透夏
無為憂
高校生になってから、青春という病に冒されるようになった。友情とか、17という数字に縛られる、そういうことじゃなくて、なにか無くしたものを求めるような、いつかはあったはずなのに消えてしまったものに悩まされている。ある時期の記憶がない、とかそれに近い感覚で、今まで気づいてなくて上手く生きられたのに、気づいてからもの凄く生きづらい、みたいな。ここではないどこかにとても憧れ、近くにある何かをずっと探している。
僕は、それを青春に冒されていると呼んでいる。
僕が求めるそれは、どこか綺麗なものじゃなくて、人に見せるときは、人はそれを嫌うから、わかりやすいようにただ単純に美化してあげるしかない。美化された物語は、〈滅菌された物語〉になり果て、その時点で僕の求めているものとは違ってしまう。〈滅菌を終えた物語〉をなぜか周りの人間は喜ぶ。
〈滅菌されない世界〉に僕は、青春の祈りを捧げる。
あと少しで繋がりそうな気がする。僕は高校の帰り道の土手に落ち着いて、芝生の斜面に寝転がった。繋がりそうな、その何かをもがいた。
僕には、知らない誰かの〈物語の断片〉が流れてくる症状があった。それは滅菌されてなんかなくて、限りなく理想に近かった。病によって引き起こされる、この症状は脳が見せる甘い夢なだけかもしれない。
薄情な夏だ、汗が首筋に伝う感覚が鋭くて、集中力をそいでくる。
野球部の集団が疲労を帯びた掛け声と共に、土手の上を走り去る。一瞬、僕の高校の野球部かと思ったが、違った。一人で何してんの、とか言われたら青春どうこうじゃない。
僕の学校の帰り道のこの土手には、色んな人が来る。どこかの野球部、仕事を終えたOL、散歩帰りの老夫婦、等々。それが、その日常の一コマが、ありがちな青春臭さを出すから困る。
辺りに静けさが訪れると、やっとの思いで僕は落ち着く。薄情な夏だなと思う。こいつのせいでじっとしている僕の体温はちょっとずつ熱せられて上がっていく。目を閉じて、ぼーうっとしていると、待ちわびたようにすっと昨日の続きが入ってくる。
*
「お、やっと来た」
縁側で麦茶を飲みながら、寝そべっていた幼なじみが僕に気づく。耳に掛かった髪をかき上げて。ショートボブにつけた、プラスチック製のクローバーの髪飾りは僕があげたものだった。
「なに、待ってくれたの?」と僕は意地の悪いことを言う。
「そんなことないし」
彼女は照れくさそうに否定した。来たよー、と家の中にいる彼女のおばあちゃんに僕が来たことを伝える。
「だってもう、九時だよ? 昨日八時には来るって言ってたじゃん」
風鈴がチリンと鳴る。
小学校が七月で終り、本格的に夏休みになると、僕は幼なじみの家に入り浸るようになる。ステレオテレビを見ながら、幼なじみのおばあちゃんがくれるおやつを二人でつまんで笑い合う。彼女は僕のおやつをたまに奪ったり、テレビのチャンネル権をくれなかったりする。 幼なじみは落ち着きがなく、ちょっと大きい笑い声が愛らしい。僕は田舎の幼なじみの家で夏休みの時間の半分は過ごしている。そして、幼なじみの家でやり切れなかったモヤモヤを抱えながら、残りの一年を過ごす。
彼女の家(おばあちゃん)の家は、おじいちゃんが、既に亡くなっていて、両親は共働きとかで、彼女の親をまともに見たことが無い。家には現代感のあるものがなく、あるのはジェンガと将棋盤。冷房も最新じゃないので、ほこり臭い空気をよく吸う。僕達は、夏の間縁側へ出て、風鈴の音を聞きながら、宿題をこなしたりする。
小学校四年、十歳の年、僕と彼女は、初めて二人だけで夏祭りに行った。
「あのさ、隼人」
「ん?」
彼女は、解いていた算数ドリルをやめて、僕を見た。
「今日の夜の夏祭り楽しみだね」
「そうだね」と僕は言う。
「ジェンガやろうよ」
部屋の中央にあるローテーブルにはジェンガが一片残っていた。片付け忘れたのか。
「ナツ、宿題は?」
ナツというのは愛称らしい。名前は分からない。
「隼人がくるまで頑張ったからいいの!」
僕は彼女の頭を撫でてやる。んふっと照れたように笑うも、やめて! と言って頬を膨らます。
「じゃあ、やろっか」
僕達は、それからジェンガを数回やり、飽きたところでテレビを鑑賞した。テレビに没頭する彼女を僕は盗み見る。はっは、と芸人のボケにいちいち反応して笑う彼女は、可愛かった。ふと、視線を感じる。襖の隙間から顔を出すおばあちゃんがにこりと微笑み、さてお夕飯を作らなくちゃ、とか言って消える。
「あ、そろそろ時間だよ隼人」
アナログ時計の針が、五時過ぎを示した。
「そろそろ用意しよっか」
「うん」
おばあちゃんがするすると子供用の浴衣を持って戻ってくる。彼女は、おばあちゃんに着付けをして貰う。その間、僕は視線をそっちにやらないようテレビを注視した。
「浴衣、着るんだ」
「着ないの? 寂しいなあ」
「もってないから」
「そうなんだ。残念」
「ナツの浴衣姿で十分だよ。買ったの?」
「うん、せっかく二人だけで行けるしね。おばあちゃんもいいよって」
「そうなんだ」
「隼人に私をいっぱい見て欲しいからね」
「なっ!」
「ほら、ナツ。よそ見しない!」
おばあちゃんに注意された彼女は、不機嫌そうに視線を戻す。
「できた」
二、三十分で着付けされた彼女の姿を見たとき、僕は言葉を失いかけた。
「あとは、これでよし」
彼女は、テーブルに置いていた髪飾りをかけると、そう言って、僕のことを見つめた。はよ感想言え、と言っておる。こいつ、やりよる。ただ者じゃないな。
「かわいいよ」
僕はそれだけ言うと、かぶりを振ってテレビを見た。
「それだけ?」
次に続く2回攻撃は「ナツ! そんな体勢になったら崩れるん! やめなさい」とおばあちゃんの支援で回避する。
はいはーい、と気のない返事を返すと、僕のことをがばっと見て、
「ほら! はやく行こ!」
屈託無い笑顔に、僕はまた惹かれた。
ガララ! と勢いよく開けた彼女は、たんたんと下駄の小気味よい音を弾ませる。
「ちょっと隼人、待ちな」
家を出ようとした僕は、危うく奥からのおばあちゃんの声を聞き逃しそうになる。
「なに?」
「これ、持ってきな。ナツとあんたのぶん」
「え」いいのに、と続けて言おうと思ったが、流石子供、声が出ない。渡されたお金は二千円。小学生には少々多い小遣いに僕は心が揺れ、おばあちゃんの手からすぐさまそれを抜き取る。
「ナツをちゃんと見たってな」
「うん!」
彼女は少し、怒っていた。遅い! と言う割に、彼女の声に棘は無く、優しかった。僕は謝って、「行こう」と歩き出した。カンカンと間隔の短い音が僕に着いてくる。
「ねえ、疲れたあ」
「まだちょっとしか歩いてないのに」
蝉が鳴いている。夏祭りは、山のほうの神社で開かれる。急では無いが、勾配のある坂道は彼女にとってきつかったようだ。正直、僕もきつい。鳴り止まない蝉の声に段々イライラしてくる。
二人で励まし合って、なんとか目的地に着く。息は切れ、背中に汗の張り付いた嫌な感覚が僕を襲う。
「うわあ」
先に歓声をあげたのは、彼女だった。彼女と見るものは全て新鮮だった。大人の背中に隠れて、僕達は回り始めた。
「これ、やってみない?」
一カ所に集められた金魚たちが、泳ぎ回っている。
「いいよ」と僕は応じる。金魚すくいなんて、今まで一回もしたことが無かった。
客引きのための快活で人懐っこい笑顔で店主が応対してくれる。
「とれないなあ」と彼女は何回も挑戦する。これで最後だよ、うんわかってる、とさっきから何回もこのやりとりを続けている。これで最後最後、とやる気をみせるように彼女は髪をかきあげ、袖を捲った。クローバーの髪飾りが、店の照明で反射する。よしっ、と一点に集中して見詰める。水にゆっくりと沈ませる。狙いの定まっていないポイは、通りかかった獲物を反射的に確保しようとする。瞬発的な移動に耐えきらなかった膜が、すぐに破れる。
「あーもー!」
「これで終わり」
僕は彼女の手を引いて、人の流れに乗った。
もうお金が無い。
「ごはん何食べるー?」
彼女が呑気なことを訊いてくる。喉が渇いたとラムネで二百円、金魚すくい一回三百円を五回。もう本当にお金が無い。
「チョコバナナでいい?」
「はっ?」
僕は右手に全財産を載せて見せた。
「オーマイガッ」
独特な抑揚をつけて彼女は驚く。チョコバナナしかないね、と彼女は付け足す。
七時になり、満たされない空腹とともに僕達は、彼女のおすすめだという花火スポットへ移った。
「よくここを見つけたね」
眼下で屋台の灯りが見える。僕達は、屋台の通りからさらに山を上って平野部の川から打ち出されるという花火を特等席で見に来た。
「前にね。おじいちゃんとおばあちゃんに連れてこられて」
「そうなんだ」
直に花火が、打ち上がる。「おお~」と彼女が感嘆の声を漏らし、僕も頷いた。
「もう終るね、夏祭り」
ドンドンドン! と花火が打ち上がる中、彼女は寂しそうな声音で言った。
「私がちゃんと立派になったら、また来ようね。隼人」
「ああ」
僕は、花火に魅せられていて、その時彼女が詳しくは何を言ったのか覚えていない。
その後は行きの倍疲れて帰った。
*
そこで、症状は止まった。小学生の頃を見たのは今日が初めてだった。最近は時系列がバラバラになってきている。遠くで陽が落ちて、目の前の川面に日が差し込んでいる。
幼なじみと僕はそれから、一緒の中学、高校を卒業する。互いに離ればなれになり、パートナーを見つけた頃、また再会する。
「あの頃は、なんでずっと一緒だったんだろうね」
そんな一言を僕はカフェかなんかで聞き、
「だよね」と愛想笑いで返す。
なあ、覚えてる? 約束したじゃん。とは、言わずに。言えずに。
今日は随分と長かった。少しずつ、終わりに近づいている気がする。この物語が終れば、僕はどうなってしまうのだろうか。
ぴこん、とスマホが鳴った。母から今日も帰りが遅い、というメッセージが入っていた。対岸の街に電気が付く。もう少し時間を潰そう。行きの詰まるようなあの家には出来るだけいたくない。空気が冷え込んできて、僕は学ランを着る。
きゅーう、と早送りがされて、テープが絡まる音を聞く。巻き取り速度は、クシャッ、クシャッという音とともにだんだんと遅くなる。
その日は、結局症状が現れなかった。何も見えないまま、部活帰りの高校生達が、僕の上を通っていく。
寂しい夏だった。
一日経って昼、四限が終る直前、それはやってきた。
ぴっ、と限界が来て、不快な音を立てながら巻き戻しが始まる。僕は、放課になるといつもの場所で寝転がった。
最近の暑さはどこヘやら、割と過ごしやすい気温だった。僕は昼寝するみたいに、症状に襲われた。
*
勉強机の上に置かれた、クローバーの髪飾りは、劣化か何かで傷が入り、割れていた。それ以外まっさらな机を僕は見詰めたまま、立ち尽くしていた。
ここが二階であることは、下から聞こえる物音で分かった。高校の制服が壁に掛けられている。その横のカレンダーは、僕達が高校三年生であるはずの年が書かれていた。部屋の中を歩き回っていると、タッタと床を歩く音が聞こえる。
まず、ここがどこなのか僕は分からなかった。確かに、この部屋の主は断定できるけど、彼女の家は、和風家屋だったはずだ。二階があったということも僕の記憶には無い。
恐る恐る部屋を出て、階段を下った。物音を立てないように。階段を下りるにつれて、カチャカチャと食器が立てた音だと言うことがわかった。すっ、とその音が止む。
「隼人くん、もう帰るの?」
「えっ、え」
「ナツも帰ってきてるはずなんだけどね~」
もう正体がばれているならと思い、僕はその声の主に顔を出した。
僕は、幼なじみが成長した姿をある程度知っている。その成長した彼女の顔にそっくりだった。彼女の母親と分かったのは、ほんとにすぐだった。
「ナツが帰ってきたら、言っておくわね」
「あ、ありがとうございます……?」
状況が状況、しかもその状況すら把握できていないので、僕は不自然にならないよう返事する。
「またね」
僕は、リビングの脇に仏壇があるのを確認した。見慣れた顔がその写真に収まっていた。おばあちゃんだ。
またね、と母親がちょうど言った瞬間だった。ドアの開く音がして、彼女が入ってきた。
彼女は僕の顔を見るに、不機嫌を露わにした。僕は、驚いて声が出なかった。その他人を見るような瞳をされて、声すらでなかった。
「ナツ、お帰り」
「ただいま」
「ほら、帰ってきたらおばあちゃんに言いなさい」
「うん」
彼女は仏壇の前に正座し、鈴棒でチーンという耳なじみのある音を出した。そして手を合わせ、拝んだ。その所作一つ一つが、なにか僕には、引っかかった。仮にもおばあちゃんの仏壇なのに、物というか他人というかそういう風に扱っていた。
「じゃあ、私部屋にいるから」
「あとで、お菓子をもっていくわね」
彼女はスタスタと自室へ戻っていった。母親に「何があったんですか」とは聞けなかった。その光景は、いかにも当然のように、自然な扱いを受けていた。
僕も彼女に続いて、部屋へ入った。
「どうしたの」
僕は早速そう訊ねた。
「誰?」
「え?」
「誰?」
「僕のこと、覚えてないの?」
「何その白々しい嘘。昨日も、覚えてないって言ったわ。あなたは、私の幼なじみなんかじゃない」
「本当に、言ってるの?」
「いい加減にして」
「ならなんで、この髪飾りを持っているの!」
「あなたは私の幼なじみじゃない。それだけ」
彼女はそう突き放すと、僕を置いて部屋を出た。
僕の思い違いなのか? 違う。確かに僕は、彼女の高校生の時を知っている。彼女のパートナーを知っている。彼女の未来を、過去を、知っている。何故だ?
そもそも、おばあちゃんは亡くなっていたか?
ガーガーという壊れかけのラジオのような不協和音が頭の中で鳴る。頭がズキズキ痛む。
「いつ帰るの?」
彼女がいつの間にか部屋に戻っていた。先ほどと変わらない冷淡な口調。
「君はさ、子供の頃をちゃんと覚えてるの?」
彼女の顔がはっとする。目を逸らす。唇を噛む。ほんの一瞬で彼女がした反応だ。
「覚えてないんだね」
「……」
彼女は、僕に背を向け、壊れた髪飾りを縋るように見ている。
ねえ、と僕が口を開こうとした刹那、またズキズキと頭が痛み出した。脳みそをかき混ぜられるようなそんな痛みだ。
シャカシャカ、とテープの絡まりが解ける音と巻き戻しが、また始まる。
彼女は口を閉ざしたままだ。
*
機械がウィーンと処理速度を上げ、熱を帯びているようだった。
徹夜明けのように頭が重かった。
「どうしたの?」
聞き慣れた抑揚の付け方、息づかい、それは偽物ではないとすぐにわかった。
「なんでもないよ。ただ変な夢を見ただけ」
縁側で寝ていた僕は、そう言って起き上がる。
「そっか」
彼女はそう言っただけだった。目を瞑る前に読んでいたらしい本が、僕が起き上がることで、パタと床に打ち付けられた。
「変な夢だったよ」と僕は彼女に微笑む。
「明日の夏祭りさ、久しぶりに二人で行かない?」
彼女は、僕の隣で縁側に腰掛けて本を読んでいた。
「ここ数年はさ、お互い忙しかったじゃん? 部活だとか色々と」
「確かに」
僕は、今まで見た〈断片〉を思い出してそれらしく言った。
「でも今更、夏祭りっていうのもなー」
「たしかに。別に行ったって、楽しめる年齢じゃないよね。私たち」
「そうそう」
「高三の夏って、時間進むの早いよね」
彼女の一言をきっかけに、僕は家のカレンダーを盗み見た。確かに、その年は僕達が高校三年生であるはずの年だった。
僕は適当に返事をした。
「青春も出来ないしさ……」
「うん」
「何か失ってるよ、私たち」
「青春を?」
「うん」
青春だけじゃないけどね、と彼女は言う。
「二人とも、」
おばあちゃんがスイカを切り分けて持ってきた。
おばあちゃんは、生きていた。ここで僕は、やっとこのルートが、正解だと理解した。
*
症状は、どんどんおかしくなっていった。僕の予想を超えた、何かが起こっている。僕が目覚めると、意外に時間は経っていなかった。太陽は地平線と平行になりかけているが、完全に沈むのは、まだ先だ。
野球部のかけ声も、散歩好きな老夫婦の姿も見かけない。
物語は確実に、終わり始めていた。
この物語は、だんだんと不透明になっていく。
僕の知らない世界が拡がり始めていた。
理想から、少しずつ離れていく。
理想に浸りづらくなっている。
一度、壊れたかのように分岐したルートのせいで。
僕を忘れた彼女の存在は、美化なんて出来ない。
その彼女の存在が、僕が欲した〈滅菌されない世界〉の人間だった。
青春に冒され、それはどんどん加速していく。
ある意味、退行している(戻っている)と言っても良かった。
病に罹る前の状態に、忘れていることさえ知らなかったあの頃のように。
理想に浸れるその世界を忘れ始めている。
せめて、この物語が最後を迎えるまでは、浸っていよう。そう思った。
ダイヤルを今の僕に合わせる。
カチッと全てが当てはまる気持ちよさを覚えた。
*
僕は、自分の家にいた。自分の両親の家にいた。
「隼人、最近学校はどうだ?」
夕食の時、父さんがそんなことを訊いてきた。
「まあ、ぼちぼちだよ」
僕は半笑いで返す。
「最近、学校行くのやけに早いって母さんが言ってたからな。訊いてみたんだ」
「そう? そんなに早い?」
「今までは私が起しても、寝覚め悪かったのに朝はちゃんと自分で起きてるし、深夜まで友達と電話をすることもなくなったし。何かあったと思わないほうがおかしいわよ」
「別に、とくになにもないよ」
ごちそうさま、と僕はその場に居づらくて抜け出した。
自室に戻ると、スマホを取り出し、画像フォルダを開いた。お気に入り欄の一番上に、先週の体育祭の、二人で撮った写真があった。学校指定のジャージに身を包んだ僕と彼女は、カメラ目線でガッツポーズをしていた。二人の胸元の名前の刺繍は「夏帆」と「隼人」とあしらわれている。
僕は動画、写真と撮りためた物を昨日のように思い出しながら、スクロールして一番最初の写真まで遡った。
翌日、学校へ行くと、教室にいる隣の席の彼女と一番に目が合った。
「ねえ、隼人くん。昨日送って貰ったこの動画、よく撮れてるよ」
昨日遡っているときに気づいた、彼女に送っていなかった動画をLINEで送っておいた。それは、ちょとした口実だった。
「良かったよ、ま、友達に頼んだんだけどね」
照れ隠しで笑うと、
「それが正解だっ」と彼女も笑い返してくれる。
僕が撮った動画は、大体がブレていた。
「あのさ」
すぐに既読がつく。
「ん?」
隣に座っているのに、僕達はスマホの画面を注視した。
僕は意を決し、今まで彼女に一度も伝えていなかった僕の気持ちを送信した。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
*
すっ、と陽が沈んだころに目覚めた。なにしてたんだろう、と思いながら僕は、宵闇に染まった土手を上った。
あくびを噛み殺して通学鞄を肩から背負い、そして一人の女性とすれ違う。
僕の求めていた何かが、透明になって消えた。
透夏 無為憂 @Pman
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