4-2 史上最低の婚約者との再会シーン

 なんか話が違うな。と思いながら、俺は温くなった紅茶をすすった。


 蓮丈院遊月に婚約者がいたことは聞いていた。


 そのときマーサは、ヴァネッサ・ハジェンスと踊っていたザッフ・エフロン級の爽やかボーイと聞いていた。


 この時点で興味ないのに、実物はアレックス・バンドみたいな顔だ。曲すら聞いたことないし別人ゆえに、単なるイケメンにしか見えない。



「遊月、こちらがあんたの婚約者さん」


「やあ、遊月さん」



 丸いテーブルに向かい合う婚約者と名乗るイケメンが、爽やかな笑顔に乗せて挨拶を送る。



「あ、どうも」



 一瞬だけ目を合わせただけで、俺はすぐにカップへと視線を移した。


(ええええ⁉ 挨拶それだけですか⁉)


(この人、出歩けば黄色い声が絶えず上がるほどファンの子達に取り囲まれる美形だぞ!)


(仮にも婚約者でもある彼を前に挨拶四文字って⁉)


(惚れるどころか、声被せたあげく一瞬すごい剣幕でにらんでなかった⁉)



 セイラやマーサどころか、このカフェテリアに野次馬となって集う婦女子が、困惑したような顔でこちらを傍観しているが、さほど気にしない。



「て、天上道チャールズだよ。覚えてるかな、遊月さん」


「あぁ、確かそんな名前だったな。完全に忘れてた」


「ま、まだ完全に思い出せてないのかな?」


「顔は覚えてるのだが、名前まではなぁ」



(史上最低の邂逅だな)


(記憶を失った恋人との再開なのに全然ときめかせる気がない)



 せっかく、このアニメ世界の情報をひとしきり思い出せたというのに、こいつ自身の陰がアニメ本編ではかなり薄かったのか、何度思い巡らせてもまともに思い出せなかった。



「ち、調子はどうかな。木から落ちて頭を打ったって聞いたけど容態は……」


(さすが婚約者、お相手から地味なクラスメイトみたいな扱いされたってのに、まだ友好を深めようとしてるよ)


(でも流石に爽やかさが維持できてないですね。気まずい顔で笑顔が引きつってます)


「ああ、さっきまで絶好調だったよ」


(遠回しに邪魔者扱いしやがったよ。どんだけ興味ないんだよ)


(あんな露骨に嫌な顔をする遊月さん、初めてみました)


「ぼ、僕にできることがあったら何でも言って。遊月さんの記憶が戻るなら、何だってするよ」


(健気だなあいつ。あんなヒデー態度とられても、まだ献身的に遊月に声かけてる)


(というか、もう婚約者って関係が一種の枷みたいになってますよ)


(もうお暇したいのに、強制的に友達以上の関係にされて、無理矢理言葉をかけるなんて、なんという拷問)


「うん」


(遂に返事すら面倒くさがられてる。無視一歩手前じゃないか!)


(もう目が死んでるってレベルじゃないですよ、違う何かに転生してる目ですよ!)


「そ、それじゃあ、お邪魔したみたいだし、僕もお暇するよ。お大事にね、遊月さん」



 やっと居た堪れなくなったか。目に見えるほど気まずいのに無理矢理笑顔を作っている表情を向けながら、天上路は強引に会話を切り上げて席を立ち上がりかけた。


 思い出したアニメの本筋から薄々想像はしていたが、案の定の好感度か。



「お暇する前に、この際、率直に聞きたいことがある」



 俺は呆れて口に付けていたティーカップを下ろして呼びかける。



「な、なんだい?」


「貴様は俺のことを、どのくらい愛してる?」


 容赦なく飛び出す問いかけ。言下に罅の入った氷のごとく緊張が一帯に走る。


 聞かされる方とって重たい質問ではあるが、俺はあえて目を逸らしながら訪ねた。



「そ、それは、何者にも代えがたいくらいにだよ!」



 親によって決められた決定事項だからか、それとも男として相手を思う真意なのか、婚約者の責任を果たそうとする天上路の必死は伝わった。


 だが、恋人だと思うには薄っぺらい。



「当たり障りがない抽象的な規模だな」


(全然愛する気がないあなたが言いますか)


「それなら、君は僕のことをどう思ってるんだい?」


「覚えてないといっただろう」


「そ、そうだけど……」



 カップをソーサーに置き、俺は傍で不安そうに見ているマーサとセイラに話を向ける。



「セイラ、マーサ、記憶を失う前の俺は、婚約者についてどう語っていた?」


「そ、それは……」



 セイラはともかくマーサも沈黙しながら目を逸らす。


「何も言ってないよりも酷いことを言っていたらしいな。もしくは、両思いとは言いがたい別の魅力についてのみ語っていたのか」



 最も身近にいた取り巻きですら、まともな情報が出てこない。


 ということは、蓮丈院遊月本人にとって、天上路はパートナーというよりも、ステータスとして見ていたことが伺える。



「天上路チャールズと言ったな。悪いことは言わない。あんたは真に互いを愛し合える奴と見つけた方が賢明だと思うのだ」



 まさかの提案に、凍っていた周りが一気にどよめき出す。天上路の婚約者も、流石に呆気にとられて言葉を失っている。



「本当に互いに愛していたのか、それとも呪いの如く名に伸し掛かる家に従って仮面越しの相手を愛せるのか」



 設定の面では禁忌かもしれない。


 だが、物語の行く末を知っている俺だからこそ、何にも臆せず冷静に助言を送り続ける。



「少なくとも、俺の記憶には貴公の存在を目の当たりにしても何も響かない。憶測の域をでないが、それが何を意味するのか、俺は実りのない未来になってしまうことを感じてしまう」



 どのみち蓮丈院遊月から婚約者は離れ、お約束の通り主人公のティーナといい感じになる。


 正史通りなら、この男は蓮丈院遊月の下劣な行為に対して常人同様に見限りはした。


 因果に対する応報として、ましてや普通の人間の感性なら責める言われもない。


 婚約者の責務として擁護せよなど、そんな聖人を貫いて欲しいと思うほど俺も鬼ではない。


 しかし、その後で仮にも婚約者であった遊月の話題を一言も出すことなく、まるで最初から存在などしていなかったかのように主人公に鞍替えをする。


 奴がよほど薄情な人間でない限り、遊月との関係がそれほど思い出深いものではなかったことがうかがえる。


 どっちみち、俺は男とつきあう趣味は毛頭ないし、喜んで正史通りお相手を変えてもらうことを願った。



「ゆ、遊月さん……。確かに相思相愛は必要な感情ですが……」


「相手はただのボンボンじゃないんだぞ。ウチの養成所に楽曲提供やCD販売の手続きを全面サポートしてくれる、日本最大のレコード会社ヘブンロードの子息なんだぞ。そんな感情の有無で関係を切られたら、遊月の家どころか養成所の運営すらまずいことに……」


「ならば、なおさら俺は媚びぬ」



 天上路の経歴や家柄を耳打ちしてまで賢明に伝えながら説得するセイラとマーサの警告に、俺はただ鼻であしらう。



「セイラ、マーサ。俺は言ったはずだ。二人が求めているのは、蓮丈院が手に入れたトップの栄光か、それとも連丈院遊月そのものなのか」



 割れそうなほどの勢いで紅茶のカップをソーサーに乗せて俺は立ち上がった。



「少なくとも俺は、他人の肩書きの前で尻尾を振る犬にはなりたくない。ましてや、半端にアイドルの世界に介入して利益の有無だけを考える下郎どもに、足枷を嵌められるなどごめんだ。


 アイドルがその身を捧げて許されるのはファンのみ! 金やブランドに頼る卑怯者ではない。自由に表現し、思いを歌に乗せ、愛される己を表現する!


 トップになれ。トップを守れ、トップの威厳を保てと小煩く説くのなら、俺は蓮丈院遊月以上に至高なる人物以外に屈しない本物のトップアイドルを目指すまで!


 恋愛だの、安泰した将来、関連大手企業の行く末など、この養成所に通う者なら優先事項から除外すべきだ。全人類の片思いの的となること、それが本来のアイドルの姿! 婚姻適齢年齢に届かぬ今の段階で、まだ俗物に堕ちるわけにはいかない!」



 いつの間にか野次馬とファンで囲まれていたカフェテリアの中心で、俺は高らかに自分のアイドル感を演説した。


 拍手は起こらなかったが、代わりにポツポツと納得したように、何人かが感嘆の声を漏らしていた。



「た、確かに正論ではあるが……」


「でも、そうなると記憶が戻った後に大きな支障が……」


「いや、気にしてないよ」



 正論に納得しながらも心配するセイラとマーサの不安を払拭するように、天上路が元の爽やかな語勢で宥めた。


「天上路さん、すみません」


「悪気はない……んだと思うんだけど。今の遊月は見ての通り全快じゃないんだ。記憶を戻すきっかけになればと連れてきたけど、不愉快な思いをさせちまったな」


「不愉快だなんてとんでもない。むしろ、有意義な渇を入れてくれて、少し感謝してるよ」



 一演説終えて再びどっしりと椅子に戻る俺に変わって頭を下げるセイラとマーサの謝罪に、天上路は何か重石が外れたかの様に晴れやかな顔をしてそう答えた。



「自分もゆくゆくは父の会社の後を継ぐとはいえ、ここに通っている以上はアイドルとして自覚しないといけない。誰か一人に愛される普通の男じゃなくて、この世の全ての人に愛されるアイドルでいなければいけない。君に言われるまで、僕は全てを守ろうと欲張りになっていたよ。おかげで情けない自分に自覚できたよ」


 激昂しない代わりに慇懃無礼な皮肉が帰ってくることを期待していたのだが、今の言葉を聞く限りではどうも純粋な感情からでた所感であった。


 なるほど、今のを不抜けた自分への喝だと捉えられる素直な性格をお持ちのようだ。


 良いところのご子息として育ちがよいのは、外見や身なりだけじゃないらしい。


 天上路は改まって美しく起立し直し、俺にむかって頭を下げた。


 浮気性の癖に、おめでたい性格だな。


 少々適当な説教を下だけで、感謝の一礼を送るなんて。



「遊月さん、君の素敵な言葉で僕が変わったとしても、君を十二分に満足させられるかはわからない。それでも、僕は一人の男としてやり遂げてみせるよ。それに、僕は今の君を……」


「待て。それ以上、言葉を続けるなら一生アイドルができない顔にしてくれる」



 次に天上路がほざく台詞の内容を予期した俺は、カップをこれ見よがしに鷲掴む。


 明らかに投げる一歩手前の手になったのを見計らい、失言に血の気の引いた天上路はそそくさと俺の前から消え失せた。


 油断も隙もない。


 あのまま好きになられたら、戻ったときにいざこざが生まれる。


 あいつは、あのチッコい主人公と家柄も全て抜きにした本気の恋をする方がふさわしい。


 最悪、まだ戻らなかった場合に、恋人気取りで馴れ馴れしく接近してくるのが、俺にとっては我慢ならん。



「い、いいんですか? せっかくお互いの心を近づけるチャンスだったのに」


「記憶がないせいでほとんど別人格となった俺を愛したところで、本当の蓮丈院遊月を愛したことにならない。もし元の遊月に戻ったとき、結局馬が合わない別人と付き合ったところで互いに不幸せのままになってしまうからな」



 空っぽになったカップを差し出すと、セイラは両手で受け止めていそいそとお代わりを入れてくれる。



「ふさわしい人物であるかは、治った遊月に任せる。俺はただ、全員が知っている元の蓮丈院遊月戻すことに全力をそそぐだけだ」



 魂か意識だけが異世界に迷い込んでしまったとはいえ、俺には乗っ取った肉体を悪用して主役に返り咲いたり、第二の人生を送ろうなんて野暮なことは考えていない。


 最終回まで走ったからといって、この世界に大した愛着もない。


 もしかしなくても二週目などせずに一生を終えてしまいそうなほどの暇つぶしだ。


 せめて、元の世界に戻れるまでは、この世間から嫌われる悪役を担おうとも出過ぎた真似をしない脇役に務めたいところだ。


 ようやく新しい紅茶が、熱々とした湯気を立ち上らせてソーザーの上に置かれる。


 小僧相手に長くしゃべりすぎたせいで喉が渇いたところに、三杯目の紅茶はありがたい。


 セイラは俺――というか蓮丈院遊月の為に常に紅茶の品質にはこだわっていると聞いていたが、やはり値が高い故に漂う香りの良さが違った。休憩の度に飲んでいるが、飽きがこないのも。



「まぁ、先に俺――蓮丈院遊月の悪評を濯ぐ方が先になるかもな」


「悪評なんて、そんな……。自分のことを悪くみすぎですよ」


「過半数は嫉妬とか妬みとか、厳しさを理解できない半端ものからの逆恨みだ。トップに就くということは、そんなのも避けて通れないんだ」



 そんな時、ふと渋い色の木柵の先を眺めると、中庭の煉瓦道で、なかなか好みのお淑やかで可愛い女の子が通り過ぎるのが見えた。



「さてと――」



 カップを置き、一息ついた俺は椅子から立ち上がる。


 そして、全ての力を瞬発力として足に捧げ、瞬間に振り返って木柵を飛び越えた。


 行き先は、柵の向こうの女の子まで。



「遊月さん⁉」


「こいつッ! 今さっき偉そうに吐いた正論は婚約者を自分から遠ざけるための口実かッ!

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