第一章 蓮丈院遊月

1-1 目が覚めると知らない女の子になってた

 目が覚めると、見慣れない光景が俺の視界に広がっていた。


 ぱっちりと瞼をあけると蛍光灯の光がつんざくように入り込み、反射的に眉が曇る。


 ほんのわずかな間に瞳が閃光に慣れてくると、それがまるで病院特有のシミ模様の白い天井だということに気づいた。


 暇なときに数えられるアレだ。


 でも、それは俺の部屋や実家には無かったものだ。


 半身をぐっと起こす。


 ばっちり睡眠がとれたせいなのか、体がやけに軽く感じて、いつも通りの力を入れただけなのに、よけいな勢いがついて飛び上がるようになってしまった。


 バサリと俺の体からはだけ落ちる布地。


 ただの掛け布団。


 それも柄のない柄のない真っ白で、ホテルのベッド並に肌触りが堅い共用寝具だ。


 起き上がりこぼしのごとく俺が身をあげると、同時に周りもざわつき始めた。


 近隣のベッドで寝てる患者の見舞い客かと一瞬思ったのだが、どうも違うらしい。


 左手側にいるなかなか色っぽい顔立ちだが化粧が濃い女性。


 反対側には、これまた絵に描いたように可愛らしい中学生が二人も寝ていた自分に注目していたのだから。



遊月ゆづき!」


「遊月さん! 目が覚めたのですね!」



 俺の目覚めに相当安心したのか、中学生側の少女たちが花の咲いた笑顔で、しかもかなり親しげに話しかけてくる。


 俺は彼女達と初対面のはずだし、そもそも俺のではない聞き覚えのない名前で呼びかけてくる。



「遊月! ああ、無事でよかったわ! ママ、すごく心配したのよ!」



 声にまで涙ぐませながら、今度は大人の方が俺に飛びついてきた。


 なにやら凡人にはわかりにくい香りが配合された香水の臭いが気になるが、自分のことをママと呼んだマダムは俺を我が子のごとく抱きしめる。


 こんな誰かに頭や背中をなでられる感覚は久しくなかったが、まったく知らない他人にされるのも妙な気分だった。


 彼女達は勘違いしているのか? 


 それとも目的の患者と俺の顔が似ているのか?


 喜びの再会みたいなとても言いづらい。


 そんな感動の空気の中で、俺は声を出してみた。



「すんません、あの……どちらさんですか?」



 この申し訳なさそうに発せられたか細い声に、周りが一斉に凍り付いた。


 むろん、声を出した俺も驚愕のあまり固まった。


 声が明らかに自分のではなかった。


 俺の意志で、俺の頭の中で、ちゃんと脳の神経を伝って出したはずの言葉なのに、それを伝達させる声の音程が明らかに他人のであった。


 自分の声の高さぐらい覚えている。


 カゼを引いていてもそこまで声は変わらない。


 どのくらい違うのかとたとえるなら、男の低い声を出したつもりが、かなり若い女の子の声音になったぐらいに。


 さっきまで愛おしく抱きしめていたのに、その一声が囁かれた途端に、ママと名乗った女性は反発する磁石のように俺から離れる。


 離れた先に見えた表情は、あきらかに俺に対しての恐怖が浮かんでいた。


 それは畏怖というよりも、変わり果ててしまったことへの絶望だった。


 ふと自分の手をみる。


 見覚えのない他人の手。


 だが、しっかりと俺の意志で動いている。


 成長しきれていないが、すごく綺麗な手だ。


 なんというか、おしゃれを始めたての少女の素手。


 爪に至っては、このまま何か塗りそうなぐらい丁寧に手入れされている。


 そのまま両手で自分の顔に触ってみる。


 想像していたより小さな顔だ。


 あまり肉が付いていないが、張りのある頬の肌が指先に触れた。


 顎周りどころか顔の至るところに無駄な毛がない。


 それどころかなぞっても指先が変な油でズルズルになることすらなかった。


 綺麗だ、綺麗すぎる。


 爪どころか顔までしっかりケアが施されている。



「お、おい、誰か鏡持ってないか? 俺はこんなにしっとりスベスベでぴちぴちなお肌をしているのか?」



 慌てふためく俺にポニテの子も同調して焦る顔になるが、それとは裏腹に首尾よく自分のポーチから折りたたみの手鏡をよこす。


 ひったくってすぐに、俺は自分の顔が映る虚像とにらみ合った。


 コンパクトに埋め込まれた丸い鏡に映っていたのは、俺の覚えている自分の顔ではなかった。


 凛とした切れ長の目に映る輝緑石のような瞳。


 額からアンテナのように弧を描いたアホ毛とは別に、いわゆる姫カットというのか、背中まで延びているのに毛先がやけに几帳面に切りそろえられていた赤みがかった髪。


 第一印象はキッツイ性格の女。


 例えるなら、小中学生のときにやたらリーダー気取りで指図したがる、ある意味クラスに一人は絶対にいたタイプ。


 次は年齢だ。


 この顔主は、見目から察するにおそらく一四歳くらい。


 気は合いそうにないが、確かに綺麗というか可愛い部類の顔立ち。


 本当に俺の顔なのかと何度も疑ったが、瞬きのタイミングから口元を押さえる仕草まで自分の行動が鏡の中でしっかりと真似されているのだから、まもうごとなき俺の顔だった。


 顔立ちも中性的ならまだしも、明らかに一端の女を目指して調えられた少女の面だ。


 だが、じっと眺めているうちに、この少女の顔に妙な既視感を覚えた。


 確かに俺の顔ではないが、俺という第三者の目で彼女をどこかで見たことがある。


 だが何時、どこで、何をしていたときに、どのようにして見たことがあるのかまではまるで記憶から出てこない。


 その埋まった破片とも例えられる既視感は、脳の隅っこにかさぶたのようにできた突起を、鼻からつっこんだニ本の指でニキビみたく摘んで芯を出してやりたいくらいもどかしくさせる。


(――ん? 少女?)



 ここで俺は一瞬、股下から脳にかけて冷たい電撃が走った。



 性別が男の精神である俺とは真逆の肉体なら、一発で認識できる部位がどうなっているのか気になるところだ。


 改めて意識した途端に、股部から明らかに喪失しているという感覚が沸いた。


 布団をめくって下半身を見ると、プリーツが綺麗にそろった灰色のスカートが腰に巻かれていた。


 もう服装の時点でいやな予感しかない。


 もはや触感なんてまるであてにならない。


 もう視覚からの結果を見なければ信用できない俺は、人前はばからずスカートを緩めて、少し大人っぽい刺繍の薄桃色のショーツを延ばして自分の体を見る。


 結果はやはり――モザイクどころか勲章すら本当に何も無かった。


 こういう時、何を思って何を言えばいいのだろう。


 頭の中で様々な感情が入り乱れた俺は、海外トゥーンのキャラのように目を丸くしたまま、見なかったことにするべくシーツを下半身に被せ直した。


 念のため、もう一回剥ぐってダブルチェックしてみる。



「遊月さん、もしかして覚えてないんですか?」



 布団を剥ぐって、まじまじと自分の股間を観察しながら鼻血を垂らす俺に、二人組のうち亜麻色の髪色を赤いリボンでポニーテールにまとめた、おとなしめの子がおそるおそる俺に尋ねてくる。



「ゆ、遊月? それって俺のこと?」


「な、何も覚えてねぇのかよ。あたい達のことは?」



 すぐ隣で見舞っていた同じくらいの少女が、すでに本体をなめ尽くした空の飴棒を加えながら訪ねてくる。


 口調こそ女子に似合わずぶっきらぼうだが、明らかに心配している感は否めなかった。



「覚えてないというか、初対面じゃないか。お前達はいったい誰だ?」



 少々冷たい言い方だが直球に言った途端に、ポニテの子は顔を押さえて泣き出し、飴棒加えたままの子も、何かに悩むように額を押さえた。



「悪いが、この体は遊月という奴の体かもしれない。だが、俺の名前は――」



 自分の名前を堂々と口に出そうとしたとき、俺は急に言葉を止めた。


 何かを言い掛けた顔のまま、記憶の炭から炭まで探ったのだが、俺の名前が本当に出てこなかった。


 徐々に、表情が焦燥へと代わり、再び顔中からいやな汗が噴き出す。


 まずい、覚えていない。


 本当に思い出せない。


 記憶情報は引き出しのようだと例えられたが、棚の中で過去何十年もの脳内記録がぎっしりと詰まっていたはずなのに、まるでぽっかりとその部分だけ抜かれたように情報が見つからない。


 暗記物のテストで、単語が全く出てこなくなった状態をさらに悪化させたような感じだった。


 1989年、聖飢魔Ⅱが白い奇跡で初のメタル系バンドとして紅白歌合戦に出場!


 有吉弘○の誕生日は5月31日!


 俺は頭の中に刻み込まれている、合コンの時ぐらいにしか微妙に役立ちそうにないほど無駄に凝った情報をありったけ思い出してみた。


 これは間違いない。


「俺」の記憶容量の中で、しっかりと覚えている情報だ。


 なのにどうして、その「俺」自身の名前が思い出せないんだ。


 いや、そもそも俺はどうして、何があってこの「遊月」と呼ばれた少女の体になっているのだろう? 


 こんな状態になる直前の経緯まで記憶にないだなんて……。



「俺の名前は――俺は、本当に誰だ? それよりもここはどこなんだ!?」



 記憶が喪失した際に言う奴のおきまりせりふを、まかさ本気で口にするなんて思わなかった。


 この悪い冗談ともとらえられる一言に、本気で信じた「遊月のママ」は、厚塗りの化粧顔でもわかるくらい青ざめたと思ったら、そのままばったりと卒倒してしまった。


 頭から落ちていった人間一人と、所持していた鞄の中身が同時に床へ散らばる残状に、見舞いにきていた「遊月の友達」どころか、あたりで待機していた看護士がこぞって駆け寄りだし、俺の周りがいっそう騒がしくなった。


 急患がもう一人増えてしまったが、それどころじゃない俺は、ひたすら思い出そうと苦悶の形相で頭を抱え続けていた。

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