3
昼下がりの熱気に、町全体がぼんやりと揺れている。
白砂利の上をとぼとぼ歩くうち、幾人もの人間が嶋麻呂の左右をすれ違っていった。
嶋麻呂は今、西二坊を下っている。その彼の背後を馬に乗った人がそっとついてきていることに、彼はしばらく気づかずにいた。そのうちどうも気になって振り向くと、馬上の人は嶋麻呂に微笑を送ってきた。
「我们又遇见了(また、お会いしましたね)」
と、漢語で話しかけてきたその男を見上げて、嶋麻呂は思わず「あっ」と声をあげた。いつか、太秦の大闢神社で見たあの不思議な若者だ。嶋麻呂は一瞬たじろいだ。白馬にまたがった若者は微笑を続け、
「この度は、飛んだことになりましたね」
と、嶋麻呂を見おろし、また漢語で話してきた。
「どうして私のこと、いろいろご存知なんですか?」
嶋麻呂も思わず、漢語で尋ねていた。
「私たちは、同族でしょう」
「まあ、確かに」
「そこで、あなたの身の上に起こっていることについて、ちょっとお話があるのですが」
「何ですか?」
「私の屋敷に来てもらえませんか?」
「いいでしょう」
と、言ってしまってから、嶋麻呂は身を強ばらせていた。そして若者の白馬の後ろにつき、黙ってついていった。
若者の白馬は三条から西に折れ、最初の大路を再び下がりはじめた。西の京と呼ばれる地域だ。このあたりは割りと閑散としており、左右に長く土塀が続く。その内側から木々が路上を覆うようにして伸び、まるで緑のトンネルだ。蝉の声もけたたましい。西の山は間近に迫り、一部は都城の中に喰い込んでいる。
やがて右手に、小高い丘が見えてきた。都城の中に丘というのもへんだが、これが垂仁天皇陵だ。それが右後方へ移っていくまで、嶋麻呂は何となくその丘を眺めていた。
「着きました」
という若者の言葉に、嶋麻呂は我に返った。大路に沿って長い塀が続き、小さな門がこしらえてある屋敷だった。若者が馬をつなぎに行っている間、嶋麻呂は十分にその屋敷を観察することができた。同じ秦一族でも、嶋麻呂のようにあばら家に住んでいるのもたまにはいる。しかし、なべて帰化人系のこの一族には、低い身分の割には物持ちが多い。例えばこの屋敷にも、裕福さが十分に感じられる。
若者は戻ってくると、笑顔だけで嶋麻呂に中に入るように促した。
「お帰りなさいませ」
と、婢が何人か板の間に座して頭を下げた。若者はいちいちそれに、うなずいて見せた。
やがて嶋麻呂は、一室に通された。彼が板張りに座ると、若門は手を打って婢を呼んだ。
「客ダ。
嶋麻呂は驚いて顔を上げた。この若者の日本語を初めて聞いた。まるで唐人のような、たどたどしくて訛った発音だった。婢が立ち去るのを待ち、嶋麻呂も漢語をやめて日本語で言った。
「あなたはいったい、どなたですか? なぜわざわざ漢語を使う?」
若者は薄笑いを浮かべただけだった。
部屋は建物の角になっているので、二方が庭に面していた。一面は嶋麻呂の背後だがもう一面は左側で、欄干のついた回廊越しに庭がよく見える。白い大きな石を、池の周りに見事に配置した庭だ。巨石や奇岩が多く、遊歩道が石の間をくねり、うずたかくなった岩の上へと登って池を見下ろす。池には小型の橋が架かっている。明らかに日本式庭園ではない。
庭の向こうには、おととし
そんな庭をちらりと見た嶋麻呂は、視線を部屋の中へ戻した、風通しがよく、涼しい部屋だ。
若者は厳かに口を開いた。
「私、
「朝元殿ですね」
「ハイ」
「なぜ、漢語を使うのですか? そりゃ我われ秦一族の者なら誰でも漢語は解す。しかし、普段から漢語を使っているわけではない」
「私、唐土ニテ生マレマシタ。二年前、初メテ日本ヘ来マシタ」
「では、唐人?」
「イエ、ト言ッテモ、モトモト唐人、ツマリ帰化人デアルコト、アナタト同ジ」
「つまり、まぎれもなく秦一族の人ですね」
「ソウデス。父ノ名ハ弁正。昔、
「
「イイエ、留学僧デス」
嶋麻呂は怪訝な顔をして、首をかしげた。
「僧を父に持つことなど、あり得ないと思いますが」
「父ハ唐ノ皇帝陛下ニ愛サレ、
「それで父上は?」
「唐デ死ニマシタ」
すると、この若者がこの屋敷の主ということになる。年は弱冠十九歳ということで、嶋麻呂より二つ年上であるだけだ。それでいて忌寸の
同じ秦一族でも色々ある。朝元というこの若者のたどたどしい日本語での身の上話を聞きながら、嶋麻呂はまるで別世界に住む人を見るような目で朝元を見ていた。
「私、日本ヘ来テカラ二年。日本語アマリ難シイノ言葉。マダマダ勉強タリマセン」
「ところで、話があるとのことでしたが」
詰め寄るように、嶋麻呂は一歩膝を進めた。急に朝元の口調が速くなった。
「因为话要很复杂了、所以请原谅我用汉语说话好码?(話が込み入ってきますので、漢語で話させてもらえませんか?)」
「好(いいでしょう)」
朝元は一つ咳払いをして、声をひそめて漢語で言った。
「私と私の父は、長年唐の皇帝に仕えてきました。だから私にとって、日本の朝廷はほとんどよその国同様なのです」
「分かります」
「だから私には、日本という国家の持つ内部矛盾がありありと分かるのです」
「何ですか、それは?」
「まず、あなたの父上が捕らえられたということです」
「親父のこと?」
「はい。あなたは今しがた、刑部省へ行ってきたのではありませんか?」
「え、そんなことまで?」
思わずそこだけ日本語になる嶋麻呂だったが、すぐに漢語に戻した。
「……シ、是的(そうですが)」
「そこで、そんなことを聞かされましたか?」
「刑部卿は、もし俺が親父の代わりに官奴になるなら、親父の刑は免除になると言ってましたよ」
「それはなぜなのか、あなたはどう思いますか?」
「それが分からないのです」
朝元は腕を組み、目を閉じた、そうしていると、嶋麻呂よりたった二つしか年上ではないことが、まるで嘘であるかのような風格をこの男は持っていた。
「先月、
「日本紀?」
「そうです。これは日本の国史で、唐の史書の形体に倣って天皇が舎人親王に編纂させたものです。先月、やっとそれは完成しました」
「そのような史書が編纂されていたなんて、知らなかった……。でも」
再び嶋麻呂は、身を乗り出した。
「それが今回の親父の件と、何の関係があるのです?」
「それが、大いにあるんですよ」
と、きっぱりと朝元は言った。嶋麻呂は息を呑んだ。朝元はまた、ゆっくりと言葉を続けた。
「朝廷はすぐに、次の国史の編纂を始めるでしょう」
「次の国史?」
「そこでだ」
目を上げた朝元は、ぽんと自分の膝を打った。
「もしあなたが父上の代わりに官奴となったりしたら、それは孝の道の
ハッとした顔を、嶋麻呂は見せた。
「確かに」
「朝廷は忠孝を、その政治理念にしている。だから、そのような理念にかなうような、つまり父のために子が身代わりになるなどという話は、自らの理念が行き届いているということを示すようなもので、絶好の国史の題材になるんです。だから、彼らは血眼になってそういう事件を探そうとする。そしてもし見つからなかったら……」
「見つからなかったら?」
「すなわち、創りだす!」
「滅茶苦茶だ!」
と、嶋麻呂は最後の所だけまた思わず日本語で叫んだ。それでも朝元は、漢語で話し続けた。
「日本は唐から律令制度を導入しました。でも、日本はその面に関してとても未熟なのです。だから彼らは、無理やりそれを日本に定着させようとしている。なぜなら、律令制が日本の固有の理念ではないからです」
「そうですね。それに加えて、俺はこう思うんです。確かに孝の道は人間の基本理念だ。しかし、これは決して強制すべきものじゃあない。人間の心の中から自然に発してこそ、そこに孝の道の価値があるのです」
「そのとおりです。律令制の矛盾も、実はそこにあるのです」
その時、婢が
「でも彼らは、ひと月たったら私を良に戻すと言ってましたよ」
「いや、恐らくあなたは良には戻れないでしょう。石勝の子供たちは別としてね」
「え? なぜ?」
「彼らは我われ帰化人を尊敬しているかのように装い、我われの財力と知識を頼りのいはしているけれども、その反面、心の中には我われに対する根強い差別意識を持っているんです」
「それは確かにそうです。分かります。それを考えるたびに、怒りがこみ上げてくる」
「他们睡着。他们不醒。他们不成熟。他们矛盾!(彼らは眠っている。目覚めようとしない。彼らは未熟で、彼らは矛盾している!)」
朝元は、一段と声を張り上げた。
その翌日、嶋麻呂は丈部邸を訪ねた。
辞して出てきたのは昼下がりだった。苦虫を噛み潰したような顔で馬上にて放心したまま、嶋麻呂は四条を東に折れた。自分の家とは反対だ。
ここ数日、同じような天候が続いている。照りつける太陽と盆地特有の湿気のせいで、都はほとんど釜の底状態だ。
曲がった先の三筋目の小路を、彼は下がった。その東側に小鹿の家がある。嶋麻呂の家と同じような、わらぶきの粗末なものだ。
垣根の外で馬を停めた。のぞきこむと、竹格子の窓越しに小鹿の母親の顔が見えた。彼女は嶋麻呂に気がつくと、あらっというような表情を見せ、微笑んで軽く会釈をしてきた。
「小鹿!」
奥へ向かって自分の娘の名を呼んだ彼女は、すぐに嶋麻呂に愛想を作った。
「さ、どうぞ」
この愛想のよさからして、恐らく嶋麻呂の父親の事件のことはまだ知らないらしい。
「いえ、ここで結構です」
嶋麻呂は無愛想に言うと、馬にまたがったまま路上を見ていた。やがて垣根の内側に、小鹿は出てきた。
「あら、こんにちは」
「よォ」
嶋麻呂はひと言そう言うと、少し黙ってから切り出した。
「遠乗りしよう」
「今から?」
「だめか?」
「ううん、いいけど。何だか急なのね」
「何となく、そんな気分なんだ」
「どこまで行くの?」
「
「いいわ。待ってて」
小鹿はいったん家の中に戻った。嶋麻呂は近くの木の陰に入り、涼を取っていた。汗をふいていると、男装束に着替えて髪も結い直した小鹿が、栗毛の馬を引いて出てきた。それまでずいぶん、時間は流れていた。
「お待たせ」
小鹿はおどけて言うと、馬にまたがった。
「どうだ、栗毛の様子は」
「良好みたいよ」
「じゃ、出発だ」
嶋麻呂が
「そろそろ飛ばすぞ」
と、嶋麻呂は小鹿の方を振り向いていった。
「了解」
小鹿の言葉を確認すると、嶋麻呂は馬の尻に一気に鞭を当てた。
加速するにつれ、風がまともに顔に当たった。
しばらくは平野が続き、山は左右に遠のいている。水田の中に続く草いきれの土の道を、二人はつるんで走った。道のふちの雑草は十分に伸びきり、緑が濃くてまぶしい。
右側に小さな森が現れ、すぐに後ろへと飛んでいった。やがて小高い丘陵だ。下に溜池がある。同じような丘陵や溜池は、この盆地の至る所に点在していた。それ以外は、しばらくは単調な水田の平野が続く。
風が心地よい。空には小さな雲が三つ、ぽつんと浮かんでいるだけだ。風に吹かれて、嶋麻呂の汗は完全に引いた。
脳天が空に引っ張られるような感触を、嶋麻呂は感じた。自分は確かに大平原と空の中間にいる。馬と一体となった自分の生命は、大自然の中の一つの小さな点のようだ。しかし、それでも空はとてつもなく高く見えた。
近景はどんどん流れ、山も遥かに、微かに動いていた。自分は全く静止していて、周りの景色が勝手にどんどん動いていくようだ。
道は右へ大きく旋回した。それに沿って彼らは馬を走らせた。
緑の大地、山、青い空、草いきれ、すべての条件はそろった。あとはその中に、自分を馬もろとも溶け込ませるだけだ。小鹿もそうするであろうと、彼は勝手に想像した。
茶色の道はどんどん手前にたぐり寄せられ、蹄の音だけが残る。都のよどんだ空気からは、もはや解放されたと嶋麻呂は思った。
山が迫ってきて峠道となると、小鹿はそれまで一定に保ってきた馬間距離をわずかながら縮めた。
左右どちらも、木々の繁るスロープが上から迫ってくる。そのうち、谷川となっている泉川に出くわした。水は空を反映して清く、手前も対岸も緑が繁って白い河原まで落ちている。
二人はしぶきを上げて、川を渡った。
道は再び平野に出て、しばらくは草原が続いた。巨大な池の左岸をぬけると、大河がまた一本彼らの前に横たわった。それを馬で泳ぎきり、少し行くとまた別の大河が北から流れてきた。ここからだと、最初に渡った泉川と次に渡った川、そして北から流れてきた川の三本の大河を見ることができる。三本とも一角だけ山のない方角の、地平線の霞むあたりで同時に一本に合流している。三匹の龍が天より降ってきて、大地の上で大暴れしているようだ。
彼らは北からの川に沿って北上し、やがてもう一つの小さな川との合流点に再び出くわした。
嶋麻呂は馬速を落した。
「右の川沿いに進むぞ」
初めて振り向いて、嶋麻呂は小鹿に声をかけた。そのあと合流点の少し先で川を渡ると、河原の上を上流の北東へと向かった。川はすぐ左にカーブし、彼らは今度はそれに従って再び北上する形となった。川の右側から、山が見る見る迫ってきた。幾重にも重なる山々は、いつまでも彼らを追いかけてくる。
かなり広い小石の河原を、川は幾重にも分かれたり合わさったりして蛇行している。流れ自体はさほど太くない。恐ろしく水が綺麗で、中程でも底が見える。流れは速い。
次第に減速していった嶋麻呂は、適当なところで馬を停めた。小鹿もそれに従った。
河原の両側は、そう高くはない雑草のスロープだ。そこに一本だけ生えている松の木を黒をつないでから、嶋麻呂はせせらぎまで歩き、水をすくって顔を洗った。後ろから栗毛をつなぎ終わった小鹿が来た。
「はい」
と、言って彼女は、手巾を嶋麻呂に差し出した。
「お、なかなか気が利く」
嶋麻呂は微笑んで顔をふいて手巾を小鹿に返し、河原の水際の小石の上に腰をおろした。両足を投げ出して、両手を後ろについた格好だ。河原は風が強く、かなり涼しい。
隣に、小鹿も座った。
「何という川かしら」
と、小鹿は嶋麻呂の横顔を見て言った。
「え?」
「この川の名前」
「鴨川」
嶋麻呂の目は対岸を見ている。
「この川の上流に、賀茂一族の村がある。だから、鴨川っていうんだ」
それきり、嶋麻呂は黙った。
川と平行して、山並みが左右に横たわっている。どの山も、青く輝いていた。山並みはさほど高くはないが、左の方へ目をやると、一つだけ飛びぬけて高い峰が遥かにこの盆地を見おろしていた。
川の上流の方も、山々が重なり合って霞んでいる。
「少し疲れたみたい」
と、小鹿は川の流れを見て言った。嶋麻呂は答えなかった。左から右へと、川の水は音を立てて流れていく。その中で、何羽もの足の長い小さな白い鳥が遊んでいた。水音に、四方を囲まれている。
「淋しいところなのね」
と、もう一度小鹿は言った。確かに、どこを見ても人間の姿は全くない。
「俺はここが好きだ」
と、嶋麻呂は言った。小鹿は自分の両膝を抱いた。
「よく来るの?」
「ああ、よく来る」
「こんなに遠いのに?」
「ここは、蜂岡からはすぐだ」
「確かにそうだけど、どうかしたの? 急に無愛想になって」
小鹿は無理に微笑んで見せたが、嶋麻呂の表情は変らない。仕方なく小鹿もしばらく黙った後、
「あの話、どうなった?」
と、小声で嶋麻呂を見ずに言った。
「親父のことか」
「ええ」
間をおいてから嶋麻呂は、刑部省でのことをすべて小鹿に話した。
「じゃあ、よかったんじゃない」
「何でよかったんだ」
「だって、お父様、助かるんでしょう」
「お前、俺が官奴になってもいいのか」
「でも、たったひと月だって言われたって言ったじゃない」
「とんでもない」
「え、なぜ?」
嶋麻呂は小石を一つ拾って、川へ投げた。チャポンと音がして、小石は沈んだ。川の水は何事もなかったように、せせらぎだけを残して流れ続けている。
「やつら官吏は俺たち帰化人に対して、とてつもない差別意識を持ってるんだ」
「そんな」
「本当だ。官奴となったら最後、俺は一生官奴だ」
「そんな……」
「日本の民とは、そうした心の小さい連中なんだよ。俺はもう、ほとんど愛想が尽きたぜ」
「でもあなたが官奴となったらお父様を許すなんてこと、なんでお上は言いだしたのかしら」
「それは分かってる。この話には裏があるんだ」
嶋麻呂はまた小石を川へ投げた。
「聞いた話だけど、国史に題材にするんだそうだ」
「国史?」
「この間できたばかりの、日本紀というやつの続編だ」
「それで、あなたのことと何の関係が?」
「親の身代わりになって、子供が官奴になると申し出る……日本はこんなに文教の進んだ儒教国家だということを、外へ見せつけたいんだろう」
「でも、申し出たんじゃなくって、お上の方からそうしろって言ってきたんでしょう。なんで?」
「そこだよ、問題は」
「問題?」
「孝の鑑のような話を国史に載せるため、人為的に創り上げる。でも裏を返せば、日本はそこまで文教が行き届いていないということになるじゃないか。わざわざでっち上げなければならないってことは、そういうことだろう。例えば今の年号にしたって、美泉が涌いたのかなんだか知らないけど、養老なんてこんな臭い年号あるかよ」
「何となく分かるような気もするけど……」
「ばかな話だよ。日本の儒教の未熟さを暴露したようなものだ。それも自らの手でね」
嶋麻呂はやっと笑った。しかしそれはどうしようもない苦笑だった。
「実はさっき、石勝の屋敷に行ってきたんだ」
「あの、今回の事件の首謀者の?」
小鹿は再び嶋麻呂を見た。嶋麻呂の瞳は遠くの山から動かない。
「ああ」
「それで?」
「やつのガキどもに会ってきた」
「それで何だって?」
「官に申し出るってさ。父は自分たちを養うために漆を盗んだんですとか何とか言ってな。でも実は、石勝が自らの私服を肥やすためにやった罪をかぶることになるのにな」
「その子たち、いくつ?」
「上が十二で、下が九つと七つだ」
「まだ、小さいじゃない」
「ガキのくせしていい子ぶっているあの
「え? 今日?」
「そう。今日が期限だ」
「じゃあ、あなた」
小鹿は絶句していた。嶋麻呂は視線を変えずに話し続けた。
「孝の心というのは、俺にだってある。しかし、それは心の中からおのずと湧き出てきて、初めて本当の価値があるものだろう。決して押しつけていいものじゃないし、押しつけられるのもごめんだ。押しつけられたら反抗したくなるんだ、俺は」
「ちょっと、こんな話を昼間から大声で。誰かに聞かれたら……」
「大丈夫。ここには誰もいない。いいか、小鹿」
嶋麻呂ははじめて小鹿を見た。
「はい」
「俺は行かない。やつらのやり方――都合の悪いことは抹殺し、都合のいいことはでっち上げる。そうして嘘で塗り固められた歴史を創っていく――そんな態度に、やつらの指示を無視することによって反抗してやるんだ」
「でも、それではお父様が……」
「親父は親父、俺は俺。親父の事件は俺には関係ないことだ」
嶋麻呂は小鹿の瞳を凝視した。
「俺には、小鹿」
「はい」
「おまえさえいてくれたら、それでいい」
「でも……」
「そのことを今、確認しよう」
嶋麻呂はそっと、小鹿の上半身を抱きしめた。
「え、こんな時に。しかも、こんな所で……」
「ここには誰もいないって言っただろう。この盆地はだだっ広いだけで、賀茂と太秦以外に集落はないんだ」
「本当?」
「だから俺もさっきからあんな話、安心してしていたんじゃないか」
嶋麻呂は小鹿の身体を、そっと河原に押し倒した。
「痛い」
小鹿の背中に小石が当たったのだろう。それでも小鹿は、両腕を嶋麻呂の背中に回してきた。彼女の白い胸が、あらわにされた。
嶋麻呂は激しく、彼女の唇を吸った。風が、空が、川の流れが見ている中で、二つの身体はすぐになじんだ。
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