1-6 ランナーズダイ:症例1 長谷エラッタ
駐車場へ向かう道すがら、塀人は覚えのある人影を認め、立ち止まった。
「こんにちは。お見舞いですか」
「ああ」
柳田は視線を合わせようとせず、小さな花束を背中に隠した。
「どなたかお知合いがこちらの病院に?」
「そうだよ、偶然だな」
「そうですか。ここは通路です。あちらで話しましょう」
周囲には紳士的と捉えられるだろう態度で、塀人は待合のベンチを指し示した。柳田はとくに反発もせず、黙って塀人と並んで座る。
「……なんだよ」
「尾行がお上手ですね」塀人は静かに切り出した。
「地雷人の入院先を知るものは限られます。被害者の報復行為を避けるためです。あなたは私の後をつけて、長谷さんの入院先を知った」
「今更気づいたのかよ」
「いいえ。ずっと気づいていました。仮にあなたが、長谷さんに暴力を振るおうとしても、私がいれば防げるでしょうから」
「はっ、随分と腕っ節に自信があるんだな」
「責任感がある、と言って下さい」
塀人は、自分を睨みつける柳田に向き直った。
「ところで長谷さんから、あなたに、伝言を頼まれました」
その一言で、柳田の表情に戸惑いが浮かぶ。
「……俺に?」
「ええ。本当は手紙を書きたかったそうですが、彼女は現在、それができません」
「拘束されてるんだろ。指一本動かせないのは知ってるよ」
「ですから私が伝言を預かりました。もちろん、あなたの尾行のことは彼女に黙っていますから安心してください。私も捜索の手間が省けました。ありがとうございます」
「伝言を」
押し殺した柳田の声は、それでも十分に大きく響いた。辺りにセキュリティが入れば問題になるところだ。
「いいから、伝言を、伝えろ」
塀人は周囲を確認し、言った。
「『ごめんね。私も大会、出られなくなった』―――以上です」
柳田は低く呻くと両手で顔を覆った。
「……謝ることなんてないんだ、最初から走らなくてよかったんだ。俺のことなんか考えなくていいんだ。あいつは、エラッタは、俺の真似なんか、しなくてよかったんだ」
塀人は立ち上がり、その場を後にした。
一度だけ振り返ると、傍らに小さな花束を置いたまま、柳田は肩を震わせ続けていた。
「柳田通達は長谷エラッタの幼馴染でした」
読み込んだ資料を整理しながら塀人は述べる。
「短距離を先に始めたのは柳田だったようです。そこそこの選手だったようですね」
「でも、長谷さんのせいで怪我したんだ」
檻の向こうで絶が呟く。
「ええ。そして長谷さんは代わりに陸上部へ入部しました」
「柳田くんの代わりに?」
「おそらくは」塀人はあいまいに肯首した。
「この辺りの心境がよくわかりません。贖罪のつもりなんでしょうか」
「きっとそうだよ」
「あるいは失意の柳田に止めを刺すため、見せつけるために大会を目指したとか」
「そこまで嫌ってる相手に伝言頼むかな?」
「当人同士だけが理解できる呪いのメッセージかもしれません」
「それ聞いて泣くかな?」
「冗談ですよ」
塀人はにこりともせずに言った。絶は苦笑しながら、遠くを見るような目つきになる。
「でもいいなあ、そんな風に思える相手がいるなんて。きっとたくさん話して、ううん、話さなくても、お互いのことを大切に思えるんだろうね」
絶が膝を抱え、檻と彼女を結ぶ鎖が軽い音を立てる。
「わたし、もう何年も塀人としか話してないよ。ねえ、どう思ってるの、私のこと」
「甘えないでください」
塀人は鋭い語調で姉の繰り言を遮った。
「あなたには何もわからない、私も、長谷さんも柳田のことも何も分からない。私は何の期待もせずにあなたに話している。あなたから質問をしないでください」
一気呵成に言い終えれば、たちまち絶の目から涙がこぼれ落ちる。
「……そんな言い方、ないじゃん。わたし、何もできないのに」
「だから何もしないでくださいと言っているんです。何回言わせるんですか」
「どうしてそんなひどいこと、いうの」
「いつまでも学習しないからですよ。いい加減、慣れてください」
そういって塀人は口をつぐむ。
暫くの間、絶のすすり泣く声だけが流れていた。
塀人は徐に立ち上がり、台所へ向かった。
古めかしい食器棚から大皿を一枚取り出す。
再び、自室に戻る。まだ泣いている絶を入れた檻に近づく。
そして、鉄格子へ思い切り皿を叩きつけた。
金属音が炸裂し、粉々になった破片が檻の中へ飛び散る。
かすれた悲鳴を上げて檻の隅にへばりついた絶を、塀人がゆっくりと覗き込む。
「少し出かけてきます。鍵は開けておくので、破片は片づけてください」
「……へいと」絶は細かく痙攣していた。
「あなたいま、ばくはつ、したの?」
「まさか。先ほどの会話から思いついたことがありました。これから確かめてきます」
「……じゃあ、何で、こんなこと、したの」
いまだショック状態の姉に向かって、塀人は微笑んで見せた。
「あなたからヒントをもらったことが、許せなかったんですよ」
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