第三章 防衛戦という実戦。賭けるは「頂点」の立場
3-1 バイオレンスとドSの境界線
「頭では覚えてなくても体は覚えているなんて、よく言ったものですね。やっぱり腕前だけはいつもの遊月さんで安心しました」
えらく高揚感たっぷりに喜ぶ声に混じって、フレンチプレスが茶葉を圧す静かな水音が聞こえる淑やかな昼下がりのこと。
記憶らしい記憶は戻らなかったものの、この世界での上下関係を決めるために必須となる力――マジカルwithアイドルズの腕前までは衰えていないことを証明してしまった俺は晴れて退院。
普段の生活能力に支障はないこともあって、残りの記憶を治すには実生活を辿っていけば良いと判断され、今後は遊月の取り巻き兼友人であるセイラやマーサの引率の元、このユーバメンシュを訪れていた。
ダークブラウン色の材木が渋いウッドデッキのカフェテラス。
枝の先々に生い茂らせる新緑の青葉達が、まばゆい春の日差しを良い塩梅で遮る傘となっている最高の憩いの席。
凡人思考の俺でさえも気に入ったこのテーブル席は案の定競争率が高い故に【ユーバメンシュ】のトップである蓮丈院遊月にのみ、優先的に座れる権利を得ていることを知らされた。
水滴や湯気で曇る硝子のフレンチプレスの注ぎ口から、せせらぐ小川の如く注がれる鮮やかな色の紅茶。
底の深いグラスではなく、わざわざソーサーに乗せられた小さいティーカップに。
量と反比例して値段が結構張りそうなカフェで出されそうなその紅茶を、俺はカップの取手に指を差し込んで持ち上げる。
「ああ、でも細かいマナーまでは覚えてないようですね。遊月さん、カップを持つときは取手に指を入れてはいけませんよ」
作法がなっていない子供を正すようにだすように、セイラは口だけではなくわざわざカップをもちつつ、俺の手に被さってまで正しい持ち方に修正する。
本来の俺はマナーとは無縁の場所にいた故に鬱陶しいと思いかけたが、頬がつくほど近づいてきたセイラの顔を見た途端、それどころではないことに気づかされた。
「お前、顔大丈夫か?」
怪訝そうに肩眉をあげて、俺はセイラに恐る恐る尋ねた。
数日前、初陣で決着をつけた時に俺がやったのであろう、顔の半分が焼きたてのパンの如く大きく腫れあがっていることについて。
「ふえ? え、だ、大丈夫ですよ!」
心配の声をかけられたセイラは、一瞬だけ意外そうに目を見開かせるやいなや、恥ずかしそうに腫れた顔を小さい左手で覆い隠す。
俺というか遊月に心配されるのがそんなに照れることなのか、指の間からはみ出てみえる患部がよけいに赤みを帯びている。
「こんなの、いつものことですから!」
「え? 普段の俺って、そんな過激なの?」
「過激というか厳しかったぞ。後輩やチームの練習を見ている時なんか、全員がビビるくらい」
茶菓子が積まれたワゴンを側に紅茶を入れてくれるセイラとは反対側――俺の右手側に座っているマーサが椅子に深く腰掛け、いかにもくつろいでいる風を見せながら答えた。
茶化すことなく平坦と。
こいつは母親共々ボーリングのピンの如くセイラと衝突したのに、何一つ怪我してなかった。
「俺とは気が合いそうにないタイプだな」
「気が合わない以前に、自分のことだろ!」
「自分が嫌になったんだ」
全然俺のことではないが、肉体的に自己嫌悪に陥ったような台詞をいいながら、俺は湯気立つ紅茶に口を付ける。
「ん? なんか味が薄いな」
遠慮がちに薄いとはいったが、実際はほとんどしない。香りこそするがそれをのぞけばほぼお湯を飲んでいるにひとしい。
「そ、そうですか? いつも通り煎れたのですけど……」
味を確かめるべく、セイラがフレンチプレスに残った紅茶を出して嘗める。
「正しい温度で煎れたので香りはするのですけど」
「香りはな、でも味がしない」
「遊月、お前……」
頬杖を付きながら、片方の手でテーブルをコツコツ叩きながらきながら、マーサが不機嫌そうに顔を顰めためた。
「紅茶はなぁ、本来は匂いを味わうものなんだぞ。プラスチックのボトルに入った紛い物と一緒にするんじゃあない」
自販機で売られている市販品を紛い物と言うあたり、つくづく自分が支配している肉体の品質が上質すぎることを思い知らされる。
贅沢な娘だ。
学校の名前こそ思い出せないが、俺が同じ頃に周りにいた女子共は、そんな紛い物で必死に女子力とやらをアピールしていたのだがな。
「ああっ! ダメだぁ! 高級嗜好も喪失している! 濃い味と甘味料とか、偶然編み出された混ぜ物とかで錯覚してくる庶民派風味じゃないと満足できないぃ!」
青葉が傘になっている晴天から見下ろしてくる太陽に向かって、俺は盛大に我が儘を吐いた。
「それでしたら、次からはアールグレイやダージリンといった種類のを濃い目にお出ししますね」
何一つ嫌な顔をせず、相変わらず献身的な笑みを浮かべて代価案を出しながら、セイラがまだ中身が残っているカップを下げようとした。
「い、いや、今日はこいつを飲ませてもらう。せっかく煎れてくれたんだからな」
「そ、そうですか?」
なんでもかんでもまじめに受け止めてくれるセイラの姿勢には、どうにも己の我が儘に対して罪悪感が沸いてしまう。
「おかわりが欲しかったらいつでも言ってくださいね。あ、わたしったら! お茶菓子をお出すの忘れていました! 今、ケーキお出ししますね!」
今の今まで気にしていなかったが、よくよく考えたら同い年の子に、わざわざティーセットにケーキスタンドまで運ばせて、給仕みたいなことをさせている。
命じた訳でもなく、セイラ自身も喜んでやっているのだから、彼女にとってほとんど趣味の範疇なのだろうが。
一口で全部なくなりそうなほど小さいケーキを小皿に乗せて、丁寧に音を立てずに俺の前に置く。
ファミレスやカフェ店員の模倣笑みとは異なる純粋な笑顔をするセイラを、ついじっと見つめた。
「ど、そうしたんですか遊月さん。わたしの顔に何か付いてますか?」
「ついてるっていうか、腫れ物つけたんだけどね、俺が」
流石にじっと見られた視線に感づいたのか、セイラは目に入ったウサギの如くビクリと体をふるわせた。
「いやぁ、前世でどういう得を積めば、こんなかわいい子にお茶を入れてもらえるんだろうって思ってな」
顔の腫れさえ抜きにすれば、セイラの顔は絵に描いたような美少女。
そんな子に進んでお茶をいれてもらえるなんて、記憶云々以前にこんな経験したことは無い。
ある意味、黄金色の感動体験を味あわせてくれた感想を、俺はおくびにも出さず吐露してしまった。
「か、かわいい、なんて。そんな、遊月さんの口から……なんてもったいない……」
セイラにとっては直球のほめ言葉に聞こえただろう俺の気持ちをにした途端、感極まったのかセイラは手にしていた食器を落としてしまうほど動揺した。
煎れてくれた紅茶の出汁以上に顔を紅潮させ、あわあわとしながら顔を隠しながらワゴンの陰に隠れてしまった。
ちょっと自分に正直になって褒めただけなのに、あんなに照れられるなんて。
自分自身でもびっくりしたが、よく考えたらそれを言葉にする口の持ち主は蓮丈院遊月なのだから、口説くように褒めても気持ち悪く思われないことに気がついた。
このまま追撃すれば、いけるか更なる美味しい展開!
「痛ッ!」
訪れる好機に便乗しようと席を外しかける俺をくい止める様に、マーサが俺の耳を容赦なくつり上げた。
「お前なぁ! 記憶が無いとはいえ、自分が友人ですら引っ張る頂点に立っているってことまで忘れるなよ」
「イテテテ。なんだ、妬いているのか?」
「そうじゃない!」
怒鳴りながらマーサが延びきったゴムから指をはなすように俺の耳を解放させた。
優しいセイラとは対照的に、マーサは厳しく俺に蓮丈院遊月としての心構えを説いてくる。
「覚えてないものは、しょうが無いだろ。俺だって何も覚えていないというのは、かなり辛いのだぞ」
「お前が普通の奴だったら、あたしもここまでで怒りはしない!」
一喝しながら振り下ろされた拳が、テーブルに乗った食器達を派手に揺らす。
「でも、記憶はなくてもその肉体とユーバメンシュ最強の地位は健在だ。おまけに遊月が記憶をなくしたって事実は、まだ周知されていない」
マーサがきつく説く理由は、俺にも十分思い知らされている。
セイラが喜んでお茶を煎れてくれるのも、この快適な場所を特等席としてふんぞりかえられるのも。
俺になる前の蓮丈院遊月が積み上げてきた功績のおかげでもあった。
「無い記憶のまま初陣で勝てるという実力までは失われてないことまでは分かる。でも、威厳を保てないと、いくら実力があるからって必ずしも周りに認められるわけじゃない。最悪、舐められるんだぞ!」
緊張感と頂点に立つものとしての責任感。
マーサが伝えたいのは、かつて普通の人でしかない俺には決して持ったことが無く、逆に蓮丈院遊月が常に持ち続けていたものだ。
地位と名誉。
激しい競争社会の渦中、もしくは現代の縮図とも言わんばかりに、マーサはユーバメンシュの獰猛さを説明しているのだろう。
ユーバメンシュのトップ。
それは、どうも俺が思っている以上に価値が高いらしい。
マーサとセイラ。
旗から見れば、この二人は遊月の腰巾着。
しかし、この二人が蓮丈院遊月の地位を目当てについてきている意志の軽い子達ではないことは分かっている。
むしろ気にしているのは、記憶を失ったというハンデを背負わされたことで、弱体化してしまった俺を付け狙うらう輩に地位を奪われたあげく、惨めに転落したのをいいことに周りから虐げられることをおそれているのだろう。
かなり重たい圧をかけられているようだが、俺は気にせず皿に載せられた小さすぎるチョコレートケーキを素手で口に押し込んだ。
「遊月さん! フォーク、フォーク!」
「別にかまうことはない。療養中だと言っておけば。そもそも、俺はトップという器じゃない」
本当に他人のことだが、他人事のように俺は指を嘗めながら返した。
蓮丈院遊月がどれほど才能に恵まれた実力者なのだろうが、今は何も才に恵まれず、そして訳も分からず他人の体を乗っ取ってしまった運すらない凡人である俺が入っている。
最悪、負けてしまうというリスクも最低限考えなくてはならない。
それ以前に、俺自身が誰かの上に立ってお手本になるような奴ではないことも、残された僅かな記憶の中で覚えている事柄だった。
「お前……本当に遊月かよ。今までの高飛車な性格はどこいったんだ?」
「考えが変わったんだ」
チョコソースでべたべたになった口を濯ぐように、俺はカップに半分のこった紅茶を一気に飲み干した。
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