第48語 蘇我入鹿

生没年:?〜645 宗我太郎、林太郎、鞍作

父は蘇我蝦夷、母は不明

弟に物部大臣

子を"皇子"と呼んでいる。


 藤原氏の祖 中臣鎌足らと共に僧旻の教えを受けており、藤原氏初期の伝記である『藤氏家伝』において「吾が堂に入る者に宗我太郎に如く者なし」と氏祖を上回る評価が記されている。

 皇極女帝(第35代)の時代に、大臣の位を父の蝦夷から独断で継承(642年)。翌年には聖徳太子の子とされる山背大兄王ら上宮王家一族を斑鳩宮に襲い 滅亡させた。これは 姻戚関係にある古人大兄皇子を次期大王とするためであったとされる。

 自身らの邸宅を"宮門みかど"と呼んでみたり、墳墓を"陵"と呼称してみたりと天皇を蔑ろにする専横ぶりが伝えられ、その結果として 645年 中大兄皇子(後の天智天皇)らによって引き起こされた政変により、飛鳥板蓋宮で暗殺された。

 以前は悪逆非道な人物と見受けられていたが、近年では その人物像が見直されている。


"聖徳太子=蘇我入鹿"説というのがある。

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