1-2 もう解決しちゃった「母親から課せられていた重荷」

「――よし、いったん話を整理しよう」



 やっと周りが物理的に落ち着き、卒倒から未だに目覚めない「遊月のママ」を代わりにベッドに寝かせ、おろされた元患者の俺は丸いパイプ椅子に場所を移した。


 ありったけの他人の経歴を一度に頭に入れようとした俺は、苦虫を噛み潰した渋い顔になりながら、痛くなった頭をなだめるように白い織指で額を押さえた。


 なんともややこしい状況だ。


 躯は自分のじゃない、まったくの他人だから、その躯の持ち主が本来築き上げてきた人間関係や情報なんて知る由もなく記憶喪失扱い。


 といっても、不本意ながら躯を乗っ取っている俺の方も、自分の名前どころか自分に関する情報を一切覚えていないのだから、事実上は記憶喪失になったことは代わりはないのだが。


 結局俺は、「遊月の友達」の二人から、俺のではない躯の持ち主――蓮丈院遊月についていろいろ教えてもらった。



「俺の名前は蓮丈院遊月。アンジュサイバー女学院に通う中学二年生で、アイドル養成所【ユーバメンシュ】にも所属している本物のアイドル候補生だと」


「はい! それも、ただの候補生じゃなくて、トップなんですよ! 遊月さんの腕前にかかれば右にでる物はいないんですから!」



 真っ正面で、亜麻色髪のポニテ娘が、鼻息荒く蓮丈院遊月の経歴をさもうれしそうに語りまくっていた。



「遊月、遊月って名前ばっかり呼ばれてたからピンとこなかったけど、蓮丈院遊月ってフルネームになると、なんかどっかで聞き覚えがあるんだよなぁ」


「それは、ご自分のお名前ですから当然でしょう」


「いや、そうなんだけど・・」



 改めて全身像を見ると、俺自身も彼女たちの着せている制服と同じものを来ていることに気づいた。


 目に付く青い生地に所々金色の糸やら編み込みされた糸束がモップみたいに飾り込まれている。


 もはや制服を越えた豪華な礼服だ。


 さすがに全部の青春の記憶がなくても、俺の周りにいた女子生徒はもっさりしたブレザーだったことは覚えている。



「制服をみる限り、ずいぶんと格式が高くて厳粛なお嬢様学校らしいな。ええっと――」


「セイラです。百恵ももえセイラ。こっちは、同じチームメイトのマーサさん。マーサ・フォレストさんです」



 言葉が詰まった俺の意志をうまくくみ取ったのか、亜麻色のポニテ娘――セイラが、真後ろで背中合わせのままそっぽを向いているもう一人の金髪娘の名前まで一緒に名乗った。


 セイラはともかく、マーサの方はかなり西洋によった名前だな。


 とはいえ、いくら記憶が抜けているからといって礼を掻くわけにもいかない。



「とりあえず、二人のことはどう呼べばいい? 名字? ファーストネーム?」


「お、幼なじみなんだから気さくに名前でよべばいいだろ!」



 ちょうどセイラの陰に隠れるように俺と顔を背けていたマーサが、苛立ったように怒鳴った。


 というよりも、アレは半分泣いている声だ。


 たぶん、顔を合わせられないのは、俺というか遊月に泣き顔を見せたくないんだろうな。



「まぁ、ただのチームメイトじゃないってことはわかったよ。入れ替わりもせず、ずいぶんと長く組んでいるらしいな」


「わ、わたしは今年から一緒のチームになったんですけどね」



 気恥ずかしそうに、セイラがわざわざ注釈を入れてくれた。


 照れくさそうに頬を掻くセイラの顔は、やはり絵に描いた少女のように可愛らしいのだが、その顔をずっと見続けているうちに、妙に頭の奥に何かが引っかかっていた。


 俺は再び頭を抱える。



「さっきは動転して思い返せなかったけど、冷静に二人の顔を見ていると、やっぱりどっかで見た気がするんだよなよな」


「そりゃあ、既視感ありますよ! 遊月さんが養成所トップになるまでずっと一緒のチームだったんですから!」


「いや、そうなんだけど……」



 もう二度目となるやりとりのさなか、がばっと真隣のベッドから、ビックリ箱のように掛け布団が跳ね上がった。


 ようやく遊月のママが気絶から目覚めたようだ。


 遊月の母親は起きあがるなり必死に首を振ったかとおもうと、遊月である俺を見つけるなりものすごい勢いで詰め寄ってきた。


「ゆ、遊月! 私があなたのママよ! ちゃんと覚えてる!?」


「あ、どうも」



 残念ながら、母親の方は既視感がない。


 もはや冷静を通り越してどん引きしている俺の返事をみるなり、遊月の母親はがっくりと肩を落とした。


 今度はさすがに気を失わなかったのか、改めてベッドを椅子代わりに腰掛けて、向かい合う俺たちの間に入ってきた。



「二人ともごめんね。私が気を失ってる間にいろいろ迷惑をかけて。遊月は、少しでも自分のことを思い出せた?」



 詫びながら優しく問いかける遊月の母に、セイラやマーサも目を伏せながら黙ってしまった。



「そっか……」



 何度も見せる落胆の表情。


 何度も落とす華奢な肩。


 そんな顔をされてはいきなり躯を乗っ取ってしまった俺が別の意味で非常に申し訳ない気持ちになる。


 どうフォローを入れればいいかもわからず、微妙な顔をしたまま蓮丈院遊月の身内達から目を背けていると、遊月の母親がそっと俺の頭に手を回して優しく自分の胸に抱き寄せた。



「ごめんね、遊月。これはママに降り注いだ天罰なのよね。あなたにはあなたのペースで、自分の好きなことをやりたかったのに、私が強引に一番を目指させようと無理ばっかり強いて……」



 そんなことしてたの? 


 ちゃかすつもりはないが、俺は母親の腕の中で顔をしかめた。



「あなたがつらい目にあっても、あなたが苦しんでいても、それは甘えだとか逃げだと言い聞かせて、あなたの心をことごとく閉じこめてばかり。あなたはそれでも、頑張って一番って結果をママやパパに見せてくれた。でも、あなたの背中に痛々しくつけられた傷は消えてなかった。それが勲章なんだって思ってた……。


 でも、それは愛ではなく傲慢だった。勝つこと以外に価値はない。失敗は罪、出来ないことはなお大罪。そんな価値観を植え付けてしまった。まったく業が深い話よね。結局、あなたへ注いだ愛は勘違いだったの。だから、神様が怒って、私たちがあなたに一生懸命与えて、はぐくんでいた本物の愛の記憶まで、すべてリセットされちゃったのよね」


 なるほど、懺悔か。


 その立派な後悔を、俺じゃなくて遊月本人に伝えるべきだな。


 一方で見たときから感受性の高いと思っていたセイラも思わず涙しているが、こっちはまるで重たい荷物を代理で受け取らされた気分だ。


 邪魔な責任感というか処理に困る伝言をもらって、うんざりした俺は思わずため息をついた。



「勝ち続けること以外に価値はない」



 長々と聞いていた母親の懺悔の中から、俺はその一言だけが、これまた頭に引っかかった。


 思わず口にした途端、母親は何かをおそれて俺から離れた。



「遊月、どうしたの? 大丈夫?」


「いや、今の言葉がどうにも引っかかって。そういえば、蓮丈院遊月って人物には、そんな言葉がまとわりついていたような」



 どうも気のせいの気がしない。


 母親には申し訳ないが、その呪いの一声が、遊月にとって関連が高い覚えがある。


 有名漫才コンビと結びつける鉄板ネタのように、連想させるキーワドとしてからみついていた。


 ぜんぜん頭痛は走らないが、俺はド忘れした何かを思い出すように顔を曇らせて腕を組んだ。


 冷静になって周りを見れば見るほど、既視感だらけだ。


 でも、それが何なのかは答えがでない。そばにいる人物達が情報を教えてくれる度に、からみつく違和感の足が増えてゆく。



「な、何か思い出せそうか?」


「出そうだな。もう喉のど真ん中まで来ているんだけどなぁ・・」



 あともう一押しあれば思い出せるかも。


 俺は喉に手を当てて、ここまで出掛かっていることをジェスチャーする。


 そんな時、セイラが何かを決意したかのように急に椅子から立ち上がった。


 そして俺の肩に両手をおいたかと思えば、あんなにウルウルと潤っていたはずの目を血走らせて、俺の唇に向かって顔を急接近させる。



「今から吸い出します!」


「おい待てコラァ!」



 物理的に解決しようと意気込んだセイラの暴走に、マーサが羽交い締めにして阻止する。



「おい、セイラ。気持ちはありがたいが、今の俺がお前と唇を会わせたら、例え合意でも俺の方が犯罪者扱いに――待てよ」



 ふと俺は自分の名前と肉体と、それに関連する情報を即座に照らし合わせた。



「マーサはともかく、セイラも俺と同い年なんだよな?」


「ああ、そうだよ。あたいとあんたは同じ小学校の出身。セイラは養成所から知り合った同級生だ」



 つまり、これで導き出された答えは一つだ。



「じゃあ、思いっきり吸い出してくれ」



 自分も未成年の女の子なら、同い年の女の子に何をやっても思春期特有のアレだっていえばどの界隈も合法であると認められる。


 瞬時に理解した俺は、すぐにセイラの顎を持ち上げて荒療治を続行させようとした。

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