赤ずきんちゃん

 アキナが生まれたのは月の綺麗な夜だった。


 不妊治療の末、やっと授かった命だった。


 辛い悪阻を乗り越え、予定日を一週間遅れ、陣痛が始まってから十八時間苦しんでやっと産まれた。


 天使みたいだった。


 何よりも変え難い宝だった。


 だからいつも


「知らない人についていっては駄目よ。寄り道しないで帰ってきなさい」


 と言い聞かせていたのに、あの子はあの日、森で出会った狼に唆されてしまったのね。


 発見されたアキナの姿は二目と見られない様な有様だった。


 私はその食い散らかされた肉片が私の可愛いアキナだなんて信じられなかった。


 野犬にでも襲われたのだろうかと夫と話したが、保護されたお隣のハジメ君がアキナの上着を着ているのを見て嫌な予感はしていたの。


 警察からアキナの死亡解剖の結果を聴いてその予感は当たっていたのだと確信する。


「まあ、状況が状況ですし、ハジメ君を責めるわけにもいかないでしょう」


 警察の心無い言葉が理性を弾いた。


「はあ? 状況がって何ですか? うちは被害者なんですよ? 逮捕しなさいよ!」


「まあまあ奥さん、気持ちは分かるんですがね。少年法が……」


 酷いじゃない。あんなに頑張った不妊治療も、十八時間の陣痛も耐えてやっと産んだ我が子を、天使みたいな娘を殺しておいて、何の制裁も受けないだなんて……それこそアキナは殺され損じゃない!


「馬鹿にしないで! 弁護士に頼むわ!」


 私が弁護士に依頼する頃、お隣さんは後ろめたかったのか、さっさと夜逃げしていた。精神病院に入院していた息子を連れて。


 探偵を雇ってやっと旦那の居所を掴んだのにその時にはもう離婚していて


「元嫁と子供の居場所は分からない」


 と言い張った。それでも諦めきれない私は探偵にお金を積んで探し出してもらった。


 やっと見つけて嫌がらせの電話を何度もかけたわ。


 家の前に生ゴミをぶちまけたこともあったの。


 でもね、あいつら謝るどころかまた直ぐに逃げ回ったわ。


 そしてやっと今日、公園で一人きりでいるあの狼を見つけたの。


 もう日が暮れる。


 閑静な住宅街の側にある小さな公園のブランコに乗っている狼を睨みながら私は包丁を強く握りしめた。


 待っててね。今、助けてあげるから。


 私の大切な宝物。私の大事なアキナ……


 思いきり背中に包丁を突きつけた。


 肉を裂く感触が全身を震わせ、子供の悲鳴が辺りに響く。


 街頭に照らされた赤い血飛沫がそこここに飛び散り、独特の臭いを発した。


 汚い……


 早くこんな汚いお腹の中から助け出してあげなければ。


 私の可愛い赤ずきんちゃん……


 生温かい返り血を浴び、私は狼の腹を割いてお腹の中をくまなく探した。


 あれ?


「アキナ……?」


 心臓や胃や腸を引き摺り出すが、そこに可愛い我が娘の姿は無かった。


 悲鳴を上げなくなった狼の代わりに、遠くからパトカーのサイレンが近付いてくる。


 そういえば、グリム童話の赤ずきんちゃんは狼のお腹から救出されるが、ペローやルートヴィヒの赤ずきんちゃんは狼に食べられて終わっている。

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