4-3 望まぬラスボス――フェズ・ホビルクとの戦い
茜色から群青色へと染まりつつある二色の空。
養成所でのレッスンを終え、誰もが帰路につく夕暮れ時。
もう何日目か、未だに名前もわからない町の中で、養成所から蓮丈院の家までしか地理がわからない俺は、マーサやセイラと別れて真っ直ぐに帰ろうとしていた。
それぞれの家を目指す町人の雑踏に紛れ、ゆらゆらと歩きながら揺れる俺の影すら行き交う人や建物が成す塊の中へ溶け込まれる。
その一方で道の上には滴下した血の粒が、足跡のように継続的に垂れ落ちていた。
「いってぇな……。マーサの奴、なにも本気でビンタすることもないのに」
話しかける寸前のところでマーサに止められ、応酬に思いっきりひっぱたかれた俺は、真っ赤な紅葉状に色づいた頬に手をあてつつ、温い鼻血を垂らしながらぼやいた。
すれ違う人には妙な目で一瞥されるが、俺の垂らした血は、他の奴らに踏まれてゆく度にアスファルトと一体化してゆく。
せっかく端麗な容姿を棚ぼた感覚で手に入れたのに、相応の成果が実らないというのは、いささか不条理な気がしてならない。
「成果実らず――そういえば、今日は何にも思い出せずに終わったな」
数日前に大盤振る舞いと言わんばかりに記憶の鍵を開錠されれば、思い出すきっかけが応じて少なくなるのは仕方がない。
まるで終盤のビンゴゲームのように、望みの数字が立て続けにでるわけにはいかなかった。
いや、思い出したのではない。記憶を意図的に解放されたというのが正しい。
文字通り鍵を握っているのは、おそらくあの青い髪の少女。
初陣の時、一瞬で場所を行き来できる神出鬼没にも驚かされたが、彼女が俺の前に出現する度に激しい頭痛とともに俺の記憶を無理矢理思い出させる。
二度も起これば偶然とは言い難い。
名前はフェズ・ホビルク。
【メガミ・リンカネーション】という物語の軸を成して主人公達を振り回してきた存在にして、真のラスボスを勤めるレギュラーの一人。
その正体は、今でもなお考察班が有力な説を講釈しているが、表面上の情報では『多重に存在する世界に、煌めきを伝導させる使者』。
要するに普通の人間ではないという、おおよそ自分のことが笑えない異世界の人物であることは、作中でも公式紹介文でも説明されていた。
だが、主人公レベルで特別な立ち位置に立っているとはいえ、結局は同じ物語の中を生きる架空の登場人物として、頭数に含まれているキャラクターの一人のはず。
そいつがなぜ、俺が現実世界からやってきた人間の魂であることを見抜き、おまけに記憶を操作できるのかわからない。
俺は一瞬、フェズ・ホビルク自身も自分と同じ状況に置かれた他世界の魂ではないかと推測した。
だが、そうなると俺の記憶を好き勝手に操れる説明がつかない。
おまけに、記憶を俺自身に関する全てを束縛する理由もわからない。
わざわざ一度全ての記憶を封じて、徐々に必要な情報だけ解放させてゆくことも。
どのみち、とっつかまえて問い詰めてみるしかないか。
俺の記憶が正しいなら、フェズは県外から来た特待生枠で入った主人公ティーナの住み込む女子寮で同じ部屋のはず。
マーサかセイラに聞いてみるか、それともネットで検索するほうが早いか。
俺はすぐさまに制服のポケットからスマホを取り出した。
時間はとっくに一八時に変わろうとしている。
流石にこの時間になると門限とかの関係でお邪魔できないか。
俺自身も、肉体的にまだ一四歳の被扶養少女の身。
あんまり遅いと、過保護になった母親に心配されるかも。
ふと見下ろした時刻を見ただけで、様々な不安要素が一瞬だけ俺の手を止めた時だ。
あんなに総立ちしていたバリが、全て圏外の二文字に突然切り替わった。
ここは電信柱も乱立している野外のはずなのに電波が途切れている。
何が起きたかを感じるよりも先に、街頭や建物が灯していたありとあらゆる光が突然消えた。
故障や停電と言うよりも、まるで息を吹きかけて消された蝋燭の火のように。
瞬く間に人工の光が消灯され、一気に仄暗くなる街路。
あまりにも不可解な現象を前に、驚愕して息を飲んでいる間に、俺はさらなるに感づく。
あんなにぞろぞろと行き交う人で溢れていたのに。
さっきまで俺を溶け込ませていた人の川は一瞬のうちに全て消え、カラスどころか夜虫さえ鳴かない閑静だけが取り囲っていることに。
「どうした? 何が起きたんだ?」
「あなたの希望通りにしたの」
人気がないせいで、余計に響いている俺の声に答えるように、誰かが答える。
言葉が帰ってきたのと同時に、背後の方からふと沸いたように五感に悟らせる人の気配。
反射の如く即座に振り返ると、そこにはちょうど会いたかった人物が、直立して俺の前にやってきていた。
青い髪の乙女――フェズ・ホビルク。
「貴様は一体何者だ! なぜ俺のことを知っている。それに俺の記憶をいじくり回しているのも、貴様の仕業か……」
「全てが知りたいなら、その資格を得てみなさい」
怒声を含めた尋問もむなしく、フェズは表情を変えず抑揚のない口調でそう返しながら、いつのまにか手に握っていたCOMPを掲げる。
既に読込板まで露出されているということは、俺とマジアイで戦えという意志を示していた。
「なんだと⁉」
言葉だけで問いつめるつもりが、まさか勝負を経由しないといけないなんて予想外だ。
できれば対決は避けたかった。
何しろ、相手はラスボスだ。
いくら終盤にかけて主人公が強くなった状態で挑んだとはいえ、かなりギリギリの接戦を強いられた強敵。
奇跡や絆を味方につけて、やっと勝てる相手なんだぞ。
それどころか、時間軸ではまだ追放されていない蓮丈院遊月の俺がいる物語の序盤。
ましてや蓮丈院遊月は主人公達レギュラー陣にボコボコにされる運命が科せられた噛ませ犬。
そんな生まれた時から雑魚確定の配役を背負わされた奴が持ったカードを使ったところで、そもそもまともな勝負になるのかさえわからない。
「私と戦いなさい。このまま消えたくないのなら」
同時に確信した。
俺の望み通りに、こいつから姿を現し、俺の欲しがっている情報を餌に、よくわからない人気のない空間に閉じこめにきた。
間違いなく、俺をこの世界に連れてきたのは、こいつであると。
「いいだろう、どのみち重要な手がかりはもう貴様しかいない。受けて立つ!」
向こうはお構いなしに、やる気まんまんだ。
仕方が無い。
俺は手提げ鞄からCOMPを手にして臨戦態勢をとる。
「「アイドル――オンステージ!」」
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