1-1 ランナーズダイ:症例1 長谷エラッタ
「まず改めて、地雷人について、説明させてください」
高橋塀人はホワイトボードにペンを走らせる。
何度も行った講義だ。自分が嫌悪している存在を表す字を筆記する技術が向上していることに一抹の嫌悪を覚えながら、たった一人の広聴者のほうを振り返る。
「正確な病名は突発性ストレス期限劇症型暴力発作症候群といいます。長い上にセンスのない名前なので覚える必要はありません。以降、地雷人として説明します」
塀人の事務所兼邸宅は広い。
土地が余っている山奥だからこそ確保できるスペースだ。
二台の大きなファンが天井で回り、ぬるい空気をかき回している。
「地雷人は特定のストレスを受けると、超人的な暴力を返します。暴力の発動に本人の意思は関係なく、記憶も残りません。被害者にしてみればまるで爆発に巻き込まれたようなものです。ここから、地雷人と呼ばれるようになりました」
塀人は平板に、わかりやすく話し続ける。
相手が何かしら違和感を覚えないように。
「さて、地雷人には二つの大きな問題があります。
まず、暴力の原因と結果が一人ひとり異なることです。
人に指を刺されると、その指を折る。目の前でポイ捨てした相手の、喉奥にそのゴミを腕ごと突っ込む。本を粗末にした人間を、分解し部位を五十音順に本棚へ分類する。考えうる限り、無限の原因と結果があるわけです」
そう、だからこそ、話し方にも気を配る必要がある。
「もう一つの問題点は、地雷人本人にも、何が暴力の原因となるか分からないことです。
いちど発動するまでは、あえて発動という言葉を使用させてください、暴力が発動するまでは、自分が地雷人であるかどうかさえ判定ができません」
「私は少なくとも、自分が地雷人であることは知っています」
依頼人が初めて言葉を発した。
塀人は頷くにとどめる。
反論してはいけない。暴力の引き金になるかもしれない。
「子供のころの予防実験で、ある程度まで原因も絞れました。幸運なほうですね」
依頼人は口元に手をやった。笑っているらしい。
表情はまったく読み取れない。
依頼人は冗談のように武骨なガスマスクを被っているからだ。
「原因が匂い、というところまでは、特定できたのですね」
「おそらく間違いありません。六歳のときに母に大怪我をさせました。様々な医療機関を回らされて、以来、外ではずっとガスマスクをつけています」
「差支えなければ教えてください。ご自宅ではどうされていますか」
「消臭剤とメンソールのスプレーを併用しています。ハッカの匂いは大丈夫なんです」
依頼人―――長谷エラッタは明るい声で答えた。
事前調査票によると現在、高校二年生。放課後に制服のまま、直接訪ねてきた。
「あなたのご依頼を、もう一度確認しましょう」
塀人はおもむろに切り出した。
「暴力のきっかけになるストレス要因を、特定してほしい、とのことでしたね」
「はい」ガスマスクが頷く。
「現時点で十分、予防はできているようですが」
「それでも知りたいんです。来年は受験だし、時間がとれるのはこの時期だけです」
塀人はしばらく虚空を見つめ、あえて間を作った。
本人が匂いが原因と言っている以上、会話に気を遣う必要はそこまで無い。
それでも警戒しないと稀に意表を突かれる。そうなれば助からないことを塀人は知っている。塀人はエラッタを振り返り、頷いた。
「わかりました。明日から調査しましょう」
塀人は、思いつく限りの香料を収集するよう手配した。
既にエラッタ自身で何度か試したことだろうが、それでも確認する必要がある。明日の午前中にはサンプルが届くとのことだった。電話を切り、調査票に目を落とす。
長谷エラッタ。十七歳。高校生。あの「青い夜」のときは五歳。
それから一年後、母親を骨折させている。
原因は、飛び膝蹴り。
幼児とは思えないほどの加速度と破壊力だった。
入院先の医師がエラッタを地雷人として認定するよう勧め、親はそれに従った。
小学校では男性教員と用務員に同様の怪我を負わせてしまう。
苦肉の策としてガスマスクを着用させたところ、以降は発作が収まり、今に至る。
エラッタ自身も言っていた通り、幸運な生活だと言えるだろう。
何が起こるかは分かっており、何をすればいいかもわかっている。
ほとんどの人間が地雷を抱え、暗中模索している現代において、幸運といえるケースだ。
塀人はプロフィール欄の一部を凝視した。
「部活動:陸上部(短距離)」
脚力を鍛えているわけだ。どうして自らの殺傷力を上げるのだろう?
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