも幾度となくあった。

 おまけに、運転の途中で眠くなった玲が蛇行運転をし始めたりして、怒った俺が途中のSAで降りて高速バスで一人帰ったこともあった。

 また、後日「この前は、ごめんね」なんていう玲からの詫びなども一切なかった。


 普段やっている玉撞きでも、競馬でも、自分が勝つと、負けた相手のことなどお構いなしに手が付けられないくらいに喜び、負けると、相手がどんなに気遣っても不機嫌になる女だった。

 この時点でも、俺は玲との付き合いを考え直さなければならなかったのだろうと、今でも思うが、当時の俺は、玲が変わることを祈りながら、静かに諭し、心情に訴えるように話をした。


 しかし、返ってくる言葉は、「わかった。嫌なことは忘れましょう」だった。





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