1-2 ランナーズダイ:症例1 長谷エラッタ
「どう思いますか、姉さん」
夕食を食べながら塀人は問いかける。温めなおしたシチューは悪くない味だ。
「どう、って何が?」
絶が小首をかしげる。
「地雷人が体を鍛える理由について」
「そうね、いざ!って時のためじゃないかな」
「わかりやすくお願いします」
「いちど暴力が発動すると、その間記憶がなくても、終わったあとすごくしんどいの。だから、いざそうなる前に、体を鍛えてるんじゃないかな」
「なるほど、当事者ならではの意見ですね」
思った以上に腑に落ちる回答だった。
絶が嬉しそうに笑う。塀人の得心を察したのだろう。
「姉さんもトレーニングしますか。運動不足でしょう」
「わたしはいいよ。これ以上、塀人に面倒かけたくないもん」
「面倒だなんて、そんな」
「何か起こさないほうがいいの、私は」
それ以上、否定も肯首もせず、塀人は再び夕食にとりかかった。
絶も微笑みながら、床に置かれた自分の皿へ手を伸ばす。
細い足首を繋ぐ鎖が微かに鳴る。鉄格子の向こう側から湯気が上がっている。
塀人の姉、高橋絶は地雷人だ。
絶は、大型犬用の檻の中で暮らしている。
塀人が買ってきた檻は床板が地面にボルトで固定されている。畳一畳程の広さで立ち上がることのできない高さの空間内で絶は一日のほとんどを過ごす。
塀人が家にいる際は檻の扉を開けるので、扉と足首を繋ぐ鎖の長さだけ、タエの行動範囲は広がる。入浴やトイレも許される。
塀人が姉を監禁していることは、ごく少数の人間しか知らない。
「それより私は、塀人を訪ねてきた理由が気になる」
床に置いた皿をかちゃかちゃと鳴らしながら、絶が言った。
「どういうことでしょうか」
「なんとなく匂いがきっかけだってわかっていて、対処もできているんでしょう。
今さら原因究明に必死にならなくてもよさそうだけど」
「その点に関しては私も質問しました」
「実際、どのくらいなの。きっかけが分かってる人の比率は」
「この国だけで言えば、人口の6割以上は地雷人です」
職業柄か塀人の口は滑らかに回る。
「原因を完全に特定できた、と公に認められている地雷人はその一割程度ですね」
「自分のことわかっている人のほうが少ないのね」
「そうなりますね。残りの4割は地雷人かどうかすら分かっていないわけですから」
「塀人はどう思う?残りの四割については」
しばしの沈黙の後、塀人は答えた。
「おそらく、全員が、地雷人だと考えています」
「塀人も?」
「ええ。まだ分かっていないだけです。きっと」
世界中の人間が、おそらく潜在的に地雷を抱えている。
塀人だけでなく世論が、そのように考え始めていた。
全員が平等にリスクを抱えているのであれば、対処法を知っている人間ほど稀少価値がある。現代に求められる人間は、自分を爆発させるスイッチを知っていて、爆発の被害が軽微であり、ある程度行動を制御できる者だった。
裏を返せば、一度も地雷を炸裂させたことのない塀人のような人間ほど、潜在的に危険とみなされ、社会からは敬遠される。
檻の中の姉と二人で暮らすためには、塀人はこの仕事を選ぶしかなかった。
地雷人相手のカウンセリング業務。
離職原因と死因がほぼ同じと言われる職場。
「ねえ、塀人」
絶が泣きそうな顔でこちらを見ている。
「お願いだから危ないことしないでね」
「確約はできません」
「塀人にもしものことがあったら、私、どうしていいかわかんない」
「何度も聞きました」塀人は席を立つ。
「この仕事を選んだのは無能な姉さんを養うためです。そのことをお忘れなく」
目にみるみる溜まった涙を見せないように絶が顔を伏せる。
「ひどい、そんな、わ、わたしは塀人が心配なだけで」
檻の向こうで泣きじゃくる姉に向かい、塀人は冷ややかに言い放った。
「明日は夕方まで不在にします。今晩中にトイレに行くように」
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