1-5 ランナーズダイ:症例1 長谷エラッタ

病院の廊下を行き来する患者たちは皆、車椅子に乗ってゆるゆると動いていた。

 病院内での突発的な暴力を防ぐために、入院した者は徹底的に拘束を制限される。

車椅子型の拘束具は、移動手段として頻繁に利用される。利用者は首と指しか動かせない。指先のボタンで進行方向を定め、腕代わりのロボットアームを操作する。

塀人は車椅子のモーター音を聞きながら、失われていくエラッタの筋肉のことを思った。

うんざりするような型通りの事情聴取は二日に及んだ。

カウンセラー立ち合いの元で起きた惨状に、警察の態度は冷淡だった。それでも塀人は資格を剥奪されなかった。状況の収拾を捨て身で図ったことを酌量されたのだ。

受付で見舞に訪れた旨を告げると、チェックシートを渡される。

「大きな音」「複数人の話声」「薬品の匂い」「看護師の服装」「医者の態度」「明暗」

暴力のキッカケとなりうる事項について、問題がないことを記入していく。暫く来ないうちに項目数が増えていた。また予想外の原因で暴力が振るわれたのだろう。

アンケートの回答数が多すぎることに暴走する地雷人は現れないのだろうか。

すべての確認を終え、塀人はエラッタの個室に向かう。



「ありがとうございます」

 エラッタの第一声に、塀人は無意識に背筋を伸ばす。予想外の事態に直面した際の癖だ。

 事件を起こした直後だからだろう。エラッタには個室があてがわれていた。

折れた右脚を厳重に固定されたうえ、寝台にベルトで括りつけられている。そんな状態にも関わらず、棘のない声でエラッタは続ける。

「止めてくれたのは高橋さんだとお聞きしました」

「緊急措置でした。このような事態になり、申し訳ございません」

「いいんです。高橋さんを誰も責めません」

「ええ。そして、あなたも責められない」

 エラッタが小さくかぶりを振る。

「認定が下りたんですか」

「ええ。所要で警察に行きましてね。担当官から伺いました。現場の状況と目撃証言から、本件は地雷の暴発による事故として処理されます。あなたは罪には問われません」

「どうしてですか。みんなを襲ったのは私なのに」

「国の規定です。地雷の暴発を犯罪とすれば、国民の7割は刑務所に入りますから」

 塀人は平板な声で告げた。

 エラッタはじっと天井を見上げた。

「目覚めたら病室でした。お医者さんやお巡りさんが来て、自分が爆発したんだってわかりました。みなさん優しく対応してくれるし、怪我の回復も早いだろうとおっしゃってくれました。でも」

 固定されたエラッタの手が、シーツを握りしめる。

「何も、覚えていないし、誰も、教えてくれないんです」

 塀人は沈黙するしかない。エラッタを、地雷人を、苛む恐怖や後悔を知らない以上、言葉をさしはさむことができない。

暴力を振るわれたのは教師の番傘を含む6名。負傷は主に打撲と骨折、幸いにも死亡者はいなかった。地雷人の暴発としては幸運なケースといえる。

だが、それをエラッタに告げて、彼女の救いとなるだろうか。

一生抱える苦難に対して、今回がたまたま幸運だったと手放しで喜べるだろうか。

塀人は、ただ、黙って病室に存在していた。

 しばらくしてエラッタは、ほう、と音を立てて息を吐き、言った。

「すみません。高橋さん。伝言を頼めませんか」

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