3-2 【明王】藤丸エルドと妹の美澤マイリー

 豪快にカップを仰いだそのとき、どこからか鋭い視線を背中から感じた。


 咽せるのをこらえて、向けられた視線を辿る。見つめられただけで感じるのかと思うくらい、あまりにも強い存在感。まるで視線の主が自己主張しているかのように、俺に追いかけさせる。


 位置は校舎西棟の屋上。


 そこに、確かに俺のことを見下ろしている人影があった。


 輪郭から分かる長身が成す芸術的な仁王立ち。


 噴き上げる微風のせいか、それとも己から出す気迫のせいなのか、尻まで長く毛量も多いクリーム色の髪が随時浮いている。


 体型は女性だが、その顔立ちは中性的というよりも雄々しく、もはや仁王像と呼んでも差し支えないほど。


 切れ長で細い目をしているが、その隙間からのぞく瞳に込められた圧だけはしっかりと伝わってくる。



「妙にガン飛ばしてくる姉さんだ。誰だ?」


「明王、エルド……藤丸エルドさんです。この養成所で最も強いアイドル訓練生です」


 負け時と睨み返すみ返す俺に、圧に屈しているのかセイラは少し怯えたようなたような声で説明する。



「最強? トップは俺だろう?」


「確かに、純粋な養成所の生徒の内では遊月さんがトップです」


「どういう意味だ?」


「エルドさんのご実家は、この【ユーバメンシュ】の経営者なんです。お爺さまが会長、お父様は所長、叔父様は副所長として。受講生という身でありながら、その実力はこの養成所が誇る講師陣を上回り、よほどの事がない限り表に出さない守護神めいた強さ故に明王という二つ名で呼ばれております。トップを名乗らない理由は存じませんが、親の七光りという後光を嫌がっているとか、いくら実力があっても、親の七光りという後光のせいで誰からも実力を認め切れられていないから退去したと噂が流れております」


「形式上は圏外だが、実質的には奴がトップってことか。要するに、奴も経営者として一部荷担している可能性もあるというわけか」



 だが、本当の理由は別にあったような気がした。


 それがどういう事情なのかは思い出せない。



「そんな奴が何故俺をわざわざ見下ろしている。あの目は何の念が?」


「き、きっと、先日大ケガをしたって情報が理事長や所長の口から聞かされて様子を見たのかも」


「そんな配慮の利いたことをするほど、同僚思いなやつか? それにやっぱりあの顔、お前たちよりも見覚えがある」


 睨み返せば睨み返すほど、こちらが目を背けたくなる重圧に負けてしまいそうだが、そうさせないのはやはり脳裏にしがみ付くみつく既視感によるものだった。


 やはりこいつの存在も俺の失われた記憶の鍵なのだろう。


「――あんたはまず、上を見るよりも自分が胡座かいてる椅子を守る方が重要じゃないの?」



 無礼にも割り込んでくる新しい声が耳朶に触れた瞬間、少し頭痛が走った。


 やはり、この養成所には俺の記憶を思い出させる手がかりがごろごろと転がっている。


 この痛みは、前に青い髪の女が介入したのと同時に、脳にかけられた錠前が破壊された時の、その軽傷程度。



「遊月さん!」


「大丈夫か、遊月!?」


「その分だと、まだ完全に治ったって口じゃあなさそうね」



 声の主に反応を返せることもできず、頭を押さえる俺に心配したセイラやマーサが駆け寄る中で、割り込んだ少女はこの有様をあざ笑う。


 下がってゆく波の様に痛みが引いた俺が改めてそいつの顔を見る。


 もう何人目なのか、藤丸エルドよりも強く記憶に引っかかる顔。


 現実世界ではありえない瞳の鮮やかさとは対照的に敵意がこもった丸目。


 小型の愛玩犬のようにフワフワとした癖毛が目立つ黄緑色の髪。


 自分たちとは通う学校が違うのか、よく見る公立校の目立たないブレザーを羽織っているが、内側にはブラウスではなく迷彩柄の何かを着込んでいる乙女趣味とはほど遠い小娘。


 軽めの頭痛から、一部だけ封印から漏れたのか、やってきた少女の情報が一部分だけ思い出せた。


 ついでに、こいつの趣味も。



「誰だ、貴様。というのは少し無粋だな。貴様、たしか名字は藤丸だったな」



 煽り返す俺の一声にセイラとマーサは驚愕して丸くなった目で俺をみる。


 その一方で、藤丸と名字を当てられた小娘は、ずかずかと荒い足取りで迫ってくる。



「余計な記憶だけ、残してんじゃあない!」



 どうも図星だったらしい。


 舌打ちしてテーブルをた殴るほど、コンプレックスの根元のようだ。



「あたしは美澤マイリー。もう一度、そのお粗末になった頭に入れておきな!」


「いいだろう、こんなに可愛い顔をした君を、次は絶対に忘れないよう脳に刻みつけておこう」


「――なっ!」



 皮肉を込めた煽り返しなのに、本気でほめられたと思ったのかマイリーは退いてしまうほど顔を赤らめた。


 おかしいな。


 俺の記憶が確かなら、普通にほめられても気持ち悪がられると思ったんだが。


 ふと、まだ紅茶が残っているカップを見下ろすと、赤い水面に写った自分の顔を見て俺は改めて気づいた。


 そうだ、俺はそれ以前に蓮丈院遊月という生まれ持った美貌を持った少女の肉体になっているんだ。



「セ、セイラ、今の俺は格好いいか!?」



 最終確認として、俺はマイリーそっちのけで自分ができる最高のかっこいいポーズを決める。



「はい、格好いいです! 素敵です!」


「ああぁ、確かに格好いいが……」


「そ、そうか……なら!」



 椅子に片足を乗せて、ファッション詩の見よう見まねながら、ダサいといわれるのを覚悟で次のポーズを取ってみる。



「これでもか! 厨二臭くない?」


「いいです! 味が出てます!」


「厨二もクソも、モノホンの中二だよ、アタシらは……」


「よ、よし、それなら最後は大胆に!」



 上着とブラウスのボタンを二つはずして、ぎりぎりまで素肌をこれ見よがしにするヴィジュアルモデルのようなポーズを取る。


「こんなに肌を出してもヤバくない?」


「ヤバいです! 魅力的すぎて規制かかるくらいです!」


「ほ、ほかの女の前でやるなよ!」



 この生涯で率直に賞賛されるなんて思わなかった俺に、新しい自信がついた。


 もう帰りたいと思いたくないくらい、俺の手というか体に永遠のモテ期が手には入ったのだ。



「それで、奴の血縁者が何のようだ。この俺をデートにでも誘おってのか?」



 異性を引きつけたい本能と今思い出せる限りで最高のポーズを決めながら、俺は改めてマイリーと向き合う。



「誘うってのは正解よ、ただしデートじゃなくてトップの座をかけた正式なマジアイで!」


「トップの座なんかより、トップの俺とデートしたという功績の方が価値あるんじゃあないか? 受講生として拍がつくだろう」



 Shall共にwe dance?踊りませんか?


 そう誘わんばかりに迫った俺は、マイリーの背中と顎に手を添えた。


 幼気な少女に、こんなことをしても通報されないなんて、なんて素晴らしい肉体なんだ。


 ところが、マイリーは半ば呆れた顔をして一度ため息をついた直後に、返事の代わりとして懇親の頭突きを俺の鼻に食らわせた。


 容赦のない一突きに、俺の鼻から鮮血がドロリと流れる。



「噂の通りね。今のあんたは、この前頭打ったせいでバカになったってね!」


「お、お前っ! 確かにその通りだけど……」


「否定はせん」



 親友が小馬鹿にされて怒鳴り返そうにも、何も言い返せなくなったマーサは、身を乗り出すのを諦めた。


 当の俺は、気にせず仁王立ちでふんぞり返る。


「敵は倒せる時に倒す。今のあんたなら、余裕で勝てそうだしね」


「そんなんだから、姉と比べられるんだろう」


「う、うるさいやい! それで、勝負を受けるの? 受けないの?」



 己に緊張感を持てとマーサが警告してきたのは、どうもこのためのようだ。


 ただ、威厳を保ったとしても噂や情報が出回っている以上は避けられぬ定めには変わりない。


 親指で鼻血を払うように拭い、俺は改めて腕を組んで応える。



「いいだろう、その勝負乗った」


「遊月さん!?」


「何考えてんだよ、遊月! こいつはただの練習試合じゃないんだぜ!?」


「どのみち挑まれるのは時間の問題だ。だったら尚更、今の俺には実践経験が必要だろ」


「だからって安易に自分の誇りと実績をかけるなよ! 負けたら、遊月は……」


「お前達が直そうとしているのは遊月に飾られた名誉か? それとも遊月そのものか?」



 維持でも賭け試合くい止めるマーサとセイラに向かって、俺は乗せられた天秤を差し出すように問い返した。


 望んでないとはいえ、蓮丈院遊月の体を乗っ取っているのは他人である俺だ。


 俺自身の選択で、遊月本人の名誉が左右されるのは分かっている。


 しかし、冷めた言い方になるが、俺は体を遊月に返すとは誓ったが、遊月に成り続ける義務までは背負った覚えはない。


 名誉の維持よりも記憶を治すほうが先決なのはそもそもの目的だ。


 そして、記憶を蘇らせるためにも、鍵にもっとも近い存在であるマイリー藤丸とはどのみち接触しなければならない。


 事実、マーサとセイラの中で知っている蓮丈院遊月がいない以上、まずは記憶の完治が優先だと悟った二人は、これ以上なにも言わなかった。



「さて、お嬢さん。会場までエスコート頼めるかな?」

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